
このところ、時間をやりくりし、野山を歩いている。
遠方までは足をのばさず、いつものフィールドなのだが、目的は昆虫であっても、いつもお目当ての昆虫に出会えるわけではない。
赤城や榛名山麓の里山的環境は、年々悪化していく。
自宅周辺でも、少年時代には里山的環境がたもたれていて、クワガタ、ホタル、沢ガニ、ナマズ、フナ、メダカ、カミキリムシ、イナゴ、バッタなど、遊び相手には困らなかったものだが、農業の機械化に対応するため、田畑の圃場整備(市街地でいう区画整理)がおこなわれ、そういった環境は失われてしまった。
圃場整備後の田畑は、無個性でのっぺらぼうのマトリックスとなって、人間以外の生き物たちをしめ出す。そこへ追い打ちをかけているのが、大量に使用される化学薬品。
わたし自身がそれに手を貸している側だが「元へもどる」ことのむずかしさを、しみじみと痛感してしまう。
TTPが認証されれば、どうなるのだろう。「田園まさに荒れなんとす」の陶淵明のような気分が、わたしの胸の奥を、ときおり疼かせる。
昆虫が見つからなければ、嘱目の野草を撮影する。



ここにあげた「野の花」の名前を、わたしはまったく知らないことに、いまさらのように驚きあきれる(^^;) それを考えると、「滅亡に手をかしている」側の人間として、有罪は免れないだろうなどと反省する。
昆虫図鑑、植物図鑑を少しずつ買って「そのうち、キチンと調べ、生態に理解をもとう」と思っていたことがあった。しかし、結局日々の雑事に追われたり、他のもっと興味深いものに関心を奪われたりして、これら野の花に対する理解は、いっこうに深まらない。
土壌や植物こそ、風土の土台であることはわかっている。
このあいだの日記でとりあげた鴎外のことばを思い出す。
《なんでもないようなことが楽しいようでなくてはいけない》
これを、座右の銘にしようかな・・・と考えはじめた。
家庭の人でもあった文豪森鴎外は、子どもたちに何を教え、残していこうとしたのか?
明治以降、日本には福沢諭吉のような人物が輩出して、ヨーロッパ、アメリカをお手本に、外ばかり気にしてきた。
足許に咲く、一本の地味な、小さな花の名さえ知らずに。
昆虫たちを養っているのは、そういった自生種の植物だというのに、ガーデニングの流行が、これでもかとばかり「外来種」をもちこんでくるのを、わたしは憂える。
TVを消し、ポケット図鑑をもって、フィールドに出かけよう──。
《なんでもないようなことが楽しいようでなくてはいけない》
鴎外のことばが、そういったことの大切さを、わたしに教えている。