
(「視線の考古学」ということばがやってきた。レトロなカメラにレトロな一隅)
わたしは境界線上を歩いているのだろうか?
右側はフィルム写真、左側はデジタル写真。
その線上をジグザグと、あるいはよたよたと歩いている。
今年は秋になって、2台のフィルムカメラがやってきた。
キヤノンAE-1と、ニコンFE2、どちらもいつ毀れるかわからない電磁レリーズ機種。
そのためモチベーションがUPし、ロモネガで36×8本を撮影し、久しぶりにたっぷりレトロな味を堪能することとなった。
いまとなっては時間がかかるだけでなく、お金もかかる贅沢な趣味となってしまったけどね(^^;)
究極のアナログおじさんHさんに出会ってそのコレクションを見せてもらったのも、この秋だった。
ライカM2、ライカM3をメインに据え、ポジフィルムを使って、風景写真を撮っておられた。したがって、単体露出計は必須アイテム。
わたしはアナログとデジタルにまたがった写真をやっているけど、Hさんは一世代上、デジタル機器はいっさいお使いにならない、パソコン、スマホもふくめて。
つまり「古きよき時代」をそのまま体現しているわけだ。
境界線上を歩いてきたわたしは、こーゆー人物に、もちろん、最大限の敬意を捧げる( ´ー`)ノ
どんな天才であろうと、人間は皆「時代の子」なのである。
さて、コメント抜きで、また8枚の「収穫」をピックアップしておこう。
3-1

3-2

3-3

ここまでは66判、以下は35ミリ判。
3-4

3-5

3-6

3-7

3-8

そして<おまけ>

こちらは3-8のデジタル版。
同じ時刻に、念のためRX100M3でも、この赤い薔薇を撮影した。
3-8はキヤノンAE-1&FD50ミリF1.4の絞り開放、
しかも最短撮影距離。
このレンズのポテンシャルは以前から注目していた。
破綻のない、デリケートな、奥行き感のある描写が素晴らしい(*゚▽゚)ノ
そして、ネガカラーのやわらかさ、発色が、この一枚を見応えあるものしている・・・と、わたしの眼には見えている。
果たしてどんなものだろうか(・_・?)
わたしは境界線上を歩いているのだろうか?
右側はフィルム写真、左側はデジタル写真。
その線上をジグザグと、あるいはよたよたと歩いている。
今年は秋になって、2台のフィルムカメラがやってきた。
キヤノンAE-1と、ニコンFE2、どちらもいつ毀れるかわからない電磁レリーズ機種。
そのためモチベーションがUPし、ロモネガで36×8本を撮影し、久しぶりにたっぷりレトロな味を堪能することとなった。
いまとなっては時間がかかるだけでなく、お金もかかる贅沢な趣味となってしまったけどね(^^;)
究極のアナログおじさんHさんに出会ってそのコレクションを見せてもらったのも、この秋だった。
ライカM2、ライカM3をメインに据え、ポジフィルムを使って、風景写真を撮っておられた。したがって、単体露出計は必須アイテム。
わたしはアナログとデジタルにまたがった写真をやっているけど、Hさんは一世代上、デジタル機器はいっさいお使いにならない、パソコン、スマホもふくめて。
つまり「古きよき時代」をそのまま体現しているわけだ。
境界線上を歩いてきたわたしは、こーゆー人物に、もちろん、最大限の敬意を捧げる( ´ー`)ノ
どんな天才であろうと、人間は皆「時代の子」なのである。
さて、コメント抜きで、また8枚の「収穫」をピックアップしておこう。
3-1

3-2

3-3

ここまでは66判、以下は35ミリ判。
3-4

3-5

3-6

3-7

3-8

そして<おまけ>

こちらは3-8のデジタル版。
同じ時刻に、念のためRX100M3でも、この赤い薔薇を撮影した。
3-8はキヤノンAE-1&FD50ミリF1.4の絞り開放、
しかも最短撮影距離。
このレンズのポテンシャルは以前から注目していた。
破綻のない、デリケートな、奥行き感のある描写が素晴らしい(*゚▽゚)ノ
そして、ネガカラーのやわらかさ、発色が、この一枚を見応えあるものしている・・・と、わたしの眼には見えている。
果たしてどんなものだろうか(・_・?)