靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、慈悲に満ちた友人の目

2013-11-24 10:35:51 | 今週の整理
1.今週はマイナス20度!近くが続いた。朝、いつも外に並び、鐘がなるとクラスごと列になって順番に校舎に入っていく子供達。「今日は屋内で並ぶんじゃないかな、この寒さ」と言いながら学校に着くと、皆外で並んでいた・・・。「ほら、私達アラスカンだから!」と元気に車を降りて行く次女と三女。放課もきゃっきゃと外を走り回ったそう。ビバ、アラスカン!


2.次男四歳、本をよく眺めているのだけれど、「読んであげようか?」と言っても断ること多し。なぜだか聞いてみると、「だって、ママ寝ちゃうもの」と・・・。確かに、普段あまり座るということがないので、ぽかぽかとした次男とくっついてソファなんかに座り、ほっかりした子供絵本などを読み始めると、つい最後までいかず眠ってしまうこと何度か。途中から無意識に夢の話などしていたりして。(笑) はっと目が覚め、いかんいかんと再びあれやこれやに取りかかり、本は一体どこへやら。

思えば、私にとって子供への読み聞かせは、「睡魔との闘い」だったとも言えるかもしれない。重いお腹を抱えながら、赤ちゃんを抱きながら、山積みの洗濯食器を横に、寝不足の目をこすりながら。絵も内容も素晴らしい絵本が多いのだけれど、とにかく身体がついていけない。

夜だけは、夫と交代で、毎晩ベッドに並んで横になりながら、一冊は読むことにしているけれど。上の子達が大きくなるにつれ、下の子達に読んでくれることも増え、下の子達、幸せです。


3.次女が、「今日のMrs. C(社会面・情緒面のカウンセラー)、こんなTシャツ着ていたよ!」と教えてくれた言葉。
 
「90%聞き、10%話なさい。神が二つの耳と一つの口を与えてくれたのには、理由があるんですよ。」

子ども達の目に、いつもはっとさせられるメッセージ焼き付けてくださって、ありがたいです。



4.友人と、ティーンの話になり、あの言葉遣い!あの反抗的な態度!もう昔のあの子達じゃないよねと。

能力的なことをいえば、身体的にも頭脳面でも、子供のほうがどんどん先へ行く。それは子供達自身が日々感じていることだろう。

親の相対化を、着々と進めて欲しいなと思う。いい面もあれば、よくない面もあり、強いところもあれば、弱弱でもあり、親も全く完璧なんかではない、世界中にたくさんいる人々の中の一人。これからどんどん外へ出、様々な体験をし、ますますそう実感として捉えられるようになって欲しい。

子供から親への繋がりというのは、最終的には「慈悲」のようなものだといいなと思う。「尊敬」でも、「服従」でも、「道徳」でもなくて、「慈悲」。

子供達の水泳帰りに、雪道を歩きながらそう言うと、友人が吹き出した。笑いながら私を見る友人の目に、「慈悲」があった。(笑)



5.今週は、八日間のハヌカが始まり、木曜日には感謝祭、そして四連休! この時期毎年わいわいと集まるのだけれど、今年は家族でゆっくり過ごそうかということに。感謝祭が終わり、二週ちょとすれば冬休み! そしてクリスマス! 車に乗るたび、クリスマスソングを聴きたがる子供達、ああこの時期がまたやってきたなと思う。クリスマスにはわいわいと集まろうねと友人と予定を立て。年末に向け、賑やかな日々となりそうです。


今日は朝から長男床屋、その足で長女とNPO。夕方から長男ロボティックス。明日はそりに、宿題課題に、下の子達は誕生日会!


皆様の一週間が素晴らしいものとなりますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

そり!

長男と友人君。14歳も大いに楽しめます。

僕丸いのでね。


私は長いの。


空気を入れた浮き輪みたいなのもあり。


ひゃっほ~とこんなものも。


よいしょ、


よいしょと坂を上り。


夕焼けに氷の上。




三女のクラスでスナックの時間に用いるナプキン、二週に一度一クラス分お持ち帰り。洗濯してたたんで姉妹。


昨夜のファミリーディナーパン! by 三女

ドイツで出会った活動家

2013-11-24 10:09:45 | 子育てノート
十代最後の年、ドイツを訪ねた。議員や活動家の団体に加わり、最年少の参加だった。各地の市民運動団体と交流し、ホームステイしながら、強制収容所や秘密警察の施設跡を巡り、最後は同じ過ちを繰り返さないためにと、ベルリン市長に広島の被爆瓦を手渡し。二週間のスケジュールが終わり、その後二週間、知り合いになった人々を訪ねて一人旅した。

マインという町では、「緑の党」の元議員の家に泊まった。元議員といってもまだ二十代。私が接していたグループがそうだったのか、緑の党全体がそうなのか分からないけれど、若手の党員が議員をするといいんだ、そういった誰かがしなければならないことは、早い内に終わらせておけば、より本格的に活動に没頭できる、そう言っていた。議員であることの「ステイタス」とか、そういうものには全く頓着しないんだなと、驚いたのを覚えている。

「捕鯨」についてとてもラディカルな立場をとる緑の党、彼の友人達と集まると、何度も議論になった。他の党員が、食べ物に困っているわけでもないのに、まだ捕鯨を続けているなんて言語道断! といった態度に対し、彼は、僕達だって慣れ親しんだ牛や豚や鳥を食べ続けてる、日本人にとって鯨は同じような位置づけなんだよね。僕たちがあなたたちを批判する立場にはない。僕はね、肉を食べることを減らしつつある。そう言っていた。

また彼は民族音楽とロックを合わせたようなバンドもしていて、ベースを担当。トルコ人などの移民の友人と一緒にしているんだと、LPをプレゼントしてくれた。

ベースを弾きながら、彼はこんなことを言った。

いつも世界の問題について考えていたら、普通の生活ができなくなってしまってね。世界は問題に溢れている、暖かい家で、ママ手作りのルバーブケーキを食べていたとしてもね。いつしか僕は、笑うことさえできなくなってしまったんだ。世界の問題を嘆きながら、その次の瞬間にビール片手に笑って冗談を言い合う人々が、偽善者に見えてしょうがなかった。

でもね、それは違うのかなと思い始めたんだよ。ここで僕が楽しんでいるということは、世界を不幸にしない。むしろここで楽しんでいる、そんなスピリットが、世界を照らすんだよ。

それでね、僕はベースを始めたんだ

僕は今世界の問題について少しでも何かできないかと毎日活動してて、そして毎日音楽もしている。両方を続けることでね、僕が僕であるということを、より生かせられる、そう思っている。

彼の人生に対する姿勢は、当時十九歳の私に、その後どう生きていくかのヒントを与えてくれたように思う。

具体的現実的に周りへ何かをしていくということ、そして、ここに自分が楽しんでいるというスピリット。


今までの人生を振り返ると、こんなスパークの瞬間となるような出会いが、あちらこちらに散りばめられている。

これから大きくなる子供達、どんな出会いを重ねていくのか、楽しみです。

底辺の自分と共にいるということ

2013-11-24 10:09:14 | ファミリーディナートピック
ファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

底辺の自分と共にいるということ("Wisdom of Joseph" by YY Jacobsenを参考に):

兄達に奴隷に売られ、雇われていた女主人の企みにより、無実の罪のまま牢に何年も暮らすことになったジョセフ。ある日、夢の解釈ができる力を持つと聞きつけたファラオ(エジプトの王)に、王宮へと呼ばれる。ファラオは毎晩夢にうなされ、何人かの賢者が解釈するも、納得できないでいた。

「川から健康でよく肥えた七頭の牛が岸へ上がる。続いて病み痩せこけた七頭の牛が岸へ上がる。両者隣に並び、病んだ牛が健やかなる牛を食べる」

ジョセフは、肥えた七頭の牛は、七年間の豊かな収穫を、痩せた牛はその後に続く七年間の飢餓を示しているとする。そして、豊かな収穫の七年間に、少しずつ食物をため、次に続く飢餓の七年間に備えるべきだと提案する。

ファラオは、ジョセフにエジプト中を司る地位を与える。
 (『トラ』より)


ファラオはなぜ、ジョセフの解釈に驚き、これほどまでの待遇を与えたのか?

他の賢者も、ジョセフと同じ解釈をしようとした者がいたとされる。肥えた七頭の牛と、痩せた七頭の牛から、豊かな年と飢餓の年と解釈するのはそう難しいことではないと。

それでも賢者達は一箇所がどうしても理解できなかった。それは、「岸に健康な七頭と病んだ七頭が同時に並ぶ」という箇所。豊かな収穫の後、飢餓の年へと続くという解釈では、「同時に並ぶ」ということはありえない。そこで、「娘が七人生まれ、娘が七人死ぬ」とファラオに説明したとされる。当時のファラオは、女王以外にいくらでも相手がおり、子供の数もかなり多かったとされる。そこで七人が生まれ七人が死ぬと、同時に並ぶことが可能。

ジョセフは、この「岸に隣り合わせに並ぶ肥えた牛と痩せた牛」を、豊かなシーズンに、少しずつ取り分け蓄えることで、飢えに備えるという対策を表していると解釈した。そして王が感銘を受けたのは、ジョセフの解釈が、「起こること」だけでなく、「起こることへの解決」を含んでいたということ。


いい時と、うまくいかない時とが、隣り合わせであるというイメージ、それはまた重要な教えを含んでいると説明される。

いい時には、周り一つ一つの物事を丁寧に大切に扱うことを忘れ、ただ使い捨て、他の痛みに無関心となり、自分から人や物を必要とすることもない、世界が自分を必要としているとさえ思うもの。

人の繋がりや物や、うまくいかない時にも持ちこたえられる環境を整えているか。底を這いつくばっている時には、ふと見つけた小さな花にさえ、涙を流すもの。いい時に、そんな底辺の自分と共にある。

そうならば、例えうまくいかなくなったとしても、常に豊かさと共にある。

それが「起こる」ことへの、「解決」。


心に刻んでおきます。

夢の調整

2013-11-24 10:08:18 | 
昨夜夢をみた。ここに書くのを控えるほどの悪夢。

知り合いと今まで出会ったことのない大人子供が入り交ざり、血と肉欲と死と惨劇と人の持つあらゆる悪が噴出したあまりにもリアルな映像。

明け方ベッドに座り、呆然とする。



確かに目まぐるしく賑やかではあるけれど、心穏やかな日々を送っている。

街は一足早いクリスマスキャロルに包まれ、子供達はホリデイを指折り数え、大はしゃぎ。

「一年で最高の時~」と車のスピーカーから流れるクリスマスソングの歌詞を聞きながら、ああそうかもしれないなあと、しみじみ思ったり。

長男も最近何だか勉強にもやる気を出し頑張っている、長女も相変わらずこちらが指示をあおぎたくなるほど全般に渡りしっかりしていて、次女も読書にクラフトにと忙しく学校の勉強も今のところ順調、三女もハッピーで最近は本に夢中、次男も日に日にその成長振りがまぶしい。夫も次のチャレンジに向け猛進中。確かにあれやこれやと問題は起こり、言葉遣いや態度や、兄弟姉妹喧嘩にと本気で怒ったりもするけれど、三十分もすればまた笑い声。

家族の幸せというもの、それは私自身あまり知らなかった喜びともいえるのだけれど、こうして体験することができ。

これ以上、本当に何かが必要なのかな。ふと、そんなことを思ったりもした今週。 



そこへ、この悪夢。

私にとって、夢というのは「調整」でもあるように感じている。

本当にこれでいいの?! そんな奥底から揺り動かし目を覚ましてくれるもの。



ユダヤの結婚式で、誓いを交わし、歌や踊りが始まる直前に、新郎が右足でグラスを踏み潰す儀礼がある。粉々に砕けるワイングラス。

これは、「世界はまだ完全ではない」と思い出すためとされる。愛する者と結ばれた幸せのピークに、グラスを踏み潰すことで、世界はまだ粉々なのだと思い出す。そして二人こうして手を取り合っているのは、少しでも破片をつなぎ合わせていくためなのだと。

グラスを、割り続けていきたい。

「ギフテッド・チャイルド育児」カテゴリーに感謝を込めて

2013-11-24 10:07:59 | お知らせ
「ギフテッド・チャイルド」カテゴリーを抜けることにしました。

短い間でしたが、たくさんのことを学ばせていただき、本当にありがとうございました。

様々な方のブログにコメントし、やり取りができたらなと何度も思いつつも、なかなか今はまだそういったこともできない状況。それでも、これからも皆さんのブログ楽しみに、覗かせていただきたいです。

アウトポイントだけという宙ぶらりんでの参加で、私に何ができるかを考えてきたのですが、「ギフテッド」という枠組みの中から発信することに、やはりどうしても突き進めない自分がおり。チクチクとしたその違和感は、次第にズキズキへ。これはもう、生い立ちから関わる根の深いものなのだと思っています。

カテゴリーを通し、読んでいただいた方々に感謝を込めて。



ブログの発信は、これまで通り続けます。そしてこれからの活動に向けての土台作りも、こつこつと進めています。もう少し子供達の手が離れ、より本格的に動けるその日まで、一歩一歩積み重ねていきます。



その子なりの「ギフト」を最大限生かせるようにと

山を越え谷を越え旅を続けられる全ての方々へエールを送りつつ

こうして同時代に共に歩いていることに 喜びと感謝をかみ締めつつ