靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、「横の成功」と「縦の成功」と

2013-11-10 12:13:19 | 今週の整理
1.十一月二週に入っても雪が積もってないなんて! 初めてです。寒くはなってきていて、昨日はマイナス五度の中、次男と公園梯子してました。滑るからと次男手袋を脱ぐも、握る遊具の冷たいこと。滑り台にも霜きらきら。一旦積もってしまうと四月頃まで解けませんから、見慣れぬ「雪なし冬景色」をしばし楽しみます。



2.「人間の身体の中に、新しい部分が発見されたらしいよ」ネットのニュースを読みながら長男。「えっ、どこ?」と私。スクリーンから振り向きながら、「脳の一部らしくて、言葉なしでコミュニケートする能力を司っているらしい」「ふ~ん」と答えながら、頭の中を様々な妄想が渦巻く。そんな目が遠くへと飛んでいる母の姿を横目に、長男、にやり。「うっそ~だよ~ん。膝の一部らしいよ」「・・・。」(11月6日付けTIMEより)



3.最近つくづく「運動」の効果を実感してます。気温も下がり、屋内で過ごすことも増えつつあるこの時期、ついつい運動不足になりがち。そこで朝夜と合わせて最低5キロ程自転車こぎ(去年友人にいただいた屋内運動用)を続けてみたところ、だるさ重さ消え、睡眠深く、身体ぽかぽか、膝の痛みも治り、身体の色々な循環がスムーズになった感覚。マシーンの前に本を開けておくと、本読みたいがために、いそいそとこぎにいけます。朝夜各10分ほどの贅沢。

 夫と長男も、今週は毎朝六時から隣のアラスカ大学のジムやプールやトラックで運動。調子良いようです。

 川へ水汲みに、山へ薪拾いに、畑の手入れにと、家事も「ただ立ちっぱなし」ではなかった昔の時代には、それはそれは大変だったでしょうが、それでも肉体的にはベネフィットもあったのだろうなと思ったり。今はマシーンに乗って故意にあちらこちら動かす



4.来週から夫出張10日間(の予定)。五人、ただでさえ目も手も行き届かないのに、大人一人減るというのは、届かなさダブルにトリプル。「自分でしてね!」と言う回数も増大。普段私がしていることでも、実は子供達自身できることがあるのだと、アップデートする機会でもあります。



5.長女の友人の誕生日会で、昔の知り合いに偶然再会。長男と長女が共にプレスクールに通っていた女の子のお母さん。あの小ちゃくておてんばだったMちゃんが、しっとりとした美しい中学生の娘さんに! 
 
 望んでいた中学のプログラムに、一ポイント足りなくて入れなかったのよと。本人もとてもがっかりして、私もがっかりしたけれど、でもね、大切なのは、今持てる力を尽くしたっていうこと。テストの結果や周りと比べた「横に向かう成功」よりも、持てる力を出し切ったという「縦の成功」は成し遂げたとも言えるのかな。そして将来、彼女を幸せにするのは、そんな「縦の成功」なのだと私は信じてると。

 10年前と全く変わることのない凛とした佇まい、そして深く澄んだ眼差し。元気をもらいました。


今日は早朝長女を市内中学対抗バレーボール大会に降ろし、NPO活動へ長男送り。今からバレーボール長女チームの応援。その後次女をクラスメート宅でのスリープオーバーへ。長男を迎えに行ったらその足で図書館、そして長男はそのままロボティックスミーティングへ。明日は朝から長男の友人君が遊びに来る予定、一緒に課題を終わらせジムへ行くそう。長女はお友達と映画館へ。次女を迎えに行ったら、残り組みでトレールに公園に。

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

友人息子君達、釣りしてるから遊びにおいで!ということでお邪魔。


釣れた?


まだみたいねえ。


湖周りのトレールで遊ぶ。


石のって、


幹のって。


家に戻れば、男二人落ち葉かき。


次男との午後、

ママおはな。


グリーンハウス!


おべんと食べて。

一歳Rちゃんの可愛さに、またもややられた午後。

長女の「ハンディーキャップ・プロジェクト」

2013-11-10 12:12:29 | 子育て風景
今週は長女の英語LAの課題、「ハンディーキャップ・プロジェクト」。

Hrrison Burgeron”( by Kurt Vonnegut Jr. 1961)という短編小説を基にした課題。小説の内容:

 2081年米国の憲法が改正され、全ての人々が「平等」であるよう定められる。賢さも見かけも身体的強さも、もし平均以上の能力であるならば、ハンディが与えられる。ハンディーキャッパー将軍が法の遵守の指揮をとり。
 知性容姿身体的能力全てにおいて突出した14歳の天才少年ハリソンは、その優秀さにより刑務所に入れられる。
父のジョージは、思考能力が高いので、常にヘッドギアをつけることが義務づけられ、思考が深まるとサイレンが鳴り、思考に集中できないようになっている。また強靭な身体を持つため、首回りに錘もつけている。母親のヘーゼルは優しく温厚だが知性が低いため、ジョージも経―ぜるも息子ハリソンに何が起こっているのかよく理解できない。
 ヘーゼルは重く苦しそうなジョージにたまには錘をとって休んだらと勧めるが、ジョージは「平等法」を支持しており、法が制定される以前の「競争社会」を悪しき時代と捉えているため、自ら錘をつけ続ける。
 ハリソンが刑務所から逃げたとTVのニュース。ハリソンの姿が流される、140キロの錘をつけ、大きなイヤフォンをかぶり、頭痛を起こさせる度の強いメガネ、鼻に赤・歯に黒のキャップ。革命を起こし政府を転覆させようとするハリソン、最後には将軍に処刑される。
 ハリソンが討たれる様子をニュースで見、悲しむ母ヘーゼル。部屋に入ってきた父ジョージが「なぜ泣いているのだい?」と聞くが、ヘーゼルは、なぜ泣いていたのかを思い出せない。


プロジェクトは、まず自分に与えられた「三つのギフト」を書き出し説明する、そしてそのギフトを平均以下にするための「ハンディーキャップ」を作る、最後に皆の前で発表、というもの。

こちら米国の社会は、私はこれもあれもできてね、この子はこういうことが上手でね、そう声高々に自分をアピールする人が多い。だからさぞかし、生徒たちも自分のギフトを易々と書き出せるだろうと思っていたのですが、「皆ね、ギフトを見つけるのに本当に苦労してるの。私は何をしても駄目だからって」という長女の言葉に少しびっくり。

あれもこれもできると傍から見て思う長女の友人達が、こんな風に自分を捉えているとは。年によっても、女の子と男の子ということでも、また違うのでしょうね。

長女が選んだギフト:
1.情報を素早く的確に処理できる。
2.指を動かすこと(書くこと、ピアノ)。
3.バランス感覚(ダンス)

ハンディーキャップ作り、

1を遮るヘッドフォン、2を妨げるガムテープを巻いた手袋、3の邪魔をする一枚板の下駄にガムテープをつけ肩から固定したもの。

こんな状態で皆の前でスピーチ(練習風景)。


スピーチの最後には、「私の自由へのスピリットは、どんなハンディを与えられても決して萎えることはない」という文句を発表者の皆が唱えることになっていたそう。


平等とは、秀でた能力を抑え付け、皆が同じになることではない。

個々に与えられたそれぞれ異なるギフトを最大限生かせる、それが平等であるということ。

ハンディを脱ぎ捨て、羽ばたけ! 


プロジェクトを通し、そんなメッセージを受け取ったようでした。

梯子の上と下と、二つのイメージ

2013-11-10 12:12:20 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

梯子の上の自分と梯子の下の自分(“Jacob's Ladder & The Baal Shem Tov’s Inferno”by YY Jacobseonを参考に):

ジェイコブは夢を見た。天へと続く梯子を下り上りする天使。梯子の上には「神」がいる。[Genesis 28: 12-13]

天使はなぜ下って上ってを繰り返していたのか?

様々な解釈がある中、ここでは「タルムード」の解釈を。

天使は、梯子の下にあるジェイコブのイメージと、梯子の上にあるジェイコブのイメージを何度か行き来し見比べていた。そして嫉妬により熱くなる。神は天使たちの嫉妬の炎を冷まそうと、上から扇であおっている。[Talmud Chullin 91b]

人には二つのイメージがあるとされる:

1.今の自分の姿(Who you are) 梯子の下のイメージ

2.自分がなれるだろう姿(Who you can be) 梯子の上のイメージ

1は、今この時点での姿。2は、自分であることを最大限生ききった姿。あなたはこうなれると「神」に元々形作作られた姿。この世に果たすために来たミッションを完遂した姿。真の姿。

夢の中の天使達は、ジェイコブの1と2が全く同じイメージであることに驚嘆し、こんな人間は見たことがないと嫉妬したと。「選択」というものは、人間にのみ与えられている。人間には瞬間瞬間の選択により、1と2のイメージを合わせていくことが可能。一方天使には、「選択」というものが与えられていない。

ジェイコブの息子ジョセフは、兄達に売られ、エジプトで奴隷として仕えていた主人の妻に、言い寄られる。故郷を離れ、奴隷として働くその家のみが、生きていくための全て。17歳の健やかな身体、目の前の誘いに今にも身を落とそうとする時、窓に、父ジェイコブの姿が映る。そして一気に自分を取り戻し、その場から走り去る。ジェイコブの1と2が合わさったイメージに、息子ジョセフは、梯子の上の自身を思い出したと。[Talmud and Zohar]


ウォーターゲート事件で辞職したニクソン氏。ホワイトハウスを後にする時、壁に並べられた歴代大統領の肖像画を眺め、JFKの画の前でこう話しかけという。「君がどうしてこれほどまでに人気があり続けるのか。君と私の違いが何か分かるかい? 君は国民が『こうなりたいと望む姿』なんだよ、私は国民の『今こうであるという姿』を代表しているんだ」


ユダヤには、「地獄」とは、炎燃えたぎり、ぐつぐつ煮える鍋に落とされ、針の山に横たわり、といったものではなく、二つの鏡を見比べることだという説明がある。「実際に生きた人生」と「生きることができたであろう人生」が映された二つの鏡を見比べること、その「違い」が大きければ大きいほど「地獄」なのだと。



ラクダの親子が話している。

ママ、どうして僕たちにはこんなぺちゃんと平たく大きな足があるの?

砂の上をはるか遠くまで歩くためよ。

じゃあどうしてこんなに長いまつげがあるの?

宙に舞う砂から目を守るため。

じゃあね、どうして背中にこんなコブをしょってるの?

長い間水や食物がなくても生きていけるように、脂肪を蓄えてあるのよ。

ふ~ん、じゃあもう一つ聞いていい?

ええもちろん。なに?

だったらね、どうして僕たちはこんな檻の中に暮らしているの?


多くの人生は、こんな動物園のラクダのようであると。これほど与えられているのに、活用するということがない。




自分自身の梯子の上のイメージを見つめてみる。そして、他者を前に、その人の梯子の上のイメージに向き合ってみる。

それは、師が生徒に対して、親が子に対して、という場合にも覚えておきたいこと。その子の、梯子の上の姿を見つめてみる。持てる力を最大限発揮する姿を。

ある夫婦が、ラビに相談に来る。父親が言う、9歳の息子にほとほと困り果てています。言うこと聞かず、嘘ばかりつき、盗みはするし、問題ばかり起こしている。私は分かっていたんです、あの子が三歳の時にこうなるだろうことを。あの三歳の時点で、あの子はもうこうなるだろうサインをいくつも放っていましたから。
ラビは答える。ではなぜ嘆くのですか? あなたの期待通りに成長しているじゃないですか。




子供達、かなり感じるところがあったよう。自分の梯子の上の姿、まだまだ出し切っていないポテンシャルを見つめるということ。

そして最後の9歳の男の子の話、ママよく考えてねと、長男長女。(笑) 確かに、子供達、私が何を見ているかに敏感に反応します。そういう目で見ないで! そういう話し方しないで! 彼彼女から、そんな言葉を聞くことがありますが、それは「そんな僕/ 私であらせないで!」という叫びでもあるのかもしれません。目の前の今ある姿を見止めつつも、その子のどんなイメージを見つめていくのか、心に留めていきます。

ママも心がけるね。あなたたちは、周りがどんなあなたを見ようが、どんなあなたを示してこようが、あなた自身で最大限の自分を見つめ続けてね、そんな言葉をかけつつ。

小鳥を叩く

2013-11-10 12:11:38 | 子育てノート
一昨日、次男が鳥かごをゆらし「叩いてやる!」と叫びました。少し離れ鳥かごの見えないところにいた私、驚いて咄嗟に「小さな鳥にそんな乱暴なこと言って!」と近寄ると、一羽がもう一羽を突いている様子が目に入ります。「止めさせたいの」と次男。

はっとしました。次男の意図は、もう一匹を助けてあげることにあったのです。

そこで、「ありがとう助けてくれたんだね、優しいね」と次男の意図の「良き部分」にフォーカスし、それから「こんこんと鳥かご叩くくらいでいいのよ、鳥にとってあなたは大巨人なのだから、大声あげたらびっくりしちゃうからね」と声をかけました。

嬉しそうに頷く次男。


小鳥を叩こうとする、そんなとんでもなく見える行為も、そんな「意図」を基にしている場合があります。

言葉行為の解釈、それは時にグレーで見えにくいもの。

それでも子供というのは、意図のネガティブな面(小さな鳥を傷つけようとする)に重きをおくより、意図のよき部分を励ますよう接する内に、本当に「良くなっていく」という面があるように思います。

そして周りの大人は、子供達の言動に「白い部分」を見出し、示し続けてやる。そんな役割を担っているように思うのです。



 これは大人同士の関係にもある程度当てはめることができるのかもしれません。成長過程にある子供に比べ、成熟した大人同士というのは、確かに難しい場面が多々あります。それでも関係というのは流動的なもの。こちらが相手のどの部分にフォーカスするかで、変化していくこともあります。

 ひょっとしてその人の90パーセントは、ネガティブなことを言いたいという気持ちにあるのかもしれない。それでも、人の意識というのは複雑なもの、その奥には必ずポジティブな面があるはず、それは、例え口にする本人が意識していないとしても。

 言うは易しで、実際私自身争いの渦中には、あれよあれよという間に渦の中に溺れてしまいますが、だからこそ、普段から心がけ鍛えていきたい、そう思っています。ポジティブな解釈にフォーカス、日々の子育て、そして人付き合いの中で。