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靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

早い内に規定の形に表す練習をするということ

2014-01-19 13:01:14 | 子育てノート
次男と毎日一時間ほど、「勉強」のようなことをしている。といって、子供は遊びから一日中学んでいるようなものなので、この「勉強」というのは、そうして一日中学んでいることを、「規定の形に表わす練習」というようなイメージで捉えている。

上の子達も、四歳くらいから、少し集中した「勉強の時間」を持つようにしてきたのだけれど、皆この時間を楽しみにしていた。こちらから無理やり座らせてとなると大変だろうけれど、子供の方から「ワークしよ!(皆この時間を『ワーク』と呼ぶ)」と声をかけてくることの方が多く、それで毎日続けられてきた。

の時期の子は、とにかく「楽しさ」を体験させることが大切だと思う。そしてその楽しさは何といっても、「できた!」という喜びの積み重ねから来る。

その子の様子を見てハードルを変えつつ:
1.歯が立たなさそうぎりぎりな課題の「できた!」
2.少し簡単な課題の「できた!」

1で始め2へ、そして1で終わると意識しつつ、体調良好意欲満点の時はより1を、疲れていたり気持ちが乗らなさそうな時は2をと、その場その時に応じて柔軟に。

歯が立たなさ過ぎでもなく、簡単過ぎでもなく、最も大きな喜びは、その子のその時の全力を用いてたどり着く「できた!」を体験する時。

こうして続けていると、この「ワーク」の時間が、本人の中で毎日欠かせない楽しみな時となっていく。



上の四人、皆五歳六歳時に、認知テスト、学力テスト(読み・算数)、IQテストと受けてきたのだけれど、この「ワーク」の時間が、結果的にそれらのスコアに繋がっている。特に学力テスト、普段日本語を聞いているのに、英語ネイティブの子達と比べ上位二パーセントにつけるというのは、「準備」なしでは難しい。また算数も、時間の読み方やコインの計算など、練習なしではきつい。

それでも、早い内からこうした「ワーク」をすることなく、小さな頃はもっとふわふわとした世界を存分に楽しみ、小学校高学年くらいから徐々に「きちんと形にすること」を身につける、というのも一つの方法だと思う。そういった場合は、幼い時期はテストなどをしてみれば低いスコアが出るのだけれど、単に「規定の形に表す練習をしたかしてないかという差」というだけで、その「賢さ」には何の違いもない。私自身は、むしろ小さな頃は存分にふわふわと飛び回った方が、後々より「考える幅」ができるのじゃないかとも思っている。

この「ふわふわ感」というのは、「多様な答えに遊ぶ」というようなものだろう。例えば1+1=という問題に、2だけでなく、田、窓、1などの答えを楽しんだり。「水平思考(Lateral Thinking)」と言われるもの。

こうした「ふわふわ感」を大事にしていきたいという気持ちが私の根底にはあり、早いうちから「きっちり規定の形に表す」ことに偏り過ぎないための、よいバランスをとってくれている。

そもそも、早い時期にこういった「ワーク」時間を持つこと自体、詰め込みではない「水平思考」も重視してくれる環境(「ギフテッド」プログラム)で学習して欲しいという願いから始まっていて。そこに入るためには、試験をパスしなければならない。それでパスできるところへもっていこうとしつつも、その子の様子を見、無理があり過ぎるようなら待ってみようというスタンスで今まできている。

早い内にテストなどのスコアに表れる働きかけをすることは確かに可能、それでも長い目で見たその子の全体的な成長を大切にできる働きかけを目指したいです。




もう一つ、幼児期に少し集中したワークの時間を持つことのメリットには、凸凹の把握があるように思う。ワークを通し、ぎょっとするような凹を見つけることがある。短期記憶だったり、形の把握だったり、左右上下後ろ前がこんがらがっていたり。幼児なのでこんがらって当たり前ともいえるのだけれど、他のできる面と比べ、少し度合いが過ぎているかなと思われる部分。

私は専門家ではなく、今まで我が家の五人プラス少し友人の子と接してきた体験からなのですが、まだそれほど「癖」がついていない内だと、こうした凹部分もより調整しやすいのじゃないかと感じている。脳のうっすらとした溝をなぞってより深く刻むイメージ、弱い筋肉を鍛えるイメージで少しずつその弱い部分を集中して鍛えていく。
大きくなったら自然にできるようになっていくことがほとんどだという前提の上での話ですが。

こういうことは、しなかったから/したから、今こうなっているといったデータが取れているわけではないので何ともいえないのですが、「癖」の強い家の子達、早い時期の「ワーク」がなかったら、もっと凹面が強く出ていたということもあったのかもしれないなとも感じている。

「ディスレクシア」は早期に働きかけるのがいいというのが、専門家による定説ではあるよう。だからといって、夫の体験(重度ディスレキシアの診断歴を持つ)などを見ても、大人になってからでも本人の「意欲」次第でどうにかしていくことができる場合もある。ましてや小学中学生ならば、本人の「意欲」を盛り上げていくことで、伸ばしていくことはまったくもって可能なのでしょう。



最後に、接する側の心構え整理

・結果からこの子はよくできる・できないとジャッジするのでなく、「できるようにどうサポートするか」にフォーカスし続ける。

・自分を見てきて一番感情が乱れきつくあたってしまいがちな時というのが、うわあこんなこともできるんだねと喜んだ後、簡単に見えることにとても苦労してしかも間違えたりするとき。「期待」が曲者だなあとつくづく。自分がヒートアップしてきたなと思ったら、「できないで当たり前」くらいのスタンスに下げてみる。

子供の成長は単純な一直線じゃないと思い出す。横ばいも下降も、外には見えない回路をあれこれ行き来し繋げている成長の過程。

よい結果を出すことを全力でサポートしつつも、心の奥では、結果を手放す

日々思い出していきたいです。


五人の学習を見てきて感覚的に掴んでいること、まだうまく言葉に表せないのですが、少しずつまとめていきたいです。

日本への原爆投下について

2014-01-12 08:04:42 | 子育てノート
長男の友人のお母さんと話していて。 ○○(長男)、夏に日本へ行くって聞いたわよ、最高ね、日本のどこ? 名古屋と広島と東京の予定。えっ、広島? そうなの私の母方が広島で。そうだったの! ○○(息子君)の歴史プロジェクト(今八年生が取り組んでいる)ね、「原子爆弾についての権利と責任」がテーマなの。もう少し話聞かせてもらっていい?

そこから原爆の話になり。

母方の親戚は母も含め皆被爆手帳をもっている、伯母が一人即死、母は胎内被曝、私も三世、子供達は四世。



その夜、子供達とも話し合いました。

まず、こちら米国で主流の考え方: 一般市民の多くが無残に亡くなり痛ましいこと、それでもあの戦争を止めさせるためにはやむを得なかったんです。もしあそこで原爆を落としていなければ、日本本土決戦となり、日本米国両者により多くの死者を出すことになっていたでしょう。

子供達も、周りのこうした圧倒的な雰囲気を感じています。

日本と米国の「日本への原子爆弾投下」についてのウキペディアを見比べても愕然とするのですが、「あの大戦を終わらすためにやむを得なかった」という論の「不当性」についての言説や調査は、米国側からも出ているにも関わらず、ほとんど触れられておらず。

・連合国側からの海上封鎖などが効果をあげており、日本は当時戦力も既に随分と落ちていて、降伏は時間の問題であったこと。

・無人の地に落とすなど核の威力を見せ付けることで、もし降伏しないのならばこれを落とすとすれば十分であったこと。(「マンハッタン計画:第二次世界大戦中連合国側による原爆製造計画」の科学者もそう提案)

・「戦争を止めさせる」が目的ならば、日本への原爆投下について極秘を保つのでなく(直前までトップシークレットとされた)、日本側にも何度か警告することで十分に効果を得られたはず。

少し詳細を見ていくと、本当に「やむを得なかった」?と疑問が湧いてきます。他に理由があったんじゃない?と。

例えば、

・広島ウラン型、長崎プルトニウム型と違う種類が用いられたのですが、「トリニティ実験」(日本原爆投下約一ヶ月前の七月十六日に米国で行われた人類初の核実験)ではプルトニウム型のみが用いられ、ウラン型との比較実験データが欲しかった。

・米国の威力を世界に見せ付けるためだった。

といった説もあります。

私自身は、こうした米国の野心が大きく絡み、その上で、各地の戦線の状況から「最後の一人になるまで闘うだろう有色人種日本人」というイメージが行き渡るなど、世論を納得させられる状況が揃っていたため、ということだったのだと思っています。




そして、歴史や世論と言うのは、勝者側によって作られるとも思っています。

「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです。」

そうマンハッタン計画参画の科学者 レオ・シラードが言うように、もし敗者側が原爆を落としていたのなら、原爆投下に関わった人々、軍上層部からエノラ・ゲイの乗組員から逐一戦争犯罪の裁きを受けていたでしょう。





こうして米国側の問題を並べましたが、同時に、世界の状況を見るとき、枢軸国であった日本も随分ひどいことをしていたのも事実であり。天皇を「神」とし(天皇の本意かどうかは別として)、「大日本帝国」を広げようと周辺諸国へ侵略し。そこでの行為のひどさの度合いについては、様々な意見もありますが、決して許されるべきではないことも多く含まれていたと思っています。




子供達には、次の三点を覚えておいて欲しいと話しました。

1.大多数の人々が「正しい」と思っていることを鵜呑みにせず、様々な方面から情報を集め、「本当のところは分からない」というスペースを残しておくこと。

2.いい面美しい面だけを見るよりも、弱く間違った部分を見、それらを良くしていくために自分にできる限りをすることこそが、その人その国を愛しているということ。

3.生身の人の温もりを決して忘れないこと。こうしてテーブルに向かい合い、こちらでは何万人の被害で、あちらは何人死傷者が出たと話しているけれど、その一人一人の流す血の赤さを痛みの大きさを想ってみる。日本であろうと米国であろうとアジアの周辺諸国であろうとヨーロッパであろうと、そこに暮らす一人一人も、愛する人々と共に、あなたたちのように全く同じ温もりを持った日々を過ごしている。



 長男は七年生の時、科学のプロジェクトで「マンハッタン計画」を選んだのですが、製造に関わった多くの科学者が、原爆投下前に何とか投下を止められないかと米国政府に働きかけ続けたこと、投下後も平和運動に熱心に取り組む科学者がいたことを話してました。

 そして、日本が犠牲になることで、その後ジュネーブ条約にも核爆弾を用いてはいけないという条項が付け加えられ(「非戦闘民に手を加えてはいけない」という条項がそれ以前にもあるので米国による都市への絨毯爆撃、原子爆弾は既に違法ではあるのでしょうが)、用いられなくなった。もしあの時日本に落とされていなかったら、ベトナムか中東か朝鮮に広島長崎の何倍もの威力の核爆弾が落とされていたかもしれないよと。

 長男、夏に広島へ行く前に、引き続き話し合っていこうと思っています。

大掃除、手放す手放さない

2014-01-05 07:24:10 | 子育てノート
大掃除、いつの間にやらホントあれもこれもと溜め込んでいて。今回もたくさん整理しました。まだ使えそうなものは寄付したり周りの方々にもらっていただいたり。

掃除していて気がつくのは、物を手放すことにそれほど頓着しない子と、手放したくないという気持ちの強さに驚かされる子がいるということ。

それは、特定の物についてというよりも、ずっと使ってないものや、普段気に留めてないものを含めた持ち物全般に渡って。

家では男の子二人が「幼い頃は」どうもこの手放したくない!タイプのよう。長男は今では使わないものに関しては全く頓着しませんが、次男は長男がかつてそうであったように、とにかく一度自分の身近にあったものは、手放すのが難しい。あることを忘れているものでも、見せれば悲しむので、気づかないように処分したり。

女の子達は、どちらかというとあっさりから、かなりあっさりまで。えっ、もったいない!とこちらが叫びたくなるほど、どんどん手放す子も。



友人関係にも、少しその特徴が見られるかなとも思います。長男は随分前に引っ越していった友人についても、何年も会いたいなあ、今ここにいたらなあ、今度いつ会えるかなあと言い続けます。

物であろうと人であろうと、対象への思い入れが強いのでしょうね。



「どんどん手放す」、「できるだけ手放したくない」、これは、「潔く男っぽい」、「女々しい」といったジェンダー的な性質とも重なるのかもしれませんが、女の子にもそういった頼もしさ、男の子にもそういった優しさが育ち、将来的に自身の内に両性のバランスを取っていってくれたらな、そう思ってます。


大掃除が終わり長女一言、「私が大人になったら、こんなに物を持たないようにする」

「五人子供いたらね、こうなっちゃうのよ」と開き直る母。(笑)


数は少なくても、一つ一つを大切にしていこうねと話した大掃除でした。



クラフトセクション整理:


ボタンやカラフルな石、


各種毛糸、


こんな木の棒(毛糸を巻いてGod's Eyeなどに)、


フェルトや厚紙、


パイプクリーナーなどもクラフト材料に。


各種ビーズはネックレスやブレスレットにしたり、


こうした板に模様を作りアイロンをかけ溶かし固めたり。


カード類、付箋、小さなノートブック、シール、ステンシル、クレヨン、色鉛筆、マーカーなど。



キッチン近くのスペースには、

カーペットでは避けたい絵の具や粘土やシャボン玉。



玩具もすっきり!

成長は横ばいだったり下がったり

2013-12-29 07:28:32 | 子育てノート
冬休み子供達と一日中密に過ごしているのですが、日々接する上で、覚えておきたい大切なことを一つ整理。

子供達を見ていると、すっと初めからできないということが多くあります。

それは何も難しいことだけでなく、シンプルな例をそのままあてはめて問題を解いてみるとか、シンプルなインストラクションを理解して何かをするとか、シンプルな楽譜そのままにピアノを弾いてみるなどもです。

えっ?なんでこんなことができないの? とぎょっとして周りを見回すと、多くの子はさらりとできてしまっていたり。

それでも、ああこの子には無理なんだなと諦めた頃、突然できていたりすることがあります。

四人見てくださった小学校の先生も、同じようなことを言っていました。

「ああこの子には難しすぎるのかな、何度言ってもどうしても分からないのかな。そう思ったら次の日突然全部できていたりするのよね」


つくづく思うのは、子供が何かをできるようになるプロセスというのは、大人が思うほど単純じゃないということ。

線にするとこんなイメージ:

一直線に上へ向かって伸びていくわけじゃない。変化がないように見えたり時に下がったりもして、ちょっとずつ伸びていく。そしてこの横ばいになったり、下降したりの時期というのは、より深く潜りより根本から「分かろう」としている時期だったりもするんだな、子供たちの変化を何度も目の当たりにする内に、徐々にそう思うようになりました。

それでも1や2や3の時点で、多くの場合、「ああもうこの子はだめだ」と諦めてしまう。

この成長の波が、決められた時期にある試験や発表に間に合わないことも確かにあるかもしれない。そんな時は、「あなたはこんな程度ですよ」といった「結果」を手にすることになり。そんな結果の連続に、ああ自分はこの程度なんだなと思い込んでしまい。

それでも「結果」は成長の「過程」なのだと、歩き続けていくこと。親は子供達がもらってくるレッテルを剥がし続け、まだまだ先があるのよと励ましその子の持てる最大限の地点にたどり着けるようサポートしていくためにいる。

長い目で、見守っていきたいです。

自分のしたい!と周りのしたい!

2013-12-29 07:28:30 | 子育てノート
冬休みの大まかな予定を学校最終日の夜話し合い。そり、スキー、スケートなどとにかく一度は出かけることにしよう、出かける前に済ませておくこと、夜することは何かを確認、そして忘年会や御節作りなどのイベントと共に、カレンダーに書き込む。

毎晩、その大まかな計画をより煮詰める話し合い。明日の朝ごはんはパンケーキ、オムレツ、フレンチトースト、クレープ、ポリッジ、シリアルが食べたい! どこに何をしに何時に出かけたい!

五人、これが見事にばらばらで。食事などは出されたものは文句言わずに食べると確認し合ってあるので、話し合わずに「では食べましょう」と出してしまうこともよくあります。

問題は、どこに何をしに出かけるか。

ちょっとだけ出かけることにして、家でゆっくり過ごしたい。ちょっと気合の入ったアドベンチャーをしたい。あの坂はそりには急すぎる、こっちの坂は緩すぎる、あの湖は込んでいる、この湖はスケートには小さすぎる。あのトレールは長すぎ、このトレールは短すぎ。

年齢も違い、満足する運動量も違う五人、なかなか「ここにこれ!」と皆が同意するのは難しい。

それでも「話し合い」のいいところは、子供一人一人が主体的になれること。今日はこうします、と親が決めた予定を差し出されるよりも、自分が決めたことだと、準備も意欲的で、楽しみ方も違う。また何かうまくいかないことが起こっても、部外者の心持で人のせいにせず、今度はどうしたらいいだろう?と考えていける。

話し合いの基本として同意しているのが:

1.自分の意向を整理して表す

2.相手を理解しようとする

3.自分と相手が共に納得する着地点を見出そうとする



例えば、

まずは意向を出し合います。

A:スケートに行こう! 

B:私はクロスカントリースキーがいい!

C:家の近くの湖に散歩に行って、後は家でゆっくりしようよ。

D:そりがしたい!


次に互いにどうしてそうしたいのか、より整理して表すようにします。

A:昨日行きたかったけれど、雪が降ったばかりで湖の雪かきが追いついていなかったじゃない? 明日はもうきれいになっているはず。

B:先週行って、靴がきつくてうまく滑れなかったもの。

C:本ゆっくり読みたい。

D:この前行った時、とっても楽しかったから!


そしてなるべく相手の立場気持ちにたって、相手の意向を理解しようとしてみます。その上で、皆が納得できる着地点はないかと模索。

結局、この日は、

きつい靴を店に取替えに行ってから湖に行く、
スケートは長くてせいぜい三時間程の外出、帰ってきてから寝るまでだって五時間以上はあるから、それから本をゆっくり読む、
そりへ行ったのは三日前、スケートは五日前だから、そりはまた明日以降に。

と決定。皆それなりにそれぞれの意向が満たされ、満足のようでした。



自分のしたい!と周りのしたい!

自分の主張だけを通そうとするだけでなく、自分を抑えて周りに合わすだけでもなく、

共に納得できる着地点を見出そうとすること。



毎日が練習の機会です。

子育てノート、風刺について

2013-12-29 07:26:41 | 子育てノート
ティーンやプレティーンのジョーク、風刺を含んだ少しひねったものが増えてきた。


風刺というのは、普段当たり前に感じている風景を違う角度から捉え、その滑稽さを明らかにしようとする試みと言えるだろう。


私自身、風刺を連ね、ニヒルに毒づいているだけの時期が長いことあった。風刺が実際に行為を起こす力を弱める「ガス抜き」となり、ここぞと言う時に真摯に突破する行為をそぎ落としていた。

ニヒルの奥には、とてつもなく弱く傷つきやすく震える心がある。


風刺が「気づく入口」であること、そこから長い道のりを真摯に歩く、笑いに力をもらいつつ。


あと、弱者への風刺も何らポジティブな力を生み出さない。


親の風刺、体制の風刺、世間一般の風刺、より力を持って見えるものの滑稽さを浮かび上がらせる風刺。それらで緩め、元気を取り戻しつつも、実際に行為を起こす!

そんな話を子供達と。

次女スペリングビー、「学習の穴」について

2013-12-22 06:08:02 | 子育てノート
四年生次女がスペリングビー(スペルの正しさを競うコンテスト)のクラス代表二人の内の一人に選ばれた。クラス内で勝ち抜き戦をし、最後に残った五人で放課までもつれこんでの激戦の末。

フォトグラフィックメモリーを持つクラスメートもいる中で、よく頑張ったなあと思う。

スタディーガイドとして事前に渡された450の単語リストには、hoi polloi, fait accompli, sotto voce, ventriloquy, chiffonade, aphasia, encryption, pyrotechnics, epizootic, cephalopod, anthropomorphicなど聞いたこともない単語が並び、一緒に練習するにも「ママの発音じゃ分からない!」と、音声付電子辞書片手に自分で二週間ほど勉強していました。勝ち抜き選では、リスト以外の単語も出されたそう。


 次女の最近の様子なのですが、「学習面の穴」(全体的な彼女の様子から、必ずできるだろうはずのことができなかったりする)への懸念から始まった今学年、カリキュラムが今年から変わり、より複雑な文章題や概念の理解が重視されるようになった算数も、今のところ順調、他の読解面も、自分から本を読むようになるにつれ(学校の課題などでは結構な量読んできてはいたのですが)、穴が目立たなくなってきているようです。(「サポートし続けるということ」

これまでの彼女を観てきて、この「穴」の原因になっていると感じるのが以下の二つです。

1.ピントがうまく合わない。細か過ぎて全体が見えなかったり、全体の流れを見過ぎて細部がつじつま合わなく見えてしまったり。

2.メンタル面。「できない・分からない」ことに面した時の動揺の大きさ。


は、例えば今週、クラスでお友達とプレゼント交換するということで担任の先生からもらってきたニュースレター:

Day 2: Bring some small gifts、such as cards or handmade things.
Day 3: Prepare some gifts (less than $10.00)


二日目の「カード」には「手作り」と書かれていないので、カードは手作りじゃない方がいいのだろうか、ということは、それも含めてそして他の「some small gifts 」も含めて「10ドル以下」にする必要があるのか、そう真剣に混乱してフラストレーションを感じていて。玩具屋でこの文章を前に、結構長い間諭しなだめのやりとり。

少しでも矛盾していると、前へ進めなくなってしまうようなところがあります。算数の文章題などでも、文章を区切るコンマの使い方などにつまづき、意味が分からなくなってしまったり。本を読むのが億劫なのも、こうした理由が大きかったように思います。少しでもつじつまが合わなくなってくると、堪えられなくて投げ出す。

それでも、最近では自分から本に手を伸ばすようにもなり(「パーシージャクソンシリーズ」にはまりました)、こうしてより多くの文章に触れるこで、細部でつまずいても、全体的に感じ取り次へ進むことができるようになるのかなと。


については、深呼吸して、すぐに分からなくてもいい、と言い聞かせるようにし。キーワードを書き出してみたり、図にしてみたり、またひとまず次へいってみることで徐々に分かってくることもあると。

 私自身の態度を変えたのも大きかったと感じてます。あれをしながらこれをしながらの片手間に宿題などを聞かれ、すぐに分からないとこちらまでイラっとし「何で分からないの!」となってしまったり(特にこちらが当たり前に感じることに混乱しているように見える時など)。そして「家では」感情表現激しい彼女の爆発に、またこちらも爆発。彼女に向き合う時は、とにかく落ち着くようにとまずは私自身に言い聞かせ、「分からなくてもいい、分かるまでゆっくり時間をかけて向かおう」と声をかけながら一緒に座ってじっくり向き合う。本人、随分と落ち着いて根気良く課題に向かえるようになりました。



 夫からの遺伝率、そして彼女の「読解が弱く見える」ことから、ディスレクシアを思ったのですが、よく言われる文字がひっくり返って見える、スペルが弱いというのともまた違い。「ディスレクシア」にも本当に様々な症状があるようで、重度のディスレクシアとされた夫の文章の読み方も、少し次女に似たようなところがあります、ピントの合わせ方が不器用。

 大切なのは、どうサポートしていけるか、花開かせていくかということで。「ディスレクシア」という分類がその助けとなるのならば、活用させていただきたい、そんな気持ちです。

 子供達を見ていてつくづく思うのは、子供によって本当に得て不得手が様々だということ。長男はスペル苦手、クラスでのスペリングビー勝ち抜き選はいつも一ラウンドでアウト状態。スペルテストなどは範囲が決められ注意を払うからできるものの、何気なく書いた文章などスペルミス続出。一方、読解力が強く、複雑な概念を操ることができる。

長女は、凹目につかず、生活面から何から全体的に満遍ない。

三女と次男はこれからどういった傾向を表すのか、覚悟しつつ、楽しみでもあります。


 一月の学校のスペリングビーに向け、次女うきうきで張り切っています。兄弟姉妹真ん中で、普段どうしても上と下の間に隠れてしまいがちなのですが、こういう晴れ舞台が彼女にも与えられて、よかったなと感謝してます。五年生六年生強豪相手、また一つ、いい体験です!

ティーンな長男、その子の内のせめぎ合いに委ねて

2013-12-15 08:07:59 | 子育てノート
夫出張の今週、山積みの家事と次男の相手と共に、いつもは手分けしている長男早朝のジムや中学小学校そして放課後の習い事の送迎、おまけにホリデイ前ということで学校で親を招いた行事があったりと、なかなかチャレンジグな日々でした。

そこへ木曜日、次女の放課後のアートクラブと三女と長女のピアノレッスンが重なってしまい。三女と長女をピアノに降ろし、往復四十分程の小学校へ次女を迎えに行き、再びピアノの先生宅に戻って、とできなくもないのですが、週末のピアノ発表会前の最後のレッスン、直すべきところなど私も傍で見ていた方がどうもよさそう。
ということで、次女にアートクラブを休ませることに。ところがこのアートクラブ、年に二度のそれぞれ二日セッションのみ。先週作ったものをこの日完成させ、持ち帰ることになっているの!そう指折り数え楽しみにしていた次女、さめざめと泣き続ける。

長男と相談。いつもはピアノについていく長男、家にいて、往復四十分ほど、歩いて次女を迎えに行き連れ帰ってくれないかと。

最初あまり考えずに「OK」と言っていた長男、前夜になり、「ピアノの先生宅の静かな部屋で宿題をしたい。雪降るマイナス十度の真っ暗な中、歩き続けるのは嫌だな」と。
他の保護者に三十分ほど見て貰う(知り合いは誰も参加していない)、学校で一人で待つ(その時間校舎に生徒一人は許されない)など、他に何か方法がないかと長男と共に考えるも、解決策は見つからず。「○○(次女)が休めばいいんだよ」という長男の言葉に、次女また泣き始める。

「これくらいの道のり何でもないじゃない、いい運動よ」「手伝ってくれたら本当に助かる」「パパのいないこういう時こそ助け合おうよ」

そう言葉をかけるほど、長男も不機嫌になり。最後は私も怒り始め、

「もういい! ママが何とかするから」と言い放つ。

お互い気まづいまま就寝。



ベッドに寝転びながら、

まずは、「こうあって欲しいという彼の姿」と「現実の彼の姿」のギャップに、「がっかり」している自分にこれは「過程」なのだと声をかける。

次に、彼の側に立って、彼の内面に何が起こっているのか整理してみる。

1.暖かい屋内で心地よく過ごしたい (自分のため)

2.親も妹も困っているのだから手伝いたい (他者のため)

3.親に左右されない自我を確立したい。 (親離れ反抗期)

大人に成りかけ反抗期子供の十四歳、彼の中では、どうもこの「3」が大きいように感じる。「1」を感じ始めて、「3」がますます増大といったところか。

突き放すことで、「1」や「3」を叶えさせるより、強制的にでも行かせて「2」を体験させた方が、結局は彼のためになるんじゃないかなあとも思ったり。

あれやこれや思いながら、眠りに落ちる。


翌朝、ジムは六時前と早いので、いつも起こされないと起きないのに、自分で起き準備を黙々とする長男。こんなこと初めて! どうも彼もゆっくりと寝られなかったようで、気まずい表情をひきずったまま。

ジムへ向かう車の中で言う。

「僕は行きたくない。でももし行かなければならないなら行くよ」

「助かる。ありがとう」と言うと、頷いて、窓の外を向いた。



その日午後中学へ迎えに行き、アートクラブは何時に終わり、校舎のどこで落ち合いと具体的な予定を立てる。「で、僕はこれでいくらもらえるんだっけ」と冗談言って笑う長男。すっきりしたいつもの表情。

家に長男を降ろし、三女を迎えに行ってピアノへ。長男はその間に次女を連れ帰って暖かい家の中にいるだろうとピアノから戻ると、家の周りをうろうろしている長男が。何でも、鍵を持っていくのを忘れ、三十分程外で待っていたと! 次女は凍りついたドライブウェイに留めてある車の中に! 家に入り、真っ赤な頬に冷え切った手を合わせ、けたけたと笑い転げる長男と次女・・・。

つられて笑いながら、ああよかったと思う。それでも、行ってよかったと一番感じているのは、他の誰でもない長男自身なんじゃないかな、彼の笑顔を見ながら、そう思った。




整理:

・思春期の子に、同じことを言い続けても、反発するだけ。伝えることを伝えたら、少し離れ、その子自身でその子の内面のせめぎ合いを体験させてみる。今回はそう意図したということではなく、私自身もたなくなって突き放したのですが、結果的にそれがよかったです。(笑) 時には「1、自分のため」を選んだり、「3、親離れ反抗期」に囚われ続けることもあるかもしれない。それでも、それも「過程」として、こちらが大切に思うことをさりげなく伝えながら、見守る。


・「なければならない」といった「義務」のような部分を強調する長男、それでも、その奥に「2、他者のためにしたい」がある。そしてこれから自分が本当に辛いときに助けられたりといった体験を何度も重ねる内に、心の底からの「2、他者のため」が開いていくだろう。まずはハード面(義務)を整えておくと、ソフト面も開き易いということもあるだろう。


・思春期は、「3、親離れ反抗期」が絡んでより複雑だけれど、「1、自分の心地よさのため」と「2、周りのため」のせめぎ合いは、大人になっても常にあるもの。このせめぎ合いには、自分の内に「1」があるのだと認め自覚しつつ、ここぞというときには、「1」を赤子のようになだめあやしながら、とにかく「2」の「行為を刻む」ということなのだろう。



伝え、下がり、こちらも頭を冷やし、後はその子自身のせめぎ合いに委ねてみる。

押して、引いて、ティーンとのダンス!




真っ暗闇のこんな車の中で、三十分ほど待機。(笑)


アートクラブから長男と戻り外で凍えて一時間後、宿題して夕食さっとすませ、次女コーラスの発表会へ。


じんぐるべ~る、クリスマスキャロル!


じゃ~ん、と終わり。


アートクラブも、コーラスも無事参加できて、良かったね。

すっとできる子できない子

2013-12-15 08:05:51 | 子育てノート
屋内プレイ施設でお友達と次男を遊ばせながら、友人が絵を描いてくれた。

次女と私。


友人は、子供時代からこうしたイラスト画をスラスラと描けたらしい。周りの子達って、なんで描けないだろうと不思議だったと。

いました! クラスに絵のうまい子。

そして身近なところで、実兄もそうでした。小学生の時から結構本格的な漫画を描いていた。

私自身は描けない方。写生大会などで兄と共に入賞したことはちょこちょこあったけれど、こうしたイラスト画は全然。兄の傍で、さっさと引かれる線から浮かび上がってくる人や動物や物を見ながら、どうしてこんなことができるのだろうと不思議でしょうがなかった。

絵が描ける人を見ていると、周りの人や物を見ながら、描いてみようと色々試し、どうしたらもっと良くなるだろうかとあれやこれや工夫している。同じ人や物を見ても、私はそもそも「描いてみよう」という発想が生まれない。前者と後者とでは、「描く」ということにかける現実的物理的エネルギーから時間から大きな隔たりができる。

「もっと良くするためにあれやこれや工夫する」ことは、「努力」と呼ばれるものだけれど、絵が描ける本人達を見ていると、「努力している」なんていう感覚はなく、ただもう好きでどうしてものめり込んでしまうといった様子。

これが、「努力のこつ」なのだろうなと思う。「自分は努力している!」といった「固さや凝り」が溶け没頭した状態。この状態を継続することで、徐々に形が現れてくる。



絵はまだ描けなくても困ることはないのだけれど、子供達が一日の大半を過ごす学校で重視される「勉強」が「できないこと」であると、子供達にとってきついだろう。絵を描くことに興味がないのに、あれやこれや示されうまく描きなさいと言われ、その上「努力が足りないからよ!」と言われても辛い。「努力しなきゃ、努力するべき」と「固さや凝り」だらけになってしまう。

皆が皆、初めから絵を描くことができるわけでもない。鼻はこうして描くといい、目を描くにはこうしたらいい、そう一から手取り足取り習うことで、伸びていく子もいる。また、それまでには聞いたこともなかった方法に触れることで、楽しさを知る子もいる。

小学生の時、母親とその友人達が、地元の芸大の学生達に先生になってもらい、私の通っていた学童保育や近所の子を集めて「アート教室」を開いていたことがある。消しては描いてと、恐る恐る線を引く私に、「上から描けばいいだよ」と教えてくれた顎鬚の学生さん。様々な線が交わる中に浮かび上がる「描きたかったもの」を前に、こんな方法があるのか!と呆然としたのを覚えている。炭の線をパンでぼかしたり、石や小枝やプラスティックの容器や、身の回りの見慣れたものが、アートに変身する様が楽しかった。

「できなくて苦労する」子には、既成の方法では楽しさが見出せない場合もある。そんな時、楽しさを引き出すような機会に触れる場がもっとあればと思う。そして家庭も、そんな場であることができたら。学校に上がる前の家庭での準備とは、その子が自ずとはまりこんでしまえるよう、この「学ぶ楽しさ」を体験させ習慣にしてしまうことだとつくづく思う。



すっとできる子

工夫し続けることで、もっとよくなるという楽しさを教える

周りと比べて傲慢になったり胡坐をかいてしまわないよう、昨日の自分自身と比べるようにする。

感覚的にできることを、様々な角度から論理的意識的にもできるようトレーニング


できなくて苦労する子

「努力が足りない!」と言われても、途方にくれるだけ

その子に合ったペースとレベルで、忍耐強く教える

周りと比べ焦らず、その子自身の「できた!」を大切にする

違う方法に触れさす



我が家も五人様々。同じ子でも向かう対象によって、できたりできなかったり。その子のその時に合った対応をしていきたいです。

イラストは相変わらずさっぱりですが、今でも時々絵を描いたりと、私もアート、楽しんでます!

長女十二歳のピアス、親と子の選択

2013-12-08 09:52:58 | 子育てノート
長女12歳がピアスをしたいとここ何年か言い続けている。「十八歳になってからね」と伝えてはいたものの、長女からの押しも徐々に強く。

何しろ、六年生時のクラスを見回しても、二十人ほどの女子の中で、ピアスしていないのは長女を入れて三人!だった。一人は、「十八になってからね」と家のように親に言われていて、もう一人は本人全く興味ないという理由。中学生にもなると、「していない子」を見つけるのは至難、といった状況。

こちらでは、これほど「当たり前」のピアス。よちよち歩きの幼児や、生まれて間もない赤ちゃん時代からしている子もいる。



長女と、ピアスとは何かと、調べてみた。

ピアスなどの「身体変工 (body modification)」というのは、古今東西見られた文化。腰を極端に細くするコルセットや割礼や刺青、足を小さくする纏足や、頭を細くしたり、頭蓋に穴を開けるなんていうものもある(学生時代、恐る恐る何度か読んだ『身体文化人類学 身体変工と食人』BY 吉岡郁夫より)。現代のプラスティックサージェリーなどもその一つだろう。その中でもピアスは、最も広い地域で、最も長い間見られた慣習ともいえる。五千年前のもの!が発掘されている。

ピアスをする理由には、宗教的なものから、コミュニティーでの地位を主張するためなどがあったのだけれど、現代では、もっぱら「美」を意識したファッションのためだろう。また数を多くしたり耳以外の箇所にすることで、カウンターカルチャー的な意味合いを持つ場合もある。

長女が思い描いているのは、耳たぶに一つずつというオーソドックスなもの。身体変工について調べているうちに、耳に小さな穴を開けるということが、なんて小さく可愛らしいものなのだろうと思えてきた。(笑)



夫と私が、「十八まで」と踏みとどまっている理由は、身体に人工的な手を加えるより、できるだけ自然なままの方がいいじゃな~い、という思いもあるのだけれど、健康面の問題によるところも大きい。

私自身十九歳の時に開けたものの、炎症を起こし塞がった経験がある。辺境地域を旅していて手入れがうまくできなかったということが大きかったのだけれど、しばらく膿んでじくじくと大変だった。鼻にもピアスを開けようと思っていたけれど、元々鼻が弱く鼻炎気味なので、余分なことをしないほうがいいだろうと断念(頻繁に鼻かんで傷つけてしまうかなあと)した経歴もあり。

それでも最近、耳の手入れをきちんとし、素材を吟味するのなら、ピアスしてもいいかなと変わりつつある。

子供が成長するにつれ、親の思いをより絞りこみ、後はできるだけ本人自身が様々試せる範囲を持たせた方が、その子がいずれその子自身で歩いていく上でより助けとなる、そう感じつつあるため。

図にするとこういったイメージ:



その子が日常的なことをその子なりにきちんとし、健康面でも管理できるのならば、自由にさせてやろうと。

長女、嬉々として、どこで開けるか(小児科医にそのようなサービスはないらしい)、素材を何にするか、リサーチ中です!

ソーダ缶、境界とリスク

2013-12-08 09:51:08 | 子育てノート
週半ば、中学校の駐車場。迎えの車に乗り込んだ長男、シートベルトしめながら決まり悪そうに笑い、「ママ怒らないでよ、サイエンスの先生が後でメールするって」

「な、何したの・・・」

 長男談:サイエンスの教室でランチを食べた友人が、ソーダをくれたので、冷やして後で飲もうと少し開いた窓のサッシに置いた。サイエンスの授業が始まり、先生が窓を閉めようとして、ひじが当たり缶が外へ落ちる。長男、窓からジャ~ンプして缶を取りに行き、窓から戻る。先生呆然、「あなた一体授業中に何してるの・・・。後で親にメールします」 他の子達笑う。



これまでの長男を見ていると、ここは越えない方がいいという「境界」を、結構守るタイプ。といって「いい子」でもなく、授業中ふざけていて注意されるということはちょこちょこ。またとても仲のいい友達というのは、ちょっと羽目をはずし過ぎるいわゆる「問題児」が多く、その中の一人は問題続き(といってもまだまだドラッグとかそういうことではなく、先生の言うことを聞かないとか課題を出さないなど)で結局今年から違う学校へ移ってしまった。

今までを振り返り親への連絡があったのは:

六年生の時に、ランチルームで車輪のついたゴミ箱に乗って友達とレースし、校長室に呼ばれる(小学校では停学の次に重い処分)。その友達(今でも親友)が校長室の常連でもあったことから、長男には、「お友達の誘いを自身の判断できちんと断る」という指導だったよう。この出来事は、一部始終を見ていた次女のクラスで、今も語り草になっているという。(笑)

中学一年のとき、クロスカントリーの部活時に、お友達と叩き合いをしていて、一日校内停学(こちら)。喧嘩ではなく仲良し同士のふざけあい。この出来事は本人にもかなりこたえたよう。



話し合い。

「当たり前のこと」に挑戦したくなる思春期の特性が絡んではいるとは思うのですが、「窓は出入りするものじゃない!」とまずは基本を確認

そして「境界」「リスク」について話しました。

「じゃあ、NPO活動中にそういうことが起こっても同じことする?」

「絶対しない」

彼が熱心にはまっているNPO活動は、軍隊的な厳しい規律に則ったもので、また周りを教える立場にもあるため、彼が一番しゃきんとする場。

「だよね。じゃあ何で学校ではしたんだろう。その場その場にここは越えちゃいけないという『境界』があるの分かってるんだよね。今回は、その咄嗟の境界の見極め、甘かったんじゃない?」

そう言うと、

ソーダ缶が雪の上で凍ったら破裂してしまう可能性がある、それに落ちたのは外から回ったのでは取りにいけない場所、怒られるだろうけれど、まあそれほど悪いことにはならないのではないか、最悪の場合でもdetention(ランチタイム拘留)だろうと思ったと。

ここからは、「笑っては済まされない境界」というのは、見えていたよう。それでもソーダを選んだと・・・。

「境界を越えるときには、『得る』ものもあるかもしれないけれど、必ず何かを『失う』かもしれないという『リスク』がある。咄嗟に『得るもの』と『失うもの』を天秤にかけていたようだけれど、リスクはね、もっと価値あるもののために犯すものよ

得るもの:ソーダ

失う可能性のあるもの: 他の子達の授業への集中、先生があなたのために割く時間と手間(注意、拘留)、先生との関係、楽しいランチの時間、落ち着いた気持ち(親へメールが行くとそわそわ)

あなたが失いそうになったものは、ソーダなんかよりも、ずっと大切なものじゃない?

14歳くらいになると、少し論理的に話した方が、心に届くようです。

ミステイクからできるだけ多くを学んで、次へと生かしていこうねと納得し合い。



結局、その後も先生からのメールはなく、その場口頭での注意で終わったようでした。

先生も忙しいし、今回は、あなたが分かったと判断して連絡がなかったのだろうけれど、「二回目」はそうはいかないよねと話し。 



これから「ソーダなんて可愛い」と思えるような、様々な誘惑もあるでしょう。こうした一つ一つの体験が、誘惑を前に、「何がより大切なのか」を見つめるための訓練になればと、思っています。

失敗は次への架け橋、そう信じつつ。

子育てノート、子供達から親へ

2013-12-01 10:53:08 | 子育てノート
連休、子供達とも一緒に過ごす時間が増え。

忙しくしていると、こうした方がいい、ああしなさい、そんなこちら側からの考え思いを伝えることでついついいっぱいいっぱいに日々進んでいってしまうのですが、少しゆっくりと長男14歳長女12歳が思っていることを聞く時間を持ってみました。

ママとパパがもっとこうであったらいい、というような提案ある?

1.もっとフレキシブルであってほしい。

2.怒って叫ばないでほしい。落ち着いて話してもきちんと聞いてるから。

3.もっと忍耐を。

4.もっと同意してほしい。

5.僕達私達の視点からも、物事を眺めて欲しい。

6.できないことばかり咎めるのでなく、できてる時も見て欲しい。

7.注意ばかりでなく、もっと褒めて。

8.特にママへ、ここにいながらいないことがよくあるけれど、きちんとここにいてね。



「でもね」と言葉を挟みたくなる衝動を抑え、とにかくまずは聞いてみる。その衝動の大きさといったら! 自分でも驚きました。(笑)


8については、普段考えごとや空想の世界に入り込んでしまうことが多いためです。子供達の言葉もすぐに届かなかったり。「これ食べていい?」と聞かれ、まずは「これ食べていい?」と口に出し自分に繰り返すことで空想妄想の世界から戻ってき、「これ食べていい?」の意味を考え、そして食べていいかを考えて答えるといったことがあります。「何でママって質問を繰り返すの?」と聞かれ。それでも、「本当に危ない」など危機の時は咄嗟に動きます(はずです)。

思えば五人の子育ては、こうした私の空想壁にダイナミックさを与えてくれました。だらだらと浮遊し考え続けない、こまめに中断することで、新しい観点が生まれたり、リフレッシュすることで、こつこつとより長い間かけて集中できたり。

今はここにいる、今は考え事をする、そう優先順位を整理し、子供達が必要とする時はできるだけプリゼントである(今ここにいる)ことを心がけたいです。



日々一つ一つ思い出していこうと、1から8まで書き留め。

彼彼女が親となり、いつかその「難しさ」を理解する日も来るのでしょうね。

こうして子供達の思いを聞くことで、こちらの言葉もより届くようになる、そう感じています。




・長男とは昔についての話もしました。

泣き虫で繊細だった幼少期。長男曰く「ピーピーすぐ泣いてたのは、ママの存在が大きかったように思う」と。

彼自身、周りの様子を敏感に察知する子だったのですが、確かに私自身初めての子で、右も左も分からず、一つ一つのことに極端に動揺し驚き不安定といったことがありました。善い悪いを小さな頃から大人に話すように論理的に説明し当てはめようとしたり、随分無理があったなあと。

こういうことは相互作用で、その子の性質と母親とどちらだけが原因ということはないのでしょうが、家の場合は、確かに私の影響は大きかっただろうなと。

他の四人も、周りの様子を敏感に察知するといった面では似ていて、私の心の動揺や私からルールを守らせることへのプレッシャーは、なるべく与えないようにしています。周りに迷惑をかけない範囲ならば、周りを気にせずもっとのびのびと自分であらせようという方向で。それが子供時代、彼・彼女の内面を整える上で、必要なように感じています。

周りを見回してもネットを見ても、本当に様々なタイプの子がいて。その子に合ったバランスを、身近な大人が探っていけるといいですね。



大人子供な年となった長男長女、こうして「子育て」について共に振り返るときも来るんだなあと感慨深いです。下の子達の子育てについて、一緒に話し合ったり。(笑)

子供達とたくさん話した連休。これからに生かしていきたいです!

ドイツで出会った活動家

2013-11-24 10:09:45 | 子育てノート
十代最後の年、ドイツを訪ねた。議員や活動家の団体に加わり、最年少の参加だった。各地の市民運動団体と交流し、ホームステイしながら、強制収容所や秘密警察の施設跡を巡り、最後は同じ過ちを繰り返さないためにと、ベルリン市長に広島の被爆瓦を手渡し。二週間のスケジュールが終わり、その後二週間、知り合いになった人々を訪ねて一人旅した。

マインという町では、「緑の党」の元議員の家に泊まった。元議員といってもまだ二十代。私が接していたグループがそうだったのか、緑の党全体がそうなのか分からないけれど、若手の党員が議員をするといいんだ、そういった誰かがしなければならないことは、早い内に終わらせておけば、より本格的に活動に没頭できる、そう言っていた。議員であることの「ステイタス」とか、そういうものには全く頓着しないんだなと、驚いたのを覚えている。

「捕鯨」についてとてもラディカルな立場をとる緑の党、彼の友人達と集まると、何度も議論になった。他の党員が、食べ物に困っているわけでもないのに、まだ捕鯨を続けているなんて言語道断! といった態度に対し、彼は、僕達だって慣れ親しんだ牛や豚や鳥を食べ続けてる、日本人にとって鯨は同じような位置づけなんだよね。僕たちがあなたたちを批判する立場にはない。僕はね、肉を食べることを減らしつつある。そう言っていた。

また彼は民族音楽とロックを合わせたようなバンドもしていて、ベースを担当。トルコ人などの移民の友人と一緒にしているんだと、LPをプレゼントしてくれた。

ベースを弾きながら、彼はこんなことを言った。

いつも世界の問題について考えていたら、普通の生活ができなくなってしまってね。世界は問題に溢れている、暖かい家で、ママ手作りのルバーブケーキを食べていたとしてもね。いつしか僕は、笑うことさえできなくなってしまったんだ。世界の問題を嘆きながら、その次の瞬間にビール片手に笑って冗談を言い合う人々が、偽善者に見えてしょうがなかった。

でもね、それは違うのかなと思い始めたんだよ。ここで僕が楽しんでいるということは、世界を不幸にしない。むしろここで楽しんでいる、そんなスピリットが、世界を照らすんだよ。

それでね、僕はベースを始めたんだ

僕は今世界の問題について少しでも何かできないかと毎日活動してて、そして毎日音楽もしている。両方を続けることでね、僕が僕であるということを、より生かせられる、そう思っている。

彼の人生に対する姿勢は、当時十九歳の私に、その後どう生きていくかのヒントを与えてくれたように思う。

具体的現実的に周りへ何かをしていくということ、そして、ここに自分が楽しんでいるというスピリット。


今までの人生を振り返ると、こんなスパークの瞬間となるような出会いが、あちらこちらに散りばめられている。

これから大きくなる子供達、どんな出会いを重ねていくのか、楽しみです。

子供達とインターネット

2013-11-23 01:03:19 | 子育てノート
学校から帰宅した長女が、「ママ! SとKが新聞の一面に出てるの!」と、大親友のKちゃんが送ってくれたという「アンカレッジ・デイリー・ニュース」を見せてくれる。ほらっ!と、スマートフォンの小さな画面をスクロールしながら。

記事は、今年度からアンカレッジ市周辺の高校と中学で実験的に始められている「BYOD(Bring Your Own Device:自分自身の機器を持ってきて)」について(こちら)。高校七校の内三校、中学十校近くの内一校が実験校となっていて、長男長女が通っている中学がそれに当たる。

「BYOD」とは、授業に、自分自身のスマートフォンやiPadやラップトップを活用するというもの。記事には、社会の授業に自分のラップトップでインターネットにアクセスしてリサーチするSちゃんの様子が一面に、ブラスバンドの練習にiPhoneでチューン合わせをするKちゃんのインタビューも載っている。

現在、高校では十人に九人、中学で十人に八人が持っているとされるスマートフォン。

EdModoというアプリでホームワークをチェックし、ネットに日々アップデートされる成績をzangleで見て、フラッシュカードのようなアプリQuizlet で勉強する。そんな高校生の勉強風景が紹介されている。「身体の一部」と喩える高校生も。



我が家でも、お友達とスカイプで問題を解き合い、先生も含めてテキスト交換で宿題や課題の確認をし合っている。教科書もネットにアクセスするので家に持ち帰る必要もなくバックパックが軽いと喜ぶ長女、そして課題があれば、必ずネットでリサーチ。毎日の生活で、インターネットにアクセスしない日はない。

「教科書は静態的だけれど、インターネットはダイナミック、果てしない広がりがある」と長女の社会科の先生のインタビュー。確かに、興味をもったことについて、どんどん深め広げていくことのできるツールだと思う。




それでも、勉強に活用できるどころか、勉強などにはますます身が入らなくなるといった声も。授業中にネットソーシャルしていたり、禁止されている時間でもWiFiから4Gに切り替え使い続けたりと、「違反者」も後を絶たないという高校のケースが取りあげられている。確かに、常に「誘惑の元」を手にしているようなものともいえるかもしれない。

中学では、今のところ高校よりも「使ってよい時間」がより厳しく監視されているようで(ランチ中に用いて取り上げられる子も)、メールチェックや関係ないサイトを見るなど「他ごと」をしていると、クラスでもすぐに分かると長男長女。

また「いじめ」を気にする親の声も載せられている。あっという間に全校中そして世界中に情報がいきわたってしまう、それが特定の人物に対するネガティブなコメントであっても。

友人とこういったテーマについて話していると、昔は「学校での誘惑」といえば、「早弁」くらいだったよねえ、私達の子供時代って、今思うと、なんて「牧歌的」だったんだろう・・・、そうついつい遠い目で頷き合っていたり。




 「道具としてうまく使う」姿勢を教えていけたら、と思っている。「テクノロジー・リテラシー(tech literacy)」をもっと教えていく必要がある。生徒は自分が読んでいる情報の質を評価することができなければならない」という社会の先生の言葉に頷きながら。

我が家では、長男と長女がスマートフォンを持っているけれど(長女には電話回線をまだつけてない)、使う時間が決めてあり、電話やテキストの送信先・受信先や時間を管理できるシステムを用いている。

今年から 小学四年の次女の宿題に、「タイピング練習」が出されるようになった(中学では課題のほとんどはタイプして提出)。インターネットにアクセスし、タイピング学習のオンライン練習プログラムを活用するというもの。算数もネットにアクセスして練習できるようになっている。親として、「私はアナログ人間だから」とも言ってられない状況。




昨夜そんな話を長男としていると、「あと十年もしたら、どの学校でも当たり前の光景になっているよ。こういった方向に進むのはもう避けられないことだと思うよ」と。二台しかない教室のコンピューターの順番待ちをするよりも、自分のiPhone使ったほうがよほど効率的だし、サイエンスの実験やホワイトボードに書かれた宿題や予定を写真にとったりもできるし、と。

昔彼が十一歳のころ、「僕たちが大きくなるころにはさ、どんな知識だって注射一本で注入できるようになってて、もう学校なんていらなくなっているのかもね」と言っていたのを思い出した。(子供言葉)確かに、もし学校が「知識」のみを教える場ならば、その必要性も薄くなっていくのかもしれない。

知識面を「身体の一部」の機器が担ってくれるのならば、人の役割は、それらをいかに「用いられる形」に組み立てるかだろう。清濁入り交ざる中から「情報を選び取る力」、「考える力」、「クリティカル・シンキング」がこれからますます必要になる。

そして「用いられる形」=「持続可能な形」とするための「根本的なバリュー」を身につけていくこと。

一歩一歩、家庭での取り組みを続けていきたい。

レゴ整理で思ったこと整理

2013-11-23 01:02:20 | 子育てノート
マイナス二十度近くの日が続いた今週、屋内で過ごすことも多く、これまで少しずつ進めていたレゴの整理を終わらせました。

組み立て玩具大好きだった長男、その後娘三人が続き「もっぱらクラフト系/ 時々組み立て玩具」と熱は少し収まっていたものの、ここにきて次男四歳。寝ても覚めても組み立てたい!状態。

昔のインストラクションを引っ張り出し、作ろうとするものの、小さな部品を見つけるのに呆れるほどの時間がかかり。ジャラジャラ~、ザラザラ~と部品で埋まったいくつかの入れ物をかき混ぜ目を凝らし。一センチにも満たないパーツを子ども達と一緒に探し続け一時間程があっという間に過ぎてしまい、あああああ~と頭を抱える(私が)ことも何度か(レゴリーグを上三人がしていたことがあり、結構量あり)。かといって、そうそう新しいキットを買い与えるわけにもいかず。

3日ほどかけての整理が終わり、ほっ。何よりも毎日のように何かしら新しいモデルを作ることができ、うっきうきの次男。

今回のレゴ整理を通し思ったことなど整理:

1.嵐のような日常に「整理の時間」を搾り出すのは大変だけれど、結局、時間的そして経済的にも助かることになり、急がば回れだなあと実感。


2.我が家での整理の際のフォーカスは、レゴに限らず「できる限り子供達が自分でできる空間作り」。手も目も、なかなかかけられないという理由のため。


3.「レゴの整理」という検索でブログを訪ねて下さる方もいるのですが、以前は見た目もきれいということで、「色別」に分けていたのですが、今回全て「形・サイズ別」に。やはりパーツを識別し易く、こちらの方が断然使いやすいですね。


4.分類というのは、見方によっていくつものパターンができる。「厚さ」を見るか、「長さ」を見るか、「機能」を見るかなどで、くくり方も全く違ってくる。「分類の恣意性」をつくづく思う。


5.レゴなどの組み立て玩具は、二通りの楽しみ方がある。

A. インストラクションにそって作る
B. 自分で好きなように作る


AとBを交互に行き来きすることで、アイデアも膨らみ、より複雑なものや面白いものが作れるようになっていく。そしてBのためには、自由に遊べる時間がたっぷり必要


6.5のAにとっては、パーツがそれぞれ離れた引き出しに整然としまってあってもいいのだけれど、Bにとっては、小さな目からも全体を眺められるようになっていた方がいい。

 「面白いもの」というのは、多様さの入り交ざったカオス的な状況から生まれる場合が多い。意外な組み合わせ、たまたま隣にあった普通だったら組み合せようとは思わないものを一緒にしてみることで、おっ!と思うようなものができたりする。

 そこで、小さな引き出しを取り出せていくつも隣同士に並べられるような戸棚がいい。





冬休みに向け、「クラフト・セクション」にも手を入れる予定。「カオスから創造」という意味では、最高の状態にはなっているのですが。(笑)

子供達の意欲・想像力が湧くような空間作りができたら、そう思いつつ。


没頭次男。


あれやこれや組み合わせて。


昨日の「インストラクションにそった作品」。

パーツを揃える手伝いもスムーず!