二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

カメラで日常を綴る ~牛腸茂雄に寄り添って

2013年05月22日 | Blog & Photo
(畑で見かけた木の苗。なんでこんなところに根を?)


牛腸茂雄さんに「SELF AND OTHERS」という写真集があるのをご存じだろうか?
そのまま訳せば自己と他者。
数日前、ある本屋でこの写真集を立ち読みしながら、涙がこぼれそうになった。
音楽ではよくあることだけれど、絵画や写真を見ていて、この種の感動に襲われるのはめずらしい。

やや小型の地味で寡黙なモノクローム写真集。
これまで図書館で借りてきたりして、2、3回は端から端まで見ている。
師の大辻清司さんがこの写真家を世に送り出し、飯沢耕太郎さんがとても高い評価を与えて、「SELF AND OTHERS」は新装版が刊行された。
わたしが手にとって、胸を熱くしたのはその新装版。

なぜ胸が熱くなったのだろう?
双子の子どもの写真が何枚か登場する。ダイアン・アーバスを思わせる、ちょっとゆったりしたフレーミングの中で、カメラ目線の双子がこっちを見つめている。
とても印象的な母親の顔のクローズアップ! 父親、友達。
牛腸にはほかに「日々」「見慣れた街の中で」というすぐれた写真集があるが、わたしは借りてきて見ただけで、もってはいない。

「SELF AND OTHERS」とはなんだ? なんだろうと考えながら、最後まで見ていく。
すると胸椎カリエスで成長が止った牛腸自身が出てくる。窓際にたって、こっちを見ている。そして最後の一枚。
この写真集には数枚の重要な写真がある。
それを見落とさなければ、彼のつぶやきのようなものを、聞きことができるだろう。

彼は生命の根源のようなものを静かに見つめ、自己の意味を問いかけている。
それは「他者」とはなんだろうと問いかけることに、そのまま通じていく。
「なぜぼくはぼくなのか? なぜ、こういうぼくなのか」

画像検索し、2枚の写真をお借りしたので、ここに掲げておこう。
「SELF AND OTHERS」ラストの2枚!





写真集の表紙に使われた、複数の子どもたちが霧の彼方へと去っていく情景が、この写真集のラストシーン。
淡々とした日常の中の旅をへて、見るべきものを見て、この2枚にたどり着くために、彼は写真をセレクトしている。
障害者である彼自身に突き刺さってくる他者のまなざし。それをあるいは受け止め、あるいははじき返すことが彼の「写真を撮ることの意味」である。・・・いや、それはあくまでわたしの主観的な見方にすぎないとしても、あたかもそうであるかのように、わたしの眼には映ったのだ。

モノクロームの中に封じ込められたドキュメント性。
「SELF AND OTHERS」が“内省の涯”に生まれた写真集だとするなら、
「見慣れた街の中で」はカラー作品。しかも、関心は何かを突き破ったかのように、外部へ、繁華な町へ、他者へとアクティヴに向かっている。

牛腸は病をえて、36才という若さで亡くなった。
しかし、今後も長く語り継がれ、見直されていく、すぐれたフォトグラファーであることは疑いない。
彼は自分のことばを、つぶやきを、思想を、写真集の中に封じ込めた。なぜなら、彼がフォトグラファーだからである。
書店の棚のかたわらで、「SELF AND OTHERS」に胸をうたれたのは、そこに牛腸のまなざしと、牛腸へのまなざしが、いまも、脈々と波打っていることを感じたからである。

写真集を読むとは、そういうことにほかならない。



<牛腸茂雄、画像検索>
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E7%89%9B%E8%85%B8%E8%8C%82%E9%9B%84
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