二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

山光る利根川のほとり(ポエムNO.2-73)

2016年07月06日 | 俳句・短歌・詩集
一九三七年(昭和十二年)十月二十二日に一人の詩人が死んだ。
それを知ったもう一人の詩人は
つぎのように書いて その死を悼んだ。
《中原よ。
地球は冬で寒くて暗い。
ぢや。
さやうなら。 》
俳句のように短いこの詩のタイトルは「空間」と題されている。

その草野心平さんも死んで
もう何年になることだろう。
今日平成二十八年七月六日 ぼくは暑さをこらえきれず
上着を脱いで木陰のベンチに寄りかかり
これをメモ用紙に書きはじめた。

「人はだれも 生まれたときから
まっすぐ死に向かって歩いている」と乱暴に書きはじめ
よく冷えたコーラをぐいと一口。
自虐的な気分とさっきまで戯れていたが それにも飽きた。
しかし 詩はさきへすすまない。
不意にモーツァルトの「オーボエ四重奏曲」が聴きたくなって
ぼくはあわてる。

なにかしなければ・・・
ぼくは大事な用事があって
この世に生まれてきたはずじゃなかったのか?
そうじゃないとしたら いま
なんためにここにいて風に吹かれているのだろう。
モーツァルトのアダージョが耳のずっと底の方から聞こえてくる。

友人の訃報を今年も聞いた。
変わり映えしないいつもの夕陽が
上州の山なみを浮かび上がらせる。
ぼくは一枚だけ カメラのシャッターを押し
見舞いにすらいくことのなかった友人とのある場面を
レストランで夢中になっておしゃべりした十数年前の一場面を
あざやかに思い出していたのだ。

夕陽が記憶の奥まで射し込んで
影絵のような数羽のアヒルや
食べそこねた妙齢の女性のヒップや
ぐあおぐあおと通過していった鈍行列車の輝くデッキや
・・・そんなものが 脳裏でチラチラ動く。
《ぢや。
さやうなら》
と素っ気なく草野さんは書いたが
そこにほとんど果てしない寂寥感がにじんでいて
そのことばはモーツァルトのアダージョにも匹敵するな
・・・とぼくは考えたりしている。

山光る利根川のほとりで。



※作中モーツァルトのオーボエ四重奏曲は「オーボエ四重奏曲ヘ長調 K370」のことです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 見返すまなざし | トップ | 紫陽花と噴水 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

俳句・短歌・詩集」カテゴリの最新記事