二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

理解の手がかり(続ブルックナーの彼方へ)

2010年09月14日 | 音楽(クラシック関連)
高校生のころ、山歩きの醍醐味を教えてくれた先生がいた。
春と秋と、年に2回、生徒の力量にあわせて、ABCの3コースを用意し、山歩きに出かける。修学旅行にいったのは、たしか3年生の春だった。だから、その春と、受験をひかえた秋をのぞくと、2年×2回=4回の山歩きを体験している。
それがきっかけとなり、友人を2、3人をさそって、卒業後、テントをかついで、谷川岳や八ヶ岳、志賀高原へ出かけていった。

リュックを背負って、麓から歩きはじめる。
体調がよかったり、悪かったりする。その日のコンディションは、現地について、歩き出さなければわからない。
ガイドブックを頼りに、駅やバス停から歩き出すのだ。

尾根へ到達するまでが、いちばん辛い。
変わり映えのしない森林地帯を抜けていく。
登攀はだらだらと、いつまでもつづくように思える。息があがりかけて、「うーむ。苦しい。もう引き返そうか」何度となく、そういった思いが頭をよぎる。美しい景色・・・なーんていう風情はなく、上り坂が、延々と曲がりくねったり、岩のあいだを縫うようにつづいていくのだ。

それから突如視界が開けたと思うと、そこが稜線である。お天気がよければ、この世のものとはにわかには信じられない、広大な光景が、豁然と姿をあらわす。

When we emerged from the forest, an open plain spread out before us.

“an open plain spread out before us” 
――この瞬間の感動は、ある種の神々しさをともなってやってくる。岩場を見つけて腰を下ろし、リュックを地面に置く。ほっとして、水を飲んだり、チョコを頬張ったりする。
苦しい登攀。その代価としての景色を手に入れたのだ。
わたしたちは、登ってきた道をふり返り、山の反対側や、さらにその向こうへとつらなっている、緑の斜面を眺める。そのあたりが、県境だったりするのだ。切り立った崖の下から、逆巻くような冷たい風が吹き上げてきて、汗を乾かし、熱した体を心地よく冷やしていく。

「いいねぇ、この風景。きてよかった。・・・途中で帰ろうかと思ったけど」
わたしは友人と、大抵はそんな会話を交わす。こんなとき、人は寡黙になる。
あまりにありきたりのことばしか思いつかない。だから、二言三言交わしたあとは、おたがいに黙っている。「こんにちは~♪」といいながら、後ろを他県からやってきた登山者が通り過ぎる。

一面クマザサに覆い尽くされた斜面は、途轍もなく大きな緑の絨毯を敷きつめ、浸食谷に向かってすべり落ちている。だがよく見ると、その所々に、鋭い岩塊が黒ぐろと潜んでいる。
「山頂の手前を迂回しながら、これからあのあたりを下って、向こう側へ出て、またあちらの峰をのぼるのだ」と考えながら、その爽快な景色にこころをつつまれている。3時間、あるいは4時間のコース。嶺づたいの岩場はそのままくらいついていけば、二千メートルの頂上へといたるはずだが、二、三十メートルさきで、稜線はあいにく霧に没している。
「またくるかな、ここ」「さあ、どうだろう。つぎは秩父の山にいってみたいからね。あのあたりから、雲海に浮かぶ富士山を眺めたい」「足腰をね、もう少し鍛えないと、苦しいだけだ」

・・・ブルックナーを聴きながら、そんな過去の記憶が、はじめはうっすらと、それから、不自然なほど鮮明に、ある強い印象とともに浮かび上がる。

わたしは基本的には、クラシックにはことばのない音楽をもとめている。
いや、ことばはある。しかし、それは音楽のほうからではなく、別な場所から、やってくる。
記憶の彼方から、あるいは、ふと手にした書物の数行から・・・。
When we emerged from the forest, an open plain spread out before us.
それは、ひとことでいえば、――やっぱり、こんな感じになるのである。
理解の手がかりを得た瞬間の波動。

ブルックナーは最晩年になって、ポケット日記に、つぎのことばを書き付けているという。

『はたして精神とは、逆らい難い有機的法則に従って活動する、脳の生産物なのだろうか? あるいはむしろ脳とは、非物質的な精神活動と空間世界との交渉を仲介する、一条件に過ぎないのだろうか? 』
これは、当時有名だったヨーゼフ・ヒュルトン(解剖学者)のことばだが、ブルックナーはどんな思いをこめて、これを書き写したのだろう。
彼が、単に神への信仰だけに生きた、素朴ないなか者でなかったことはたしかだ。

もうひとつ、ブルックナーのこれはとくに第9番を理解するために、わたしが重要な手がかりと考えることばを写してみよう。
弟イグナツに宛てた、最後の手紙。その最後の一行。

『イグナツさよなら、さよなら! さよ なら さよな さよな ら!』
Ignaz leb lebe wohl!
Leb webel woll hohl.
Hochl leb wholf!

力尽きたようにスペルが崩壊し、ブルックナーの魂は何処へか去っていく。



最近買ったCD。
1. ブルックナー「交響曲第9番ニ短調」ヨーゼフ・カイルベルト&ハンブルク・フィル
2. ベートーベン「交響曲第3番<英雄>変ホ長調」フランス・ブリュッヘン&18世紀オーケストラ
3. シューベルト「交響曲第3番ニ長調/交響曲第8番ロ短調<未完成>」カルロス・クライバー&ウィーン・フィル
4. ブルックナー「交響曲第5番変ロ長調」クラウディオ・アバド&ウィーン・フィル(輸入盤)
5. チャイコフスキー「交響曲第4番ヘ短調/交響曲第5番ホ短調/交響曲第6番ロ短調」カール・ベーム&ロンドン交響楽団
6. ベートーヴェン「荘厳ミサ曲」クレンペラー&ニュー・フィルハーモニア管弦楽団&合唱団


※引用は「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」に拠っています。
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