一昨日、次男が鳥かごをゆらし「叩いてやる!」と叫びました。少し離れ鳥かごの見えないところにいた私、驚いて咄嗟に「小さな鳥にそんな乱暴なこと言って!」と近寄ると、一羽がもう一羽を突いている様子が目に入ります。「止めさせたいの」と次男。
はっとしました。次男の意図は、もう一匹を助けてあげることにあったのです。
そこで、「ありがとう助けてくれたんだね、優しいね」と次男の意図の「良き部分」にフォーカスし、それから「こんこんと鳥かご叩くくらいでいいのよ、鳥にとってあなたは大巨人なのだから、大声あげたらびっくりしちゃうからね」と声をかけました。
嬉しそうに頷く次男。
小鳥を叩こうとする、そんなとんでもなく見える行為も、そんな「意図」を基にしている場合があります。
言葉行為の解釈、それは時にグレーで見えにくいもの。
それでも子供というのは、意図のネガティブな面(小さな鳥を傷つけようとする)に重きをおくより、意図のよき部分を励ますよう接する内に、本当に「良くなっていく」という面があるように思います。
そして周りの大人は、子供達の言動に「白い部分」を見出し、示し続けてやる。そんな役割を担っているように思うのです。
これは大人同士の関係にもある程度当てはめることができるのかもしれません。成長過程にある子供に比べ、成熟した大人同士というのは、確かに難しい場面が多々あります。それでも関係というのは流動的なもの。こちらが相手のどの部分にフォーカスするかで、変化していくこともあります。
ひょっとしてその人の90パーセントは、ネガティブなことを言いたいという気持ちにあるのかもしれない。それでも、人の意識というのは複雑なもの、その奥には必ずポジティブな面があるはず、それは、例え口にする本人が意識していないとしても。
言うは易しで、実際私自身争いの渦中には、あれよあれよという間に渦の中に溺れてしまいますが、だからこそ、普段から心がけ鍛えていきたい、そう思っています。ポジティブな解釈にフォーカス、日々の子育て、そして人付き合いの中で。
はっとしました。次男の意図は、もう一匹を助けてあげることにあったのです。
そこで、「ありがとう助けてくれたんだね、優しいね」と次男の意図の「良き部分」にフォーカスし、それから「こんこんと鳥かご叩くくらいでいいのよ、鳥にとってあなたは大巨人なのだから、大声あげたらびっくりしちゃうからね」と声をかけました。
嬉しそうに頷く次男。
小鳥を叩こうとする、そんなとんでもなく見える行為も、そんな「意図」を基にしている場合があります。
言葉行為の解釈、それは時にグレーで見えにくいもの。
それでも子供というのは、意図のネガティブな面(小さな鳥を傷つけようとする)に重きをおくより、意図のよき部分を励ますよう接する内に、本当に「良くなっていく」という面があるように思います。
そして周りの大人は、子供達の言動に「白い部分」を見出し、示し続けてやる。そんな役割を担っているように思うのです。
これは大人同士の関係にもある程度当てはめることができるのかもしれません。成長過程にある子供に比べ、成熟した大人同士というのは、確かに難しい場面が多々あります。それでも関係というのは流動的なもの。こちらが相手のどの部分にフォーカスするかで、変化していくこともあります。
ひょっとしてその人の90パーセントは、ネガティブなことを言いたいという気持ちにあるのかもしれない。それでも、人の意識というのは複雑なもの、その奥には必ずポジティブな面があるはず、それは、例え口にする本人が意識していないとしても。
言うは易しで、実際私自身争いの渦中には、あれよあれよという間に渦の中に溺れてしまいますが、だからこそ、普段から心がけ鍛えていきたい、そう思っています。ポジティブな解釈にフォーカス、日々の子育て、そして人付き合いの中で。
ポジテイブ思考になれるように自分を変えることしかない訳で。大きな課題ばかりがつぎつぎと山積してきますが
『やるしかない!』 『今しかない!』 と頑張ろう!!と自分に云聞かせながら~という思いになっています。
本当ですね、自分がネガティブでいっぱいならば、ポジティブを見出すことができない。
ネガティブに感じられる要素は周りに確かに溢れていますが、同時に、常にポジティブ面も溢れている、そう思っています。両方を見、どちらにフォーカスしていくか。
「課題が次々と山積み」、私もまさしく! ヨーキさんの頑張りを想いつつ、私も頑張りますね。
ありがとうございます!