靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

ソーダ缶、境界とリスク

2013-12-08 09:51:08 | 子育てノート
週半ば、中学校の駐車場。迎えの車に乗り込んだ長男、シートベルトしめながら決まり悪そうに笑い、「ママ怒らないでよ、サイエンスの先生が後でメールするって」

「な、何したの・・・」

 長男談:サイエンスの教室でランチを食べた友人が、ソーダをくれたので、冷やして後で飲もうと少し開いた窓のサッシに置いた。サイエンスの授業が始まり、先生が窓を閉めようとして、ひじが当たり缶が外へ落ちる。長男、窓からジャ~ンプして缶を取りに行き、窓から戻る。先生呆然、「あなた一体授業中に何してるの・・・。後で親にメールします」 他の子達笑う。



これまでの長男を見ていると、ここは越えない方がいいという「境界」を、結構守るタイプ。といって「いい子」でもなく、授業中ふざけていて注意されるということはちょこちょこ。またとても仲のいい友達というのは、ちょっと羽目をはずし過ぎるいわゆる「問題児」が多く、その中の一人は問題続き(といってもまだまだドラッグとかそういうことではなく、先生の言うことを聞かないとか課題を出さないなど)で結局今年から違う学校へ移ってしまった。

今までを振り返り親への連絡があったのは:

六年生の時に、ランチルームで車輪のついたゴミ箱に乗って友達とレースし、校長室に呼ばれる(小学校では停学の次に重い処分)。その友達(今でも親友)が校長室の常連でもあったことから、長男には、「お友達の誘いを自身の判断できちんと断る」という指導だったよう。この出来事は、一部始終を見ていた次女のクラスで、今も語り草になっているという。(笑)

中学一年のとき、クロスカントリーの部活時に、お友達と叩き合いをしていて、一日校内停学(こちら)。喧嘩ではなく仲良し同士のふざけあい。この出来事は本人にもかなりこたえたよう。



話し合い。

「当たり前のこと」に挑戦したくなる思春期の特性が絡んではいるとは思うのですが、「窓は出入りするものじゃない!」とまずは基本を確認

そして「境界」「リスク」について話しました。

「じゃあ、NPO活動中にそういうことが起こっても同じことする?」

「絶対しない」

彼が熱心にはまっているNPO活動は、軍隊的な厳しい規律に則ったもので、また周りを教える立場にもあるため、彼が一番しゃきんとする場。

「だよね。じゃあ何で学校ではしたんだろう。その場その場にここは越えちゃいけないという『境界』があるの分かってるんだよね。今回は、その咄嗟の境界の見極め、甘かったんじゃない?」

そう言うと、

ソーダ缶が雪の上で凍ったら破裂してしまう可能性がある、それに落ちたのは外から回ったのでは取りにいけない場所、怒られるだろうけれど、まあそれほど悪いことにはならないのではないか、最悪の場合でもdetention(ランチタイム拘留)だろうと思ったと。

ここからは、「笑っては済まされない境界」というのは、見えていたよう。それでもソーダを選んだと・・・。

「境界を越えるときには、『得る』ものもあるかもしれないけれど、必ず何かを『失う』かもしれないという『リスク』がある。咄嗟に『得るもの』と『失うもの』を天秤にかけていたようだけれど、リスクはね、もっと価値あるもののために犯すものよ

得るもの:ソーダ

失う可能性のあるもの: 他の子達の授業への集中、先生があなたのために割く時間と手間(注意、拘留)、先生との関係、楽しいランチの時間、落ち着いた気持ち(親へメールが行くとそわそわ)

あなたが失いそうになったものは、ソーダなんかよりも、ずっと大切なものじゃない?

14歳くらいになると、少し論理的に話した方が、心に届くようです。

ミステイクからできるだけ多くを学んで、次へと生かしていこうねと納得し合い。



結局、その後も先生からのメールはなく、その場口頭での注意で終わったようでした。

先生も忙しいし、今回は、あなたが分かったと判断して連絡がなかったのだろうけれど、「二回目」はそうはいかないよねと話し。 



これから「ソーダなんて可愛い」と思えるような、様々な誘惑もあるでしょう。こうした一つ一つの体験が、誘惑を前に、「何がより大切なのか」を見つめるための訓練になればと、思っています。

失敗は次への架け橋、そう信じつつ。


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