靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、「なに?」と涼しげな声

2013-11-03 05:02:10 | 今週の整理
1.11月に入ってもこんなに暖かいの初めてかもしれない。日中10度近くになることも! いつもなら銀世界のこの時期、冬タイヤが雪のない道路に当たり、ガツガツゴツゴツと賑やかです。


2.友人家でのプレーデート、一歳の赤ちゃんが可愛くてしょうがない様子の次男。「ママ~、赤ちゃんってどうやって『手に入れる』の?」そう帰りの車の中で。家に戻り図鑑を見ながらこうして出てくるのだよと説明。それ以来、私がトイレに行くたび、赤ちゃんがトイレで溺れるのじゃないかと心配になる次男。(笑) 


3.週の始まり、長女サイエンス・プロジェクト「細胞の仕組みアナロジー」。細胞を「何か」に喩え説明し、3Dの模型も作るというもの。去年長男は「車」に、今年長女は「レストラン」に喩えた。Nucleusをボスに、Golgi apparatusをウェイターに、Vacuoleを冷蔵庫に、 Endoplasmic Reticulumをキッチンに、Lysosomeを食器洗浄機に、Cell Membraneをドアに、 Cell Wallを建物に、Ribosomeをシェフに、Cytoplasmを客に、Chloroplastをオーブンに。ジュースの入っていた箱に色紙を貼り、厚紙でテーブル・椅子・レンジなど作り、レゴのフィギュアを人にして。レストランの名前は「セル(細胞)・ベル」。「タコ・ベル」にかけたらしいけれど、誰にも理解されなかったそう。(笑)

 提出前夜10時に完成!やったあ!と大はしゃぎで眠り、翌朝友人から送られた完成写真に息を呑む。す、すごい!「ガーデン」に喩えた友人ちゃん、土から造花から柵からまるで本物の花園を小さくしたよう!「空港」に喩えた友人君はライトがフラッシュする仕組みになっている! 学校に持ち寄られた素晴らしい3D模型の数々にも大興奮な長女。「今度は、もう少し時間かけて作る!」そう張り切り。皆宿題課題が溢れ限られた時間の中、よくこれほどのものを作られるなあと感心。


4.シラミ状況再びなのですが、小学校ナースよりお知らせ、今年シラミ大発生(influx)! 三女のクラスで新たに見つかった子、シラミをケースに入れて教室に持参、皆で観察したそう。この際、「学ぶ機会」にしてしまおうという親御さんの心意気、いいなあこういうの、あっぱれ。今度もし見つけたら、見習うぞ。


5.六歳三女、昨夜初めてのスリープオーバー。指折り数えて楽しみにしていたクラスメートの誕生会。お母さんは何度かブログでも取りあげた、あのいつも面白いシャツを着ている「社会面・感情面のカウンセラー」。クラスに五人だけの仲良しガールズ(男の子は十七人!)、三人の息子さんは親戚宅に出払ってのガールズナイトだそう。昨夜寝る前兄姉弟が電話すると、家では甘えっこな三女、涼しげな声で「なに?」、「楽しい?」「たのし~い!」と元気一杯の様子。

 三女だけいない夜そして朝というのも初めてのこと。○○どうしてるかなあとつぶやく姉、夜いつもくっついて寝てるのに一人で寝られるのかしらと思う母、朝から三女を探す次男。今から迎えに行ってきますね。


今日は長男長女をNPO活動に降ろし、三女を迎えに行き、次女はネイチャーセンターにて火のおこし方の実験に、夕方から長男ロボッティックス・ミーティング。明日は長男長女宿題課題、合間に散歩、プール or サイクリング!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

長女「細胞アナロジー」模型作り、


できた!


プロジェクトの合間には、ひゃっほ~!と飛ぶ。

近所のアラスカ大学プールにて。


次男とお出かけな午後。


白熊の舌!


そ~れ!


スクーターで、


どこまでも。


友人君とプレーデート。紙飛行機に夢中!



お泊りの三女に電話な昨夜。

スピーカーフォンに耳澄ませ。

おやすみ~!


本当に大切なものをシンプルに見つめて

2013-11-03 05:00:24 | 子育てノート
毎週のように会う三人小さな子がいる友人、毎日それは大変そう。私も上三人が四歳、二歳、零歳の時ってしゃれにならないくらいきつかったのを覚えている。赤ちゃんの世話だけでも目が回るのに、反抗期の二才児に、まだまだ自分でできないことだらけの四歳児。本を読んだり書いたりする時間どころか、食べる寝るといった生きるための最低限を搾り出すのがやっと。

昨日ジムで子供達を追いかけながら話していると、その友人が言った。「三人目のママと四人目のママを調べると、断然四人目のママの方が余裕があるらしくて。どうしてかというと、四人目になると確かに『慣れる』ということもあるのだけれど、色々なことを『諦めるようになる』のが大きいんだって。そういうことってある?」と。

ああ、確かにそうかもしれないなあ、と思った。

四人目になると三人目まで何とかぎりぎりのところで頑張っていたことも、諦めざる得なくなる。ひょっとしたらできるかも、そう「できる・できない」の境界で必死に頑張りへとへとの三人目、そんなわずかな期待さえ完全に閉ざされ、一気に振り切れ「無理」とあっけらかんな四人目。(笑)

それは部屋の片づけから、手の込んだ食事、整った花壇、家族が起きている時間に自分の時間を持つこと、そして私にとっては、こうしてやろうこうあるべき、そんな自分が作り上げていた子育ての理想を手放すことでもあった。そうして三人目の妊娠からしばらく壊していた身体と精神も、四人目にはすっきりとし。


一旦がらがらと崩れ落ちた理想。四人目五人目は孫を見ているような気持ちと聞いたことがあったけれど、こういうことかなと感じた。もうただただ可愛い。(笑)

それでも祖父祖母の存在は父母とセットだからこそいいのであって、「おばあちゃん」だけだとどうしても甘やかしすぎてしまう、そう緩んだねじを締め、子供達に向き合う。


今度は、本当に必要なものだけで自分なりの子育てを作り上げていきたい、そう思っている。余分なものは削ぎ落とし、どんな枠組みであっても、生き残ることのできる、シンプルに大切なものによって。

成績重視という傾向、コンスタントなハイクオリティーさ

2013-11-03 04:59:25 | 子育てノート
来年から、高校のHGプログラムの審査が「成績重視」に変わる。これまで成績とIQテストと全国テストのスコアをクリアする必要があったのが、成績の基準が上げられ、もっぱら成績のみを見るようになると。

テストのスコアが良くても、授業についていけない子があまりにも多かったためらしい。

プログラムでは、かなりの量の課題を、コンスタントに効率的ハイクオリティーに仕上げ続ける力が求められる。そして、それは確かに年に一度のテストのスコアよりも、ABCなどの成績に表れるだろう。

普段だらだらしているように見えても、テストになると強い、そういったタイプにはきつい環境といえる。

プログラムに限らず、高校生の親御さんを持つ日本の方と話していると、「こちらは日本で言うと本当に『内申書重視』よね、だからある意味こつこつできるのなら安心」といったことをよく聞く。そういった全体的な傾向、学年が上がるにつれ実感してます。

「コンスタントにハイクオリティー」が苦手というの、私自身も学生時代まさしくそう。中高とテストも気分によって凸凹、高校時代は欠席も多かったし(家で映画見てた)、大学では代返の常連、テスト前に周りからノートを借り何とかパス。大学院に入ってから、時々現れるハイクオリティーをいかに満遍なく日常に下ろしてこられるかといったことをようやく考えられるようになった、それは好きな課題にだけ向かえばよくなったためといえるでしょうが、そうしてこつこつ歩く楽しさを学んだ。

こちらの学校の様子を見ていると、私のようなタイプなどいっぺんにアウトだっただろうとつくづく思う。そして私自身、もう少し早く努力していたら、また違った人生になっていたかなという思いも。

我が家の子供達をみていても、「コンスタントにハイクオリティー」が苦手タイプがいる。そこで、どうしたらアップビートに最大限の力を出し続けられるか、最近よく話し合っている。

・まずは何といってもモーティベーション、「夢」を掲げ続けること。好きなことにはものすごい勢いで向かい続けられるもの。一見興味ないと思えることでも、いずれ好きなことのできる環境にたどりつくためのステップなのだと、日々思い出し続けること。

色々と調べ中試し中ですが、その中で面白いと思ったものに、「自分を導く質問を意識する」というのがある。

以下“Study Smarter, Not Harder” by everyday Genius Instituteより引用:


助けにならない質問例

・どうしたらこれをやり過ごせるか?

・どうしたら先生に当てられるのを避けられるか?

・どうしたら周りをあっと言わせられるか?

・ここにあとどれだけ座っていなくてはならないか?

・どうしたら先生にワークが終わったと思わせられるだろう?

・いつフェースブック(や電話)をチェックできるか?



強力な助けとなる質問例

教室にて

・ここで時間を費やすべき重要なこととは何か?

・これは将来どのように自分の役に立つだろう?

・これはどのように現実世界に関係づけられるか?

・どうしたらこの授業から最大限学ぶことができるだろう?

・どうしたらこれを楽しく興味深くできるだろう?


宿題をしながら

・どうしたらこの知識を維持し易いだろう?

・どうしたら早くハイレベルに終えられるだろう?


放課中

・どうしたら今この時間を最大限生かせるだろう?

・どの課題をこの時間に終えられるだろう?



自身に投げかける質問を意識するというの、子供達のインスピレーションになったようです。

夫も次のステップに向け勉強中、私も何とか限られた時間の中で目指していきたいことがあり、親子で学んでいきます! 

井戸を掘り続けるということ

2013-11-03 04:58:15 | 子供言葉
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

1.「与える」ということ(“Why Infants Have To Grow Up on Milk” by YY Jacobsenより):
他の人に与えたら自分の持分は減る。自分の玩具コレクションから一つ他人にあげたら、自分の玩具は一つ減る。

それでも「与える」という仕組みの例外に見えるのが、母乳。母乳は乳児が吸えば吸うほど作り出される。与えれば与えるほど何倍にも増える。そして与えるのを止めれば、作られなくなる。

ユダヤ神秘主義のカバラでは、「授乳」というのは、こうした「与える」という仕組みの秘密を、乳児の柔らかな意識の中に深く染み込ませるという意味があるとされる。

与えることで一見その物自体は減るように見えても、実は違う面から眺めるのならば「与えること」で多くを得ているもの。周りと玩具をシェアすることで、その子の心が成長していくように。

チャーチルの言葉。「私達は、私達の手に入れるものによって生活を成り立たせる、そして私達が与えるものによって人生を成り立たせる。We make a living by what I get, we make a life by what I give」

ある大富豪に「あなたの価値はどれほどですか?」と聞く。数字を示すその富豪。「えっ、あなたはそれよりもっと裕福でしょう?」すると答える「あなたは私がどれほど持っているかと聞いたのでなく、私の価値はどれほどかと聞いたでしょ。だから私は今年どれほどチャリティーに与えたかを答えたんです」



2.自分自身の源泉と繋がること(The Diplomat and the Digger  Does Our Need for Public Relations Compromise Our Inner Core? By YY Jacobsonを参考に):

アブラハムの息子アイザックが井戸を掘る場面は、聖典『トラ』の中でも、とても重要とされる。なぜ一人の男がこつこつと七つの井戸を掘り続けるといった地味な場面が、それほど重要なのか?

アブラハムは七つ目の井戸を「 Shovo」と名づけた。その土地に住む人々との平和の「誓い」という意味を込めて。彼の死後、その土地の人々によって埋められた井戸。息子アイザックは井戸を掘り返し続け、七つ目を掘り返した終わったとき、その井戸を「Shiva」 と名づけた。Shivaには「誓い」という意の他に「七つ」という意もある。そしてその地は「永遠に」Shivaと呼ばれることになる。[Genesis]

アブラハムは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の基となる人物。世界人口の半分近くにインスピレーションを与えたことになる。その息子アイザックは、こつこつと井戸を掘り続ける。

このアイザックの行為は、自分自身の内面を掘り下げていくことを象徴しているとされる。とてつもないインスピレーションに触れ、稲妻が走り、回心し、悟り、山の頂に到達し、それでもいつしかそれらの感動も薄れ、山を降りる。インスピレーションの井戸も、土に埋まる。

自らの手で井戸を掘ること、自身の内面奥深くに堀り続けること。そうするならば、そのインスピレーションは「永遠」となる。

祖先、父母に与えられた井戸、既に作られた井戸、それらの源泉からの水を飲み続けるのみでは、いずれ枯渇する。自らの手で井戸を掘る、自らの内面に潜り続け、自身の源泉にたど
り着く、そして自分自身とそのインスピレーションの源泉「神」との関係を築き続けるのならば、その井戸は永遠となる。


上の子達も、強烈なインスピレーションやアイデアのスパークがいつしか薄れ、気がつけば何も変わっていない、といった感覚をよく分かるよう。井戸を自らの手で掘り続けるイメージ、彼らなりに理解したようでした。

スズキ式ピアノ、母語のような音楽

2013-11-03 04:57:07 | 子育てノート
週末、友人息子君9歳のピアノリサイタルへ。自宅にお友達を招き、バッハ、ベートーベン、モーツァルト、シューマンなど8人の音楽家の14曲。合間にそれぞれの音楽家についての生涯などの説明も本人から。9歳にしてよくこれだけ全て暗記し弾ききったなあと感心。

4歳から習っていたピアノ、3年前に「スズキ式」に変え、ぐんと伸びていったと友人。

スズキ式の大きな特徴は、「音から学ぶ」というものだけれど、確かに、楽譜をなぞった音でなく、身体に染み込んだ音。「楽譜」を覚えるというより、身体の中に入った「音」を覚えているといった様子。

もう一つのスズキ式の特徴は、「競争」を排した環境のなかで音楽性を育むというもの。息子君のリサイタルも他と比べられることのない自宅で一人という環境。


今我が家の子供達が習っているのは、全く反対のメソッド。初めからセオリーもしっかり習い、楽譜をきちんと読めるよう教える。音だけを頼りに弾こうとすると、楽譜から目を離さないよう注意される。他の先生に習ったこともあったけれど、この先生に行き着いたのは、ひとえにこれほど技術面を細かく丁寧に見てくださる方はいないと思ったため。拍子強弱姿勢全てにおいて完璧でなければ、次の曲にはいけない。そしてピアノ・コンピティションも、この先生の生徒が上位をずらりと占める。徹底的に「勝てる」弾き方の教授。

上の四人が習ってきて二人止めたのだけれど、今更ながら、ああ、あの子達には、スズキ式の方が合っていたかなと思う。もっとその子自身の音の探索を楽しませてやればよかったと。長女も一旦止めたところ今年から戻り、それでも過密スケジュールに以前のようなペースでは練習もできず、ゆったりと楽しむためのみにしているのだから、ここまで完璧を求める必要もないなと思ったり。

どちらにしても毎日の練習の積み重ねというのは、必須。それでも楽譜をしっかりなぞることに力を入れるのと、とにかく聞いて音を身体に入れるのと、練習の仕方も随分と違ってくるでしょう。


昔の職場の上司が、スズキ式開発者鈴木鎮一氏(1898–1998) 直々にバイオリンを習った方だった。鈴木氏はいつも言っていたという「お豆腐屋さんの子でもね、素晴らしい音楽を奏でられるようになるんだよ」

楽譜を読めずとも、セオリーなど知らなくても、心に響く音を奏でられるようになると。

母語は読み書きやグラマーによって身につくわけではない、小さな頃からの環境によって話せるようになるもの、そう幼児の母語習得からヒントを得たとされる鈴木氏。いい音に囲まれることで、母語のように、音楽がその子の内に自然に息づき始めると。


止めた子も、ピアノを触りながら、「もう一度したいなあ」と言うことがあるのですが、他にやりたいこととのスケジュール&経済的な面とで、なかなか難しく。五人目、もし「ピアノしたい!」と言うならば、今度はスズキ式でいってみようかな、そう思っています。


友人息子君リサイタル。


その後のスナックタイム!