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靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

集中するには?と話した夜

2014-02-23 09:18:07 | 子育てノート
取り組む物事に深く集中するなら、最大限の力が発揮される。どうしたら集中できるか?について少し調べてみました。

私自身は、限られた細切れ時間、どこだろうとどんな状況であろうと、没頭できるタイプ。それでもそれは、この年になり「時間の貴さ」を身にしみて分かっているからこそ。確かに子供時代を振り返ると、あれやこれやと気が散って、中々目の前の宿題ややるべき課題に集中できないということ、しょっちゅうでした。ええ~、ほとんど何にもしてないのにもう一時間も過ぎてる~!と冷や汗。


頭で「集中しよう」と思っても、まずは、生理的な面が整えられてないと難しい。

1.ヘルシーな食べ物

2.十分な睡眠

3.エキソサイズ


その上に、次のような工夫も。

4.場所を選ぶ: 静かな場がより集中できる人もいれば、雑音がした方が集中できる人も。戸を閉め切ったり耳栓したり、カフェに出かけたりの工夫。

5.気を散らすものを周りに置かない: スマートフォン、マンガなど。これが、なかなか難しいですね。中学生になると、ほとんどの宿題がコンピューターでタイプして提出。ワンクリックすれば、膨大な情報の溢れるインターネットに繋がりますから。目の前にあるけれど、手をつけない、そんなセルフコントロールの日々鍛錬になります。

6.課題を細かく区切る: 五問だけする、この一問だけまずは終わらせるなどと決める。

7.休憩時間を取る: 一時間したら10分お茶を飲む、周りと話をする、などして気分を返変える。

8.深呼吸: 課題にすっと入っていける。

9.リラックス: これをしなきゃ!と力が入りすぎているよりも、リラックスしたフロー状態の方が力を発揮できる。緩みすぎず張りすぎずと、声掛け合ってます。

10.計画表を作り、何時から何時までは集中して取り組むと決める:全体的な流れが整理され把握されていると、あれもこれもしなきゃという頭の中の雑音が静まる。


どんな時にマックスに集中できたかなど、自分を観察し、自分なりに工夫していけるといいね、そう中学生組みと話した夜でした。

六歳三女サイエンス・プロジェクト

2014-02-22 23:59:07 | 子育てノート
六歳三女のサイエンス・プロジェクト。

準備して、実験して、目で見て触って、まとめて。上の子達、何年も前の実験について、未だに話します。

まずは身の回りの物事に疑問を持つことから → その疑問に対して「仮説」を立ててみる → 実験 → 結果を記録 → どうしてそうなるのかを探索 といった流れに沿って。


疑問:「温度によって、風船の大きさは変化する?」

仮説: 暖かいと膨らんで、寒いと萎むと思う。

用意するもの: 
風船
耐熱ガラス瓶

熱湯
氷水


手順:
 
1.沸騰させ。


2.風船をガラス瓶の口にかぶせ


3.熱湯につける。観察。


4.今度は氷水につける。観察



結果の観察:

室温では、萎んで垂れ下がっていたのが、熱湯につけると膨らみ、氷水につけると縮んで、ガラス瓶の中へ引っ張られた!


 
どうして?:

 温度が上がると、空気の「分子」が活発に動いて、互いにぶつかりよりスペースが必要になるため。温度が下がると、分子の動きも鈍くなり、スペースを必要としないため。

(動く分子、韓国の国旗みたい・・・、と横から次女。)


 「分子」って何? その物の性質を持つ最小限の単位。分子は「原子」から成るのだけれど、原子はその物の性質を持っていはいない。





 自分自身も含めて、身の回りの全てのものが「分子」でできている、そしてそれらの「分子」は、常に動いているということ、六歳児にとって驚きの発見だったようです。

 自分の手、鉛筆、ノート、机、まじまじと見つめて、分子が動いてるんだあ! と叫んでました。(笑)

才能とタフさ、共に伸ばしていく

2014-02-16 08:23:53 | 子育てノート
TED、面白アイデアに溢れていてしかも一つ一つが短くて。細切れに空く時間に、ちょこちょこと聞くのに最高です。

そんな中で、子供達、周りの子達を見てきて、漠然と思っていることが、具体的な言葉で表されてる、と感じたのが、Angela Lee Duckworth氏の”The key to success?Grit”でした。(日本語http://www.ted.com/talks/lang/ja/angela_lee_duckworth_the_key_to_success_grit.html)。

以下、2013年5月のTEDのスピーチの要約です:

ダックワース氏は、経営コンサルタントから公立中学の数学教師になり、その後大学院へ戻り心理学者に。氏が常に解き明かしたいと思っていた問いが「子供達が成功する鍵とは何だろう?」でした。現代で「賢さ」を測る基準となっているIQ,、それでも中学で教えていた際、良い成績とIQとはあまり関係がないという事実に愕然としました。大学院での研究では、国の最高の陸軍士官学校のカデット、スペリングビーの全国大会参加者、貧困地域の学校の先生、企業のセールスマンなど、様々な場で、どういった人物が残り、結果を生み出し、成功するのかを調べ続けました。

そして見つけたのが、成功の鍵は、社会的知性でも、ルックスでも、 身体的健康でも、 IQでもなく、「grit(タフさ、不屈の精神、やり抜く力)」ということです。

「gritとは、長いゴールに向け、パッションと忍耐力を持ち続けること。スタミナを持つこと。毎日明けても暮れても未来にこだわり、週や月といった期間でなく、何年もの間、未来を現実にするためにハードワークを続けること。人生を短距離走でなくマラソンを走るように生きること。
Grit is passion and perseverance for very long term goals. Grit is having stamina. Grit is sticking with your future, day in, day out, not just for the week, not just for the month, but for years and working very hard to make that future a reality. Grit is living life like it's a marathon, not a sprint!’」

成功の鍵となる「grit」。「grit」は、何ら才能(talent)とは関係ない、むしろ才能とは反比例することがあるのが明らかになっています。それでも、まだ誰も、科学も、「grit」についてほとんど知らない。「grit」を「どう育てるか」について、何も分かっていないのです。

Dwek博士の「成長型マインドセット」(*)を育てるための研究は、「grit」を育むのに大いに役立ちます。

それでももっと必要なのです。これから「grit」を育成する研究が、より進んでいく必要があります。子供達のgritを育てるために、大人たちが研究をやり抜く(grit)必要があります。

要約終わり。

(*)Dwek博士の「成長型マインドセット」について、以前少しまとめたもの:http://blog.goo.ne.jp/nmachika/e/092471a90746ef59ab33dd40655acf5e




「何らかの才能とgritが反比例する場合がある」というの、周りを見ていてとてもよく分かります。小学中学と「ハイリーギフテッド・プログラム」を見てきましたが、いわゆるIQの高い子には、それだけ落とし穴もたくさんあり得ると感じています。

「過度激動OE」などを持ち合わせていることが多く、敏感過ぎて「タフさ」とは対極にある。

・学年が上になるにつれ、課題量も増え、内容もより複雑になり、より「タフで」継続的な努力が必要になるにも関わらず、努力しないでもできてしまうことに慣れているため、どうしていいのか分からない。

・科目や課題の種類などによって「できる」「できない」の差も大きい場合があり、「できない」という状態に耐えられずor途方に暮れ、投げ出してしまう。

・その上、周りから「生まれつき」のギフテッドと扱われ、才能や知性は生まれつきのものと信じてしまう傾向にある。「成長型マインドセット」とは対極にある、「固定型マインドセット」の持ち主に。

・成果を出しても「才能あるから当たり前」、成果を出せないならば「才能あるのに何で?」という目で見られる。努力も結果も評価されない場合がある。


小さな内に何らかの才能が見出されないとしても、「健やかなるgrid」を持った子が、どんどん追い抜き伸びていく、そんなように感じることもあります。

それでも、確かに、早くに見出された才能とgritを共に成長させていくことは可能だと、周りのいくつもの例を見て思います。

まずは、どれだけできていたとしても、「努力してより良くなっていける」という「成長型マインドセット」を教えていくこと。どんな結果も成長への過程、失敗は成長へのチャンスと教え続けること。「あなたは賢い」といった褒め方をするのでなく、「あなたの努力が素晴らしかった」と過程に注目し続けること。


子供達のgritを育てていくために、周りの大人のgritが必要、本当にそう思います。日々子供達に向き合いつつ、探索を続けていきたいです。

ドリームス・カムトゥルー・バインダー

2014-02-16 08:22:23 | 子育てノート
長男長女と「Dreams Come True」というバインダーを作ってみました。

彼と彼女が、今のところ目指したいと思っている道の情報をまとめたもので、これからも雑誌や何かの情報をどんどん足していこうねと話し合い。

具体的なビジョンを持っていると、今何をするかが見えやすい。やる気がそがれるのも、行き先を見失う場合が多いと、子供達をみていても思います。バインダーに、「やる気」を起こすヒントなど、ライフスキルやインスパイヤリングな言葉も足していきつつ。

常に何をしたいのか、どこへいきたいのかを思い出すための、「ドリームボード」も作ろうと話してます。インスパイヤリングな切抜きなどを貼り、壁に掲げておく。



情報を集める中でのメモ:

・Biomedical engineerは、「タイム誌」などでも最も急成長する職種の一つとされていて、伸び率72パーセント。

・psychologistの伸び率は12パーセント(これぐらいが平均らしい)。psychologistは、競争が激しくなるので、マスターのみでは、職を得るのは難しく、PhDが生き残るために必須になってくるそう。これみて、早くも進路を考え直している長女でした。(笑)

・将来コンピュータに取って代わられる可能性の高い職種、低い職種について、オックスフォード大学の研究をまとめたもの。
http://www.oxfordmartin.ox.ac.uk/downloads/academic/The_Future_of_Employment.pdf
この論文の最後の「アペンディックス」に702の職種が可能性順に載ってます。

取って代わられないリストの上位にくるのが、やはりセラピストなどの、人の心を扱う系。または、より複雑なメカニズムを把握する人々。コンピューターや機械にはない、創造性、想像性、発想力、考える力を育んでいく大切さを思います。


バインダー、面白そうな情報をどんどん載せて、膨らませていくそうです!

"The Economist" 二月二週目号よりの記事を貼って。

ノリつける側間違えて、バリバリ。(笑)

選択できる!という脳の力

2014-02-09 11:04:35 | 子育てノート
水曜日の夜、友人と娘ちゃんと一緒に夕ご飯を食べた。これからの活動について話しながら。

友人が、最近「My stroke of insight」Jill Bolte Taylor(邦訳「奇跡の脳」)読んでいてねと。2008年に出版され、世界中で話題になった本。脳神経学専門のテイラー博士自身が、37歳の時に脳卒中で倒れ、8年間かけて回復した様子を綴ったもの。

テイラー氏は、左脳部分に血栓が詰まり、左脳の機能を一時失った。そしてその当時体験した「右脳から眺める世界」を、生々しく描いている。「身体中の原子元素が、周りの原子元素と混ざって見え、自分の肉体の境界が消え、周りとの区別がつかない。『自分』というものが消え、あるのはとてつもない広がりだけ。これほどの広大さが、こんな小さな『肉体』におさまることなどできやしない。圧倒的にピースフルな気持ち、とてつもない美しさ、全てが調和し、完全なる世界」

そして左脳の機能が戻るにつれ、理性的論理的な「おしゃべり」が始まる。右脳世界の広大な眺めから、細かな「部分」が取り出され、過去と未来の時間軸の上に、分類され整理される。「自分」が消えた状態から、「私は博士であり、知的で一人の個人」という認識へ。

誰もがこんな「二つの面」を持っていると氏は言う。そして、選択肢を握るのは私たち自身、どちらを選びますか? そう問いかける。右脳世界からの眺めを外へと発する(project)ならば、世界はもっとピースフルになるだろうと。


私自身、精神的な病から回復できたのは、こんな「右脳世界」的な体験があったからだと、TEDで氏がその世界を身体中で表現する様子を見、つくづく思う。そして今この瞬間にも、「その世界」を感じているからこそ、こうして立ち上がることができていると。また、「そこ」に触れることで、確かに肉体的にも変化が起こるので、何らかの分泌物が流れ出すのだとも感じている(私はそれを「温もり」というような言葉で表すのだけれど)、そしてそれは、「脳」が大きく関わっているのだろうと。まだ大部分の機能が解明されていないとされる「脳」、研究が進むにつれ、もっと色々なことが明らかになっていくのでしょう。

メンタルヘルスの問題を抱えたことのあるその友人と、そんな話を。



最近のテイラー氏は、どういった活動をされているのだろうと、少し調べてみた。脳神経学の研究を続けつつ、メンタルヘルスの問題を抱える人々の治療、そして脳神経科学の教育促進に関わり、アーティストとしてカラフルなステンドグラス脳の制作などもしている。去年の一月には、青年向けのTEDでティーンネイジャーについての話もされていた。

我が家のティーン&プレティーン達とも、クリップ見てみました。

ティーンの脳は、発達過程。まだまだ前頭前野(衝動性の制御、論理性などを司る)が成長しきってないところに、ホルモンの作用も加わり、周りが「この子はどうしちゃったんだろう、まるで別人」と思うのも、しごく当然なこと。25歳くらいで脳は完成する。それでも、外からの刺激に対し、常にどう反応するかの選択はできるもの。刺激→感情回路→反応と移るまでに九十秒間あり、その九十秒の間にあなたの脳は、反応を「選ぶ力」を持っている。周りにあなたを「怒らせる」ことはできない、あなたが「怒る」と選択しない限り。感情的に行動に移す前に、「I Love AMYGDALA(扁桃体:感情を司る)」と繰り返してみるのもいいわよと。

現代は「左脳優位な社会」とテイラー氏は言う。

We care about ME (not we)           
私達ではなく私を気にかけ

forcus on personal gain (not community) 
コミュニティーより個人的な獲得に集中し

care about profits (not people)
人より利益を気にし

strive for authority (not equality)
平等より権力のために邁進し

seek difference (not similarity)
類似点より差異を探し

competitive(not compassionate)
情け深いよりは競争的で

judgemental(not forgiving)
許すよりジャッジする

米国でメンタルヘルスの問題を抱える人々は25パーセントにもなるという、その上、様々な中毒(アルコール、ドラッグ等)を持つ人々も増え続けている。そして環境問題、地球という環境も、悲鳴をあげていると。

それでも、一人一人の脳には、選ぶ力があります。あなたに与えられたこのパワフルな脳を使って、あなた自身が何を選択するかを意識してください、と。



自分自身が選択していく、自分の脳にはそのパワーがある、そんなメッセージ、子供達も受け止めたようでした。

成績を祝うセレモニー

2014-02-09 11:03:53 | 子育てノート
昨日早朝、中学校でGPA4.0を祝うセレモニーがあった。一・二学期とオールAだった生徒を集め、朝食がふるまわれ、校長から一人一人賞状を渡される。生徒も親もスーツという家庭も見かける。

日本で育った私にとっては、全校生徒から一部だけ集め、こういった場が設けられるということへの少し驚きがあるのだけれど、こちらでは、頑張った子にはそれだけの褒美を与える、とはっきりしている。他の生徒達の間にも、あああの子はオールAね、私は違うけど、だから何? 私は私、といった雰囲気がある。


七年生では学年の十パーセントほど、八年生になると五パーセントほどの割合の生徒数だろうか。七年八年続けてずっとオールAを取り続けている生徒の名前も呼ばれる。十四人、八年生全体の三パーセント程。

気づくのは、圧倒的に女の子が多いということ(学校の男女比は半々ほどにも関わらず)。八年生になるほど、またその傾向が強く出てくる。最後の十四人に入った男子は、三人ほど。


GPAは、頻繁にあるテストやクイズの点数も関わるけれど、授業中のワーク、そして課題や宿題やプロジェクトをコンスタントにハイクオリティーに満遍なく仕上げられるかが大きい。いかにこつこつきちんと続けられるか、オールAに女の子が多いのも、そういったことが関係しているのだろう。

オールAを取ったことがない子でも、全米学力テストなどで上位二パーセントほどに入る子もいれば、例えオールAを取り続けていても、全米テストなどでは、それほどの点を取らない子もいる。




もし大学へ行きたいということならば、高校一年生からのGPAの平均が関わってくるという。日本は試験さえ通れば何とかなってしまうけれど、こちらは日本で言えばいわば「内申書」といった日頃の成績GPAが閉める割合も大きい。そこへSATテストのスコアと合わせ、コミュニティー活動、エッセイ、面接などの審査もある。

GPAをこつこつためつつ、SATの点もとりつつ、ボランティアや課外活動に精を出し、コミュニケーション力や自分の目標をしっかりと周りに伝える力なども問われ。こうして、人としての全体的な成長が励まされるというのは素晴らしいことだとは思いますが、なかなか厳しい道ですね。面接などは、コミュニケーション力、プリゼンテーション力などの他に、「校風に合うか」なども問われ、「不公平」とも取れなくはないですが、人は個性様々なもの、自分に合った学校を選べばよい、という考えが根本的にあるようです。

子供達が上の学年に行くほど、また少しずつ新しい世界を垣間見つつあります。



まずは、将来何を学びたいか、何をしたいのか、そこをはっきりとさせること。その目標にむかってコンスタントにやる気を燃やすこと。

といって、こちらのいいのは、まあ十八そこらでどうこうということでなくても、一度社会に揉まれ、それからキャリアを積むという可能性も、随分と開かれていること。周りにも、しばらく社会に出てから、専門職についたという方多くいます。それがまたアメリカ社会にいいダイナミックさを与えているのでしょう。日本も、一昔前に比べれば、徐々に選択の幅も生まれてきているのではないでしょうか。

ストレートでも、遠回りでも、その子の最善のペースで、長い目で見て、その子の最大限の力が花開くよう、サポートできたらなと思ってます。

早朝学校図書館にて。

日常にきらめく「joy」を見つめて

2014-02-09 11:02:03 | 子育てノート
友人が面白かったよ!と記事を送ってくれた。Jennifer Senior氏の著書「All Joy and No Fun: The Paradox of Modern Parenthood」について。覚えておきたいと思った点、箇条書きで。


・米国では、1920年代~30年代にかけて、子供の労働が法的に禁止されて以来、子供を「労働力」として捉える見方が衰退していった。そして浮かび上がってきたのが、「子供は経済的な価値などつけることのできないプライスレスな存在」という見方。

・この「プライスレスに貴い子供」への投資、献身が現代の米国子持ち中流家庭の中心にある。

・子育ての目標も、「暮らしていくための技術を身につけさせる」から、「幸せな人生を送らせるため」とより曖昧なものへ。

・専業主婦の呼び名も、「housewives」から「stay-at- home-mom」へ。つまり、以前は家にいたとしても家事や雑用のまかないで忙しかったのが、今では、子供の教育にかける「mom」としての忙しさ。共に家の中で過ごしていても、一昔前のように子供の傍で家事をするというより、子供に直接向き合い遊んだり、宿題を一緒にしたり。我が子を「飛びぬけさせ(outstanding)」ようと必死になる親達。これからは、「平均」では、やっていけないと。

・外で仕事をしていても、家で過ごす時には、皆そんな「プロのママ」を目指して、子供の教育に奔走する。

・子供を持つということが、現代ほどきつい時代は無かったかもしれない。精神的にも身体的にもつきっきりで、教育にかける費用もうなぎのぼり。Fun(楽しさ)なんてありはしない。それでも、子供の笑顔、澄んだ眼差し、小さな手の温もりに触れた時湧き上がるような、「fun」よりもっと深い意味での「joy」はある。Senior氏の著作のタイトル「All Joy and No Fun: The Paradox of Modern Parenthood」は、そんな現代の子育ての状況を表した言葉。

・それでも、産休、育休、保育施設などのより充実、保険制度の改善など、子育てにもっと優しい社会構造が整えられることで、「No Fun」がより緩和されることができる。



確かに、「米国の子持ち中流家庭」のきつさ・苦しさをよく表していると思う。そして、確かに制度的な面が改善されることで、緩和される部分も多くあるだろう。

厳しい子育て状況の中、それでも確かに、日常に「joy」は溢れていて。

著者が最後に「joy」について話す部分で、六歳の息子君に涙ながら向けた「あなたがいなければ、私の世界は半分だった」という言葉が、心に響きました。

日常にきらめく「joy」を見つめ、力をもらいつつ、足を踏み出していきます。

夢を追う姿を見せ続けるということ

2014-02-09 11:01:17 | 子育てノート
スーパーボールで盛り上がる日曜日、ケーブルのない我が家、長女も長男も友人宅での観戦におよばれ。長女を友人宅に降ろすと、「シーホークス」のTシャツを着て、目の舌に緑のラインを塗ったお友達が迎えてくれる。お母さんお父さんもチームカラーを着込み、居間には二台の大きなフラットスクリーン、キッチンにはバッフェ。

夜暗くなってから迎えに行く。長女がお世話になった家は、シーホークス支持でもう大盛り上がり。ご機嫌なお父さんが、饒舌に冗談連発、大笑いしながら家を後に。ブロンコス支持の長男友人家では、「もう途中で観戦を止めたくなったわ!あなた見なくて正解だったわよ!」とお母さんが肩をすくめる。

43対8とブロンコススの大敗。国中が見守り期待する中、接戦からは程遠い負け。一体どうしたっていうんだいと呆れた街の声が、メディアから流れる。

ブロンコス、これからホームタウンのデンバーに戻って、支援する人に迎えられて、きっとコーチから選手から関係者から、今皆悪夢を見ているような気分だろうなあ、ここから立ち直るのちょっと大変だね、と言う私。

すると後部座席の長男が、「でも絶対に立ち直るから」とすかさず言う。長男はどちらのチームのファンということでもないと言っていたのに、あまりにも間髪入れずはっきり言うので、ちょっとびっくりする。

そうね、この悔しさや失敗が、これからの大きな糧になるね。越えられない試練は与えられない。この大敗を、チームの飛躍への糧にしていけるといいね。そう言うと、そうだよと頷く。


最近、シルベスタスタローンが俳優を目指し極貧の中、最愛の犬を売ることになり、それでも何年も全く誰にも相手にされない中夢を諦めず努力し続け、とうとう初めて俳優としての契約を結び、その愛犬の行方を捜して取り戻したといった話を長男がしてくれたのを思い出す。

ああ長男も、色んな悔しい思いを積み重ねて、夢を追い駆けようとしているんだなあと思う。いろんな面で自分より「できる」子は周りにたくさんいて、なぜ自分にはできないのだろう、そんな悔しさやルサンチマンと向き合いながら。

「具体的な努力」が加わるなら、きっと夢にたどり着けるよ、そんな言葉をかけてみる。

子供達のそばで、私も夢を追う姿を見せ続けてみようかなと思う。結果が手に入るのならそれは嬉しいけれど、例えそうでなくても、一つ一つの結果に喜び悲しみ、それでも歩き続けていく姿を見せ続けてみようと。 

子供達の未来に向けて。

「善悪」はひとまずおいて

2014-02-02 06:51:45 | 子育てノート
夕食の準備をしていると、次男と三女が言い合っている。ゲーム(すごろくみたいなの)を先にするか、クイズ集を一緒に見るのを先にするか。次男は前者を、三女は後者を先にしたいと。

じゃんけんを始め、三女が勝ち、泣き始める次男。すると、次男を抱きしめ、折れる三女。ボードゲームで遊び始める。しばらくすると、また次男の泣き声。台所から出て見に行くと、三女が先にゴールしてしまったのが許せないらしく、寝転んで泣き叫んでいる。

「わかったわかった、もう一回戻ってあげるから」となだめる三女。

 前の升目へ戻ろうとする三女を止め、「ゲームはね、どちらかが勝ってどちらかが負けるものなのよ。さっきじゃんけんで負けた時も、お姉ちゃんにゆずってもらったじゃない」と次男に声をかけると、足をばたばたさせ、うわ~んと激しく泣き始める。

少し離れて床に座り、こっちおいで、と言うと、泣きながら膝の上にのってくる。しばらく背中をとんとんしながら抱きしめていると、うわ~んがひっくひっくに。

落ち着いたところで、もう一度、ゲームは勝ち負けがあるもの、負けても次へいくこと。いつもあなたの思い通りにしようとするだけでなく、優しくしてくれるお姉ちゃんの気持ちも考えてあげてね、と声をかける。

涙を拭い、膝から立ち上がり、ゲームを片付けようとしている三女のところへ行き、「お姉ちゃん、ありがと。クイズ集見た後、もう一度ゲームしてくれる?」と次男。



わがまま/ 理不尽なことを言って泣く→たしなめる→もっと泣き叫ぶ→部屋で頭冷やしてきなさいと突き放す

としていたこともあるのですが、

わがまま/ 理不尽なことを言って泣く→たしなめる→もっと泣き叫ぶ→しばらく抱っこして落ち着かせる

とした方が、立ち直りも早く感情をそれほど引きずらず、心から素直に「ごめんなさい」や「ありがとう」が言えるようになる場合が多いように感じています。

特に小さな子であればあるほど。

また大きな子が感情的に取り乱している場合でも、実際に抱っこすることはないとしても、まずは落ち着くよう包み込むような接し方を経ると、こちらからのアドバイスや忠告も心に届き、改善に向かいやすい。

こちらが善いと示され、感情乱れ泣き叫び。そこで「善悪」ひとまずおいて包み込んでみる、すると、より主体的に「善き方」を選ぶようになることがある。


果てしない数の修羅場を経、徐々に学んだことの一つ。

自分の苦手を自覚するということ

2014-02-02 06:50:53 | 子育てノート
長男が所属するNPOのコマンダーの方から、長男へメール。軍隊やボーイスカウトのように縦の関係がきちっとした組織で、少し責任のある立場にある長男、毎週その週末何をするかのスケジュールを組み立てコマンダーに送り、承諾やアドバイスをもらうということになっている。

その日は、スペルチェックを怠ったらしく、コマンダーの方の名前の綴りから、簡単な単語さえスペルミス。返信のメールに、スケジュールの了承、その後、一つ一つのスペルミスを指摘され、こんないい加減な仕事をしてはいけない、常にもっとハイクオリティーなエクセレンシーを目指すようにと。

(コマンダーと長男とのやりとりは、私のメールアカウントを使っている)



学校から戻り、メールをチェックする長男。夕食後、宿題をしている長男の部屋へ。

メールのことを話すと、「分かってる」と長男。

長男のスペルを見ていると、テストなどで出るものはできるものの、普段何気に文章を書かせるともう大変なことに。

これはディスレクシアの症状の一つのようですが、長男は読解力などは強く、他の面には今のところ出ていないようではあります。


そして実はこれは私自身最近自覚したのですが、私もかなり英語スペルが苦手。どうしても覚えないとということになれば覚えるのですが、それもすぐに忘れる。スペルチェックが使えない「手書き」は短くてもできる限り避けたい(字が汚いのもありますが)。 まあ私のは、「年」? それでも少し長男の気持ちが分かるような今日この頃です。

パパも重度のディスレクシアで簡単な単語が書けなかったりするし(それでも今では私より書ける)、ママもこんなだしね、あなたに苦労かけて申し訳ない。でもね、鍵は、自分で自分はここが弱いって自覚していることよ。「自分はスペルがやばい」という自覚。手書きが避けられる状態ならできるだけ避ける、必ずスペルチェックをかける、人の二倍三倍の注意を払って見直す。

こういった努力なしでもさらっとできる人がほとんどなのだけれど、でもね、いいのよ、それによって、あなたの能力がうんぬんということではない。あなたには、他にたくさん強みがある。ただ、凹んだ穴に対して、余分の努力をする、心がけていこうね。



こうして親以外の大人の方から、「弱み」を指摘される機会というの、本当にありがたいです。社会に出て厳しさにぶつかる前に、たくさん失敗して、たくさん叱られ、鍛えられていってほしい、そう願っています。

感謝を込めて。

あなたを信じているという姿を見せ続けること

2014-01-26 11:29:26 | 子育てノート
長男が、社会科の時間に、iPhoneを取り上げられた。

中学校には、用いてはいけない時に使っていると、「取り上げられる」というルールがある。

長男曰く、「落としてしまったので、拾い、そのままスクリーンの点滅を眺めていた。操作をしていたわけでもなかったのに」と悔しそうに。

学年初めの九月にも、同じ社会科のクラスで取り上げられたという「前科」があるので、二回目からは、本人ではなく、親がオフィスに取りに行かなくてはならない。

授業中ゲームで遊んでたんじゃないの? と一瞬思いつつも、言葉を呑みこみ。

「疑わしい行為」を避ける。「疑わしい行為」から嫌疑をかけられ、思わぬ罪を着せられるということ、社会に出てからもあるからね、そんな話をする。

体験から、嘘をついているかの検証が難しい場合は、黙って子供の言葉を信じる姿を見せるのがいいと思う。どうせ分からないのだし、「ホントは遊んでたんじゃないのお?」と言葉をかけられても、どちらにせよ自分は信じられてないんだなあという気持ちを持つだけ。

といって子供が嘘をついている時の様子というのはだいたい分かるので、今回は多分本当なのだろう。



運転しながらそんなことを思っていると、昔出会った親子のことを思い出した。

私は教える側にいて、クラスには、学生や社会人に混ざって高校生もいた。セメスターも半ばを過ぎたある日、その高校生のお母さんから電話があった。「息子のクラスでの様子はどうでしょうか?」 実はその男の子、初めの数クラス出席しただけで、その後の二ヶ月程顔を見ることがなかった。そう告げると、絶句するお母さん。「週二日のクラスの度、一クラスも欠かすことなく、建物の前に車で送り迎えしてきたんです」と。

大学の授業というのは、特にゼミなどのより専門的な課題に教授と共に密に関わるようになる以前の一般教養レベルならば、小中高の義務教育(こちらは高校も義務)のように、わざわざ休んだ学生に連絡をとるということはしない。途中来なくなったとしても、大人なのだし、それぞれ事情があるのだろうなという程にしか捉えない。

それでも彼は高校生だし、もう少し気を遣った方がよかったかなとも思いつつ、電話を切り。するとしばらくしてもう一度かかってくる、一度三人で会ってもらえますかと。


授業が終わり、約束の時間に、その日またもや顔を出すことのなかった息子さんと共に、教室に現れるお母さん。ニコニコと「息子は頑張っていますでしょうか?」と。いつものように迎えに来て、何気なく立ち寄ったという雰囲気。隣の息子さんの、もう何とも言えない表情。二人を見比べ、ちょっと私の頭の中混乱しながらも、座りましょうかと勧め、出席簿を見せ説明する。

えっ! どういうことでしょうか?!と驚くお母さん。呆然とした顔で、息子さんの顔を見つめている。黙ってうつむく息子さん。

それから、その時点での成績、これから休んだ分を取り戻すことは可能か、それにはどれほどの課題をこなし、どれほどの点数をテストやクイズで取り続ける必要があるかなど、具体的に話し合う。

帰り際、息子さんに先に教室を出て行かせ、「ありがとうございます」とお母さん。ウインクして、微笑み。

その日以来、息子君、見違えるように真面目に出席、とてつもない量のエキストラの課題もこなし、無事セメスターをパスした。最後の授業で、「よく頑張ったねえ」と声をかけると、本当に嬉しそうに頷いた。



当時、長男が三歳で長女が一歳とまだ子育て始めたばかりだった私、年齢もちょうどお母さんと息子君の間くらい。一連の流れが、全くよく分からなかった。

なぜお母さんは、電話で話したにも関わらず、わざわざ演技して知らなかったふりをしたのだろう?

どうして息子君は、その日以来、がらりと態度を変え、あれほど頑張れたのだろう?



今、いい親子だったなあと思う。そして思春期の子供達を前に、あのお母さんの気持ちがより分かる。

あなたを信じているという姿を、見せ続けること。

それは、そんなものが「本当のあなた」じゃないのよ、

そう教え続けることでもあるのかもしれない。

そんな眼差しに触れ、はっと目が覚める瞬間。




あれから十年以上たち。

あのお母さんと息子君の笑顔を想いつつ。

「できない」理由には様々ある

2014-01-26 11:23:09 | 子育てノート
バルミツバ会場にて。長男一年長女一年次女を過去二年間担任して下さり、今も次女の算数を受け持ってくださるL先生が、儀礼が終わり、バッフェの前の列に並んでいると「あら!は~い」と近寄ってハグして下さる。ちょうどメールを送ろうかと思っていたのよと。

学年初めの「次女の学習の穴」についての話し合いで、気になる面を様々具体的に出してくださったL先生。

「最近の○○(次女)を見るたび、あの時話した言葉を全部訂正したくなるのよ。読解力も、算数の力も、最近の○○の伸びはすごいわ。それをね、メールであなたとハズバンドに伝えたかったの」

 その二日前、学校の廊下でプログラムのコーディネーターに止められ、同じようなことを言われたと夫が言っていたのを思い出す。

 感謝の言葉を伝え、実は私達も少し驚いていて、と正直に話す。話合いの場で、家でサポートしますとは言ったものの、それが何らかの結果に結びつくという確信などなく。もし穴が大きくなるようだったら、ホームスクールとまで考えていましたから。

引き続き夫と共に様子を見守っていきますねと伝え、L先生と別れ。



 一連の出来事を振り返り、今私自身が感じるのは、次女にとって「メンタル面」のサポートが大きかった、ということです。

・「分からないこと」に対する姿勢の練習
 「分からない」ということに極端に反応し、少しでも納得できないと、もう全て分からない! と投げ出してしまうところのある次女。深呼吸して、落ち着いて、「分からないこと」「うまくできないこと」に向き合う姿勢を、繰り返し練習。一気に分からなくても、少しずつ分かろうと、様々工夫しつつ(読解では、図に描いてみる、キーワードーにしるしをつけてみるなど)、忍耐強く向き合い続けるよう励まして。

・私自身の対応を変える
 私自身、次女の感情の起伏に引きずられ取り乱すことなく、落ち着いて忍耐強く向き合うよう心がけ。「何でこんなの分かんないの?もっと頭使って考えてみなさい」と突き放すのではなく(時間に追われているとついそんな対応になってしまっていたことも)、次女自身が、どんな問題でも、サポートしてもらえると感じられる対応を心がける。

もう一つは、私の説明に日本語を混ぜず、英語に絞ったこと。これは上二人には問題なかったのですが、日本語の蓄積が難しい我が家という環境の中、少し不器用なところのある次女には、混乱の原因の一つだったように感じています。


今回たまたまこうしてうまくいったともいえますが、子供が「できない」理由には様々あるということを、しみじみ思います。単に能力的なこと以外に、その子の行き先を遮ってしまう因がある。そして、何十人を一緒くたにはかるテストなど、次から次へと手にする「できない」という評価を前に、自分も周りもそのまま「できない」と思い込んでしまう。そうして「できない」ままになってしまっている子が、世の中には山のようにいるのではないか、そんなように感じています。

結果はその子をできる・できないとジャッジするためではなく、どうしたらより良くできるかという過程の糧として用いる、そう自身に声をかけ続けていきたいです。

子供達のマインドセットを変えることで子供は伸びるといった研究をされている心理学者Dweck博士の言葉にも、こんなものがあります。

「もし学校が、興味があろうとなかろうとテストをし、あなたが賢いか賢くないかを審判する場と捉えられているのなら、誰も行きたいなんて思わないでしょう。もし学校が、難しいことをすることでより脳を鍛え、脳を成長させる場だと捉えられるのなら、皆こぞって行きたがりますよ」

 確かに一人一人それぞれの「できる範囲」というのはあり、十メートルがやっとの子に百メートル走れとはいきませんが、その子なりの最大限の力を発揮できるところまでもっていけたら、そう思っています。

 まだまだこれから勉強も難しくなり、嵐のような日々も続きます。これからもこつこつと、できる限りを!

喜びを示すなら、穴から飛び出し走り出す

2014-01-26 11:09:50 | 子育てノート
金曜日は小学校で、年に二度の「explorationの日」。学年ごちゃまぜで、一つのテーマについて掘り下げようという行事。チェス、水彩画、ロボティックス、手品、漫画や映画作りなど教室でできるものから、ハイキングやスキーに出かけるというものも。上四人も今まで、ケーキ飾り、海賊、台所化学などなど楽しんできた。

どのテーマに取り組みたいか、一ヶ月程前に三つまで希望を出せるようになっている。次女が今回選んだのが、1.「パーシージャクソンシリーズ」にちなんだギリシア神話について、2.折り紙、3.裁縫。三女は、今回は一年生とキンダー合同でアラスカの野生動物について調べる、ということにあらかじめ決められていた。

希望を書き込む用紙を受け取った翌日に提出すれば、第一希望を割り当ててもらえる確率が高まる、と次女張り切って提出。ところが二週間程前、第三希望に割り当てられたと知らされる。人数の調整の結果、こういったこともあるもの。当日が近づくにつれ、ため息をついては、何でこんなことに、この日は学校を休んでもいいかな、知ってる子も誰もいないよう、そうぶつぶつ繰り返していた。そして数日前には、泣きながら休みたい!とまで。

大丈夫だって、行ってみたらきっと楽しいって。そんなぐちぐち言って取り乱してたら、余計苦しくなるだけじゃない。文句言ったってどうにかなるわけでもないのだし、さっぱり割り切っていこうよ。あなたができなかったおかげで、入りたかった子が入れたのかもしれないじゃない。

などなど声をかけるも、全くききめなく、悲しみ苦しみはますます増すばかりのよう。


水曜日の夜、「裁縫」クラスの詳細が書かれた紙を片手に、または~と大きなため息をつき、休みたい、絶対休むと言う次女。その手に持つ紙を読んでみる。

「フェルトの枕を作ります」とある。 フェルトお~! ママねえ、あなたよりもう少し大きいくらいの時、フェルトで色々作るのにはまったことあるのよお。フェルトってほつれないしね、手触りも気持ちよくて、カラフルなの合わせて、糸とかも色変えたりしてねえ、ああ何作ったけなあ、袋や人形やアップリケや、もう楽しくてしょうがなかったのよお、あれでママは縫い物を覚えたのよお。

自分の思い出に浸って話し続け、はっと気がつくと、次女の表情が少し明るくなっている。おっ、やった、と思いつつ、ねえねえ、ちょっとネットで調べてみようよと誘い。「フェルトの枕」と検索すると、素敵な作品出てくる出てくる。あ~、こんなのいいじゃな~い。きゃーこれ素敵~! と二人で言い合いながら。

コンピューターを閉じる頃には、すっかりフェルトで頭が一杯になった様子の次女。飾りを何にしようか、ボタンもよさそう、とアートセクションでごそごそし始める。

結局当日も、嬉々として登校。(笑)



そんなとこにいたってしょうがないじゃない! そんなところにはまり込んでたらよくないって! そう穴から出なさいと、手を引っ張り、後ろから押し。

それでも穴を出たところにある「喜び・楽しさ」を見せることで、自分から勢いよく飛び出し、走り出すんだなあと、しみじみ思った出来事でした。

覚えておきます。


昨日持ち帰ったフェルトの枕。

手での裁縫は初めてだったのですが(ミシン縫いはワークショップで習ったことがある)、自分で縫えるようになり楽しいようです。

今日夕方出張から戻るだろう夫に作ったもの。

Welcome back!

夫と妹へ。


長女の涙、許すということ

2014-01-19 13:02:58 | 子育てノート
次女のスペリングビーの最中、隣の夫の携帯に長女からテキストメッセージが入る。「ママ何で迎えに来てくれないの!?」と。あれっ、今日はクロスカントリー部の練習が四時半まであるはずじゃないと思い、次の瞬間、あああああ~!と思い出す。

木曜日はピアノがあるから、部活を休むことになっていて、そしてそのピアノ、午前に先生から電話があり、体調が悪くて病院に行くことになったので急遽違う日に移しましょうということに。長女の携帯にピアノレッスンキャンセルの連絡を入れるの、すっかり忘れていた。

夫はすぐに仕事へ戻る必要があり、私も長女を中学に迎えに行っていたら三女と次女の学校終了時間の迎えに間に合わない。長女に学校の図書館で待っていてと伝えるも、もう閉まっているとのこと。

ということで校舎の入口で一時間ほど待つことになった長女、次女と三女と次男を連れて駆けつけ、ごめんねすっかり忘れてしまってと謝るも、無言で車に乗り込み静か。運転しながら、全くもってママの手違い勘違い、本当にごめんねと言うも、助手席で窓の外を向いたまま。頬をこすり、時々鼻をすすり、気づかれないように振舞っているものの、な、泣いてる・・・。あの気の強い長女が・・・。(長女が泣く姿というのは、本当に小さな頃の記憶にしかないほど)


ここ何日かスペリングビーで盛り上がり、ピアノももっぱらずっと三女にかかりっきり(多忙な長女は「気晴らし程度」でいいねというスタンスになっていて)。

その上元々長女は手のかからない方で、こちらがあれこれ言わずとも生活面から勉強面から自分でさっさと進めていく。長男の成績などはネットでちょこちょこ見て、ハラハラドキドキちょっとこれ大丈夫なわけ~! と声をかけることはあるけれど、長女については、波も穴もほとんどなくこなしていくので、見て!と促されて見るといった程度だったり。

手がかからないと、あれやこれや起こり続け手のかかる子に張り付いている内に、ますます後回しの後回しに。長女も毎日必死で頑張っているだよなあ、そうはっとする。



その夜は、長女により心を配ってみる。閉じた心、押して引いて押して引いて、少しずつ寄り添い。迎えに行って以来沈んでいた表情に、少しずつ笑顔が見えるようになり、学校であったことなどぽつりぽつりと話し始め。そして文句も出始める。何で連絡してくれなかったの!部活も休んじゃって待ちぼうけで。何度も何度も。こうして言葉にしてくれると、前に進み始める。謝り、これからの改善策を話し合って。そして、こちら側の状況も少し話してみる。四歳から十四歳までのそれぞれ違うニーズを抱える子のケアをするということ。

「ごめんね。ママもパパもね、他にももっとしてやれたならなあと思うことたくさんあってね。それでも身体は一つしかなくて。でもね、ママもパパもあなた達のこと本当に大切に思っているということだけは、覚えていてほしい」

最後にそう伝えると、じっと考える様子。



就寝時間、自分の部屋に向かう前に、長女がいつものようにハグしに来る。ハグが終わり、それでも座ったまま、私の顔を見つめている。そして言った。

「あのねママ、私はママをforgiveするね」

少し照れた笑顔。またハグして、おやすみなさいと言い合い。



「許す」ことで自由になるのは、他の誰でもない自分自身。

長女はそんな感覚を、少し掴んだのかなと思う。感謝を込めて。

スペリングビー、晴れやかな笑顔

2014-01-19 13:02:49 | 子育てノート
木曜日にスペリングビーの校内大会。三年生以上の各クラス二人ずつ代表二十六人が講堂の前に。

 この日をどきどきと迎えた次女。毎日とはいきませんでしたが、冬休みも少しずつスペルの練習。学校が始まってからは担任の先生が、代表の二人で「授業を抜けて問題出し合い練習時間」をちょこちょこと取って下さったよう。

 私も練習に時々付き合ったのですが、「間違えてしまった」時の次女の反応の凄さに(文字通り「のたうちまわる」)、もうこんなに悶絶するくらいなら、スペルのこと忘れてしまったらとつい言ってしまったことも。

 「間違えるからね、どういう点に気をつけたらいいか分かって、より良くなっていくんじゃない。二度同じの間違えたらね、もうそれはそこが弱いってピンポイントできたことで、後はそこに集中すればいいのだし、どう見てもどんどんよくなってるってことでしょ」と話し合い何度か。そして一つ間違えると、怒りと動揺で次にできるはずのものもできなくなり、となる度、「間違えて心をそんなに乱していたらねもったいないのよ、『深呼吸、リセット、新しい気持ちで次へ』、これはどんなことにも言えるのよ」そう何度か落ち着く練習。

それで初めと比べ、随分と取り乱すことも少なくなり。「間違えた単語」について再び触れるのさえ難しかったのが、「ママ、その単語マークしてね」と落ち着いて言えるようになり、練習もテンションばりばりぴりぴりの雰囲気から、笑顔のこぼれるリラックスしたものへと変わっていきました。

 このスペリング練習を通し、何が一番よかったかと言えば、こうした「失敗に対しての姿勢」を繰り返し学んだことです。



 それにしても、rやlが一つか二つか、cかsか、orかerか、ail かaleなど、細かいところまで正確にスペルするのって、改めて難しいことだなあとつくづく思いました。その上私の発音も怪しいもので、私が読み、次女言い直し、スペルする、というパターンがしょっちゅう。何だか練習を手伝うと余計難しくしているようでもありました。(笑)

例えば、forayは「r」一つで disarrayは二つ。follicle, scintillation, mollify, tracticallyなどは「l」二つで propulsion, decathlon, flagitiouslyなどは一つ。stridency, armisticeは「c」だけれどporosityは「S」。doctor, chancellorは「or」でoleander, bewilder は「er」。ailmentは「ail」でmoraleは「ale」。その他にも、genoise(ぜのあ~)、 panache(ぱなーしゅ)などフランス語読みも混ざり、shiatsuなんて日本語も出てきたり。

私自身、かなりの学びの時となりました。

もっと本格的に練習するとなると、語源ルーツなどもしっかり把握してパターンを覚えていくということになるのですね。



ということで次女、校内大会前日は学校から帰ると明日に備えてゆっくり休むんだと大張り切りで宿題を終わらせ、ざざっとスペルを見直し、八時には一人電気消してベッドに。それでも結局九時過ぎにどうしても寝られな~いと起きてきて、一緒に夜の感謝の言葉言い合いなどしてました。(笑)

当日、もうとにかく、力を出し切れたということであればいいなと見守り。

初めに、2008年のスペリングビー米国全国大会で八位だったというアラスカ・ジュノー出身のParkさんという女の子からの話があり。一日八時間から十時間練習したそう! ここ三週間ほど一日平均三十分くらい練習してきたかなという次女、家に帰ってからもこのこと何度も興奮して話してました。

元校長で今は学区長(superintendent)のG氏が、一人一人に単語を読み上げていく。二十六人、一回目、二回目ラウンドと、次第に難しくなる。簡単なものほど、ついうっかり分かっているのに言い間違いということが練習でもあり、それで初回ラウンドでアウトというパターンだけは避けてあげたいと思っていたので、二回過ぎた頃には、もう私もほっとリラックス。

結局次女は五回目七人まで残り、そこで四人アウト。ということでその四人と共に四位に

motion, hermitage, chancellor, aubergineときて、最後spectaclesをs-p-e-c-t-a-c-l-sと言ってしまい。上の子達に言わせると、何でhermitage, chancellor, aubergineが言えて、spectaclesを間違えるわけ? ということのようですが、四年生にとっては、どれも同じように聞きなれない言葉なんですよね。(笑)



最後三人。六年生五年生、そして三年生の女の子!この女の子、 Redundant、decrepitude、pandiculationなどと五・六年生に負けじと頑張るものの、結局三位に。大きなお兄ちゃん達に混ざって、手の平に指で単語を書きながら必死で答える様子がもう可愛いくてしょうがなかったです。

六年生の男の子、ferrule, rebarbative, wherewithalなど正解で優勝し州大会へ。この男の子は必ず、単語の意味、品詞などを質問者G氏に尋ね、考えてから答えるんですね。そういった知識を総動員してスペルする。見ていると次女も含め、シラブルなどに区切って感覚的に覚えている子が大半なのですが、先へ進むほど、こういった体系的な知識が必要になるのでしょうね。スペリングの奥の深さを感じました。

次女も悔しいながら、晴れやかな笑顔。こんな体験ができたこと、本当に感謝です!


二十六人ずらりと前へ。


こうしてひとりずつ前に出てマイクの前でスペル。かなりのプレッシャーにもなりえそうです。がたがたと震えている子もいたと次女。


七人に残った!