虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

自負と偏見 /ジェーン・オースティン著

2006年04月05日 | 
中野好夫訳 新潮文庫

 十代で初めて読んだ時の感想は、確か「少女漫画、少女小説みたいだなあ」といようなものだったと思う。
 美しい長女に個性的な光を放つ次女(主人公)とその他3人と形容したい5人姉妹。俗物な母に、出来のいい上二人の娘には優しいが、そうでない娘にはいささか冷ややかな、そして妻には距離を置く父。
 最後には近所に越してきた気さくで優しい好男子は長女と、またその親友で大金持ちのちょっととっつきにくい美青年は次女と結婚し、めでたしめでたしになる。主人公がちょっと気を引かれる美男の駄目男は妹と駆け落ちするというおまけつき。
 きっと万人に認められる美人ではない次女の、その内面からの輝きを男性が愛するといった展開がそう思わせたのではなかろうかと思う。私はジェーン・オースティンは向いてないみたいで大好き、とかものすごく面白い、とは思えない。ただやっぱり読むとすごいと思う。実に女の目線のみで描いているようなのに、その当時のイギリス社会というようなものを考えさせる、また今に至る社会の「男と女の力関係」まで考えさせられる妙な本。男同士の会話の描写ほとんど無し。

 釣り合いとか打算妥協、母親を交えた女同士の権謀術数のなかで、いかにいい夫を捕まえるかという探りあい突っ張りあいの競争のゴールが「結婚」みたい。独身男はまったく獲物のよう。また男のほうからも妻を計算上有利になるように獲得したいのがありありというのもでてくる。主人公とその姉はその中でも結婚レースに目が血走っていない清々しい存在で、こういうところも大量に読んだ少女漫画主人公を連想する原因。

 この小説は当時のイギリスの貴族階級より下、労働者はお呼びでない紳士階級だけ、その上から下まで、という部分を描いている。そして紳士階級=ジェントリーというものがどんなものかな、と興味を呼び起こされる。今日は時間がないので、ジェントリーについては次回。

花粉症と依存症

2006年04月02日 | 
 目は大切に、というお話。
 最近涙が止まらず、日常生活に支障をきたしていました。化粧がまともに出来ない!花粉症かとばかり思っていたのですが、それもあるけれど目の使いすぎによる疲労が主原因だと、お医者さんに言われてしまいました。頭痛も目からのものだそうです。
 思い当たることは
「ドラクエ7のレベル上げのための夜更かし」
 数年前にドラクエをやったときはコンプリート前にソフトが行方不明になってしまい、今回改めて「更なる異世界」までちゃんとクリアしようと、ドラクエ必須のレベル上げのためにメタルキングを求めて世界をさまよっていました。くら~い部屋で、コントローラー握り締めてコックリ、なんて。小学生か、お前は。
 「3日くらいは、見つめるのは動かないものだけにしときなさい。なるべく遠くを見なさい」というアドバイスでした。
 そんなわけで、新作DVDもあさらず、図書館にも行かず、「快傑ズバット4」ハイライトだけピックアップして見て、ジェーン・オースティンを読んで、強風の中お散歩に行くという、いつもとまったく違うすごし方をしました。
 それで目の痛みと涙は少し良くなったのですが、映画見られないとイライラします。

 …本当に依存症っぽくなってきました。
 しかし、BSの3日からの「コンバット」放送をしっかり見るために、他のことは多少我慢します。ああ、早く別のお話のサンダース軍曹やヘンリー少尉に会いたいっ!

「快傑ズバット4」
 この中で大うけに受けていたのが「瞼の母」なんと、さすらいの探偵早川健に生き別れの母が!! 早川健のうきうき・がっくりの演技の振幅の大きさが大当たりでした。妹役のぽちゃぽちゃした女の子を見て、「昔はタレント志望でもやせなくてよかったのか」などという発言が出たり、見るところもそれぞれでしたが、最近では決めゼリフのポーズを、ラジオ体操のようにテレビの前で揃ってやっています。家族の半分が「男は一人で行くものさ~~」とつい歌ってます。全部見終わるのが楽しみのような、悲しいような… 後二巻…

「自負と偏見」ジェーン・オースティン著
 「世界が狭い」というのは、小説を批判する時によく使われる言葉で、確かにそういう意味でつまんない小説も存在しているのだけれど、この小説は3、4軒の家族の様相・交渉が描かれているだけなのに、見事にその社会の価値体系をその中に浮かび上がらせている。お見事であります。これを読むと歴史の復習をしたくなります。実際に少し歴史の勉強をしてから感想書くことにします。