二草庵摘録

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すばらしい小説に出会った♪ ~ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」を読む(1)

2023年07月30日 | ミステリ・冒険小説等(海外)
■ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」友廣純訳(早川書房 2020年刊)

「ザリガニの鳴くところ」なのか、「ザリガニが鳴くところ」なのか!?
わたしとしては「が」にすべきじゃないかと思ったが、そのことをきちんと説明すると長くなってしまうので、辞めておこう。
原本では、
WHERE THE CRAWDADS SING
・・・となっている。CRAWDAD(クローダッド)とはザリガニのこと。

「ザリガニは鳴くのかなあ」とも思ったがタイトルに突っ込みを入れても仕方ないだろう。アメリカザリガニと遊んだわたしの子ども時代の経験では、捕まえるとキシキシと歯ぎしりするようにかすかに鳴く。そのへんの水路にいくらでもいたし、ブリキのバケツが一杯になるほど獲ったことがあった。

結論をさきにいうと、本作は目が覚めるような抜群の傑作である。構想してから10年かかったというが、ディーリア・オーエンズが、この小説をはじめて書いたとは、とても信じることができない。
フーダニットの構想が、この長篇全体を覆っているため「ネタバレ」は禁止! であろう。第一に、舞台となる“湿地”のディテールがじつに丹念に書き込まれている。
はじめての長篇小説を、まったくの独力で描き切ったとは信じられないとは思っていたが、ラストに付せられた「謝辞」を見るに及んで納得。
友人知人、そして編集者らから、多くの助言を得て、完成にいたったことを感謝している (。-ω-)

本作の出現によって、他の多くの小説(とくにフーダニット)は“ガラクタ”になってしまった。・・・というか、忘却の淵に沈んだのである。

登場人物一覧、地図、謝辞を合わせると、500ページの大作。伏線はいたるところに張り巡らされ、謎解きものとして緻密に構成されている。
しかし、それはむしろ“おまけ”といいたいくらいで、まずこの小説の自然描写に目を瞠る思いをした読者が多いはず。
裁判シーンが終わったとき「おや真相は結局は闇の中か」と、ほとんどの読者はかんがえるだろう。
だから、57章(最終章)「ホタル」は衝撃的!

世界で1500万部突破と、オビに書いてある。原作が英語だからで、これが日本語だったら、当然ながらこうはいかない。英語圏では競争も激しいが、真の才能をもった小説家が、大勢いて不思議はない。ディーリア・オーエンズは、そういった中にあって、見事クイーンの座を射止めたといえる。

《ノースカロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は「湿地の少女」に疑いの目を向ける。6歳で家族に見捨てられたときから、カイアはたったひとりで生きなければならなかった。読み書きを教えてくれた少年テイトに恋心を抱くが、彼は大学進学のため彼女を置いて去ってゆく。以来、村の人々に「湿地の少女」と呼ばれ蔑まれながらも、彼女は生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へと思いをはせて静かに暮らしていた。しかしあるとき、村の裕福な青年チェイスが彼女に近づく……みずみずしい自然に抱かれた少女の人生が不審死事件と交錯するとき、物語は予想を超える結末へ──。》BOOKデータベースより

Amazonだけで、レビューが1,737件もある。したがって、わたしが何を書いても、二番煎じとなってしまうだろう。本屋大賞翻訳部門を受賞したため、日本でもクリーンヒットとなった。
滅多に“現代小説”を読まないわたしのような者まで重い腰をあげたわけだ(´ω`*)
恋愛小説
自然小説
裁判小説
そういった味を、絶妙な手さばきで巧みにブレンドしてある♪
ノースカロライナの沿岸地方の湿地に密着し、そこを深掘りして、あますところがない。生物学者としての力量が、読者を圧倒する。
こういう本に巡り合うのは、稀有なことといわねばならない。

「ザリガニの鳴くところ」の意味を、作者はこう説明している。
《「どういう意味なの? “ザリガニの鳴くところ”って。母さんもよくいっていたけど。カイアは、母さんがいつもこう口にして湿地を探検するよう勧めていたことを思い出した。
“できるだけ遠くまで行ってごらんなさい ―ずっと向こうのザリガニの鳴くところまで”
「そんなに難しい意味はないのよ。繁みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きてる場所ってことさ」》(155ページ)

フレッシュ&ジューシーなエンターテインメントとしての要素もたっぷり持っている。
男社会への批判は、くり返しあらわれてくる。父のドメスティックバイオレンスは、表現を変えていえば“酒乱”。
家族はすべて去っていって、6歳の少女カイアが、湿地のボロ家にたった一人取り残される1952年から、小説はスタートする。
そしてキーとなるチェイス・アンドルーズの不審死が生じたのは1969年の10月30日。
時間軸を行ったり来たりしながら、作者は複雑な(ある意味単純な)物語を、かなりの人数に及ぶ人間関係を、上手に捌いて、読者をラストまでぐいぐい引っ張ってゆく。冒頭の登場人物一覧には24人の名がしるされている。
船着き場の燃料店<ガス&ベイト>の主人、ジャンピン、そしてその妻メイベル。この二人の黒人は、最後までカイアをささえ、裁判にも顔を見せる重要な役どころである。

名言といっていいもの、すぐれた細部はいろいろとあるけれど、ここもそうだな。
《時間の法則からして、子どもは決して若いころの両親とは知り合うことができない。もちろんカイアも、一九三〇年の初めごろに、ハンサムなジェイク(=父)が自信たっぷりな足取りでアッシュヴィルの食堂に入っていく姿を目にすることはなかった。しかし彼はそこで、ニューオーリンズから来ている黒い巻き髪と赤い唇が美しい女性、マリア・ジャック(=母)を見初めたのだった。》(148ページ)

ストーリーがはじまるまえの段階として、崩壊した家族の物語が、シリアスな問題として重苦しく横たわっている。
家族に見捨てられた孤独な少女。
ディーリア・オーエンズは、なぜこういう物語を作ったのだろうか!? 
読みはじめてから、そして読み了えたいまも、一番気になっているのはそのことである。




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