この秋、ある程度の撮影はやってはいるけれど、読書モードのスイッチがOFFにはなっておらず、あっち見、こっち見しているような過渡期現象がつづいている。
いろいろな本に手がのびる。定価なら買わないが、この値段なら買っておこう。そのうち読むだろう。危険なBOOK OFFゞ(´Д` といってはBOOK OFFに失礼かしら。
本屋の本棚というのは、わたしにとっては欠くことのできない散歩コースなのである。どんな本と出くわすかわからない、ワクワク、ドキドキがある(^_^)/~
阿川弘之さん、北杜夫さんなどいままで関心が薄かった作家の本まで何冊か買って、スタンバイさせてある。どうして阿川さん、北さんかという理由を書くと長くなるから省略(笑)。
まあ「日本のいちばん長い日」を読んだ衝撃から、昭和史に関心を深めたのが、この秋の読書モードの根底に存在している。
以前書いたように、昭和史といっても、膨大な関連書籍、専門的な研究書など枚挙にいとまがない。うっかりしていると、昭和史という大森林の中で、迷子になってしまうだろう。
したがって、半藤一利さんという作家をキーパースンに据えてある。そこから大きくははみ出さないが、少しははみ出してみよう・・・というような。
基本的に好奇心にかられて本を読んでいる。つまり「濫読家」なのであります。
読書モードのスイッチがONになっていると、時間さえ許せば、あれもこれもと手がのびる。しかし、時間は限られている。買った本の2/3は“積読”となる。
若いころからそうだったので、この悪習、いまさら簡単にはあらためることができない。
さて、そろそろ本題に入る。
歴史は眺める方向によって、景観が一変する巨大な山塊のようなものであろう。
どういうことかというと、たとえば明治維新。これは江戸時代の方向から見ていくと、他にあまり例のないすばらしい近代化のモデルケースとなりうる。そう書いてある本が多いし、わたしも司馬史観的な見方に依って、この動乱の時代を眺めてきた。
しかし、たとえば、日本の敗戦という方向から明治維新を検証しなおしたらどうなるのだろう。あるいはそれと同じように、日清・日露の戦争をおさらいする。すると日本の軍国主義の萌芽が、すべて明治維新の中にやどっていたことに気がついて驚くだろう。イソップの童話ではないが、牛と競争するためムリにムリを重ねて腹が裂けた蛙のようなものだ。
それはともかく、日清・日露の戦役を理解するためには、明治維新が頭に入っていなければならないし、日中戦争・太平洋戦争を理解するためには、日清・日露の戦争がどういうものであったかわかっていなければならない。
まだ読み終わってはいないが、何冊かの本と同時並行で孫崎享さんの「戦後史の正体」も読みすすめている。
近・現代史をわたしは知らなかった。高校時代の日本史の授業では、明治維新がはじまるころに時間切れ。つまり大半の日本人は、近・現代史を学校で教わっていないし、知らないまま生活しているのである、わたし自身が最近までそうであったように。
孫崎享さんの「戦後史の正体」は、戦後史・・・とくに外交史を中心に読み解いた、とても刺激的な一冊である。単純化、図式化によってわかりやすさがましている。日本は大国の周縁国家として、中国の強い影響下にスタートした国である。そして太平洋戦争以降は、アメリカの圧倒的な影響の下で繁栄をつづけていたのだ。
孫崎さんは、外交史にとどまらず、政治の根幹にかかわる部分まで、アメリカの力が及んでいることを抉摘している。占領時代はいうまでもないが、それが現代までつつんでいるという指摘は、読み流すことのできない認識をふくんでいるのだ。
昭和20年8月15日
昭和20年9月2日
8月15日が何の日か知らない日本人はいないだろうが、9月2日を知っているという人は少ない。日本政府代表が、ポツダム宣言に署名し、連合国に対し、無条件降伏した日なのである。
孫崎さんは、鋭利なメスさばきで、戦後史の“かくされた真実”を解剖していく。60年安保を、こういう視点から語ってみせた人がほかにいるだろうか(?_?)
日本人は8月15日を終戦記念日と呼んでいる。しかし、連合国にとっては、9月2日が、日本に対する戦勝記念日なのである。
なぜそういう歴史の“真実”を、日本人は次世代に教え、つたえていかないのだろうか。戦争の“悲惨な”一面ばかりを強調するあまり、政治的、外交的な面が抜けてしまう。考えてみれば、あの戦争では「被害者面した方が勝ち」という、いやな雰囲気までただよっているのはどうしたことか?
わたしの場合、一冊の本が、つぎの一冊をつれてくる。昭和史、昭和史といいながら、明治維新までさかのぼって、“戦争の歴史”を中心に学ぼうとしている。
「ああそうなのか? なんだ、そうだったのか!」
読んだ本を無批判に受け入れて興奮しているわけではないが、たぐっていくと、芋づる式にあらわれる本の中の世界に浸りこむ。
しばらく前に、YouTubeにも、興味深い動画がたくさんあることに気がついた。
わたしの近・現代史へのアプローチは、まだはじまったばかりだ♪
いろいろな本に手がのびる。定価なら買わないが、この値段なら買っておこう。そのうち読むだろう。危険なBOOK OFFゞ(´Д` といってはBOOK OFFに失礼かしら。
本屋の本棚というのは、わたしにとっては欠くことのできない散歩コースなのである。どんな本と出くわすかわからない、ワクワク、ドキドキがある(^_^)/~
阿川弘之さん、北杜夫さんなどいままで関心が薄かった作家の本まで何冊か買って、スタンバイさせてある。どうして阿川さん、北さんかという理由を書くと長くなるから省略(笑)。
まあ「日本のいちばん長い日」を読んだ衝撃から、昭和史に関心を深めたのが、この秋の読書モードの根底に存在している。
以前書いたように、昭和史といっても、膨大な関連書籍、専門的な研究書など枚挙にいとまがない。うっかりしていると、昭和史という大森林の中で、迷子になってしまうだろう。
したがって、半藤一利さんという作家をキーパースンに据えてある。そこから大きくははみ出さないが、少しははみ出してみよう・・・というような。
基本的に好奇心にかられて本を読んでいる。つまり「濫読家」なのであります。
読書モードのスイッチがONになっていると、時間さえ許せば、あれもこれもと手がのびる。しかし、時間は限られている。買った本の2/3は“積読”となる。
若いころからそうだったので、この悪習、いまさら簡単にはあらためることができない。
さて、そろそろ本題に入る。
歴史は眺める方向によって、景観が一変する巨大な山塊のようなものであろう。
どういうことかというと、たとえば明治維新。これは江戸時代の方向から見ていくと、他にあまり例のないすばらしい近代化のモデルケースとなりうる。そう書いてある本が多いし、わたしも司馬史観的な見方に依って、この動乱の時代を眺めてきた。
しかし、たとえば、日本の敗戦という方向から明治維新を検証しなおしたらどうなるのだろう。あるいはそれと同じように、日清・日露の戦争をおさらいする。すると日本の軍国主義の萌芽が、すべて明治維新の中にやどっていたことに気がついて驚くだろう。イソップの童話ではないが、牛と競争するためムリにムリを重ねて腹が裂けた蛙のようなものだ。
それはともかく、日清・日露の戦役を理解するためには、明治維新が頭に入っていなければならないし、日中戦争・太平洋戦争を理解するためには、日清・日露の戦争がどういうものであったかわかっていなければならない。
まだ読み終わってはいないが、何冊かの本と同時並行で孫崎享さんの「戦後史の正体」も読みすすめている。
近・現代史をわたしは知らなかった。高校時代の日本史の授業では、明治維新がはじまるころに時間切れ。つまり大半の日本人は、近・現代史を学校で教わっていないし、知らないまま生活しているのである、わたし自身が最近までそうであったように。
孫崎享さんの「戦後史の正体」は、戦後史・・・とくに外交史を中心に読み解いた、とても刺激的な一冊である。単純化、図式化によってわかりやすさがましている。日本は大国の周縁国家として、中国の強い影響下にスタートした国である。そして太平洋戦争以降は、アメリカの圧倒的な影響の下で繁栄をつづけていたのだ。
孫崎さんは、外交史にとどまらず、政治の根幹にかかわる部分まで、アメリカの力が及んでいることを抉摘している。占領時代はいうまでもないが、それが現代までつつんでいるという指摘は、読み流すことのできない認識をふくんでいるのだ。
昭和20年8月15日
昭和20年9月2日
8月15日が何の日か知らない日本人はいないだろうが、9月2日を知っているという人は少ない。日本政府代表が、ポツダム宣言に署名し、連合国に対し、無条件降伏した日なのである。
孫崎さんは、鋭利なメスさばきで、戦後史の“かくされた真実”を解剖していく。60年安保を、こういう視点から語ってみせた人がほかにいるだろうか(?_?)
日本人は8月15日を終戦記念日と呼んでいる。しかし、連合国にとっては、9月2日が、日本に対する戦勝記念日なのである。
なぜそういう歴史の“真実”を、日本人は次世代に教え、つたえていかないのだろうか。戦争の“悲惨な”一面ばかりを強調するあまり、政治的、外交的な面が抜けてしまう。考えてみれば、あの戦争では「被害者面した方が勝ち」という、いやな雰囲気までただよっているのはどうしたことか?
わたしの場合、一冊の本が、つぎの一冊をつれてくる。昭和史、昭和史といいながら、明治維新までさかのぼって、“戦争の歴史”を中心に学ぼうとしている。
「ああそうなのか? なんだ、そうだったのか!」
読んだ本を無批判に受け入れて興奮しているわけではないが、たぐっていくと、芋づる式にあらわれる本の中の世界に浸りこむ。
しばらく前に、YouTubeにも、興味深い動画がたくさんあることに気がついた。
わたしの近・現代史へのアプローチは、まだはじまったばかりだ♪