二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

ウジェーヌ・アジェのように

2011年04月29日 | Blog & Photo
アジェは後世が発見した写真家である。
ウィキペディアのアボットの稿には、こう書かれている。
『1925年に、フランスの写真家、ウジェーヌ・アジェと出会った。アジェが死ぬと間もなく彼の作品をまとめて手に入れ、散逸から救い、最終的にはニューヨーク近代美術館に購入させることに成功した。』
つまり、ベレニス・アボットが屋根裏でつつましく、貧しく暮らしていた街の写真師アジェと出会っていなければ、アジェの数万点におよぶあの貴重な作品群は、その大半が散逸し、歴史の彼方にうもれてしまっていただろう、ということ。これは写真史の本では必ず語られている有名なエピソードだから、知っておられる方が多いだろう。

アボットは最晩年のアジェと出会い、そのポートレーを撮影している。アジェが亡くなるのは、そのわずか2年後。
前半生のアジェの人生は、俗ないい方をすれば「失敗の連続」。そして組み立て暗箱の「写真」と出会い、街に出る。



この写真左は「ランプ売り」、右は「水売り」。いずれも1899~1900年の撮影と推定されている。



こちらは左が婦人服の、右が子供服の店のショーウィンドゥで、撮影は1925~6年ごろ。

アジェは後世の写真家や批評家がいろいろに語ってきた。森山大道も荒木経惟も、アジェのいわば「正当な後継者」である。
街のデザイン
都市のフラヌール(遊歩者)
その街角が犯罪現場のように見えるのはなぜ?
時と光の化石
記録と記憶
人と物の存在証明書
写真における身体性とはなにか?
時代と都市の目撃者

・・・彼の写真を解き明かすキーワードは、まだまだある。
淡々と、ただ毎日、彼は写真を撮影し、美術館(政府機関)や画家にそれを売って、生活の糧をえていたのである。長らく写真をやっていると、いろいろな写真集や写真のはるか彼方に、アジェの後ろ姿がおぼろげに浮かび上がる。
ウォーカー・エバンスもすごいし、ロバート・フランクもすごい。写真界に神々とでもいうべき存在は数多いが、時代をさかのぼり、その原初の光景のようなものをさぐろうとすると、ナダールとこのアジェとにいきあたる。そして、「あの時代の」パリに。

わたしはバルザックとゾラの小説が好きなのだが、「時代のパースペクティヴ」はアジェの写真のなかに、そのおもかげを、千変万化させつつ具体的にとどめ、そのときそこにあった光や影や空気にふれる手がかりを得る。人間はすべて、こういった「背景」の中に生きる。





とじこめられたものの美しさ。
金属と、植物。よく見ると糸巻き型のディストレーションがひどいけれど(^^;)



これまた、金属と植物の協奏曲。赤、緑、青。どれが主役だろう?
生活に追われている通行人は、この街角のキャンバスに気がつかない。



伊勢崎市にあるイスラムのモスク。人影はなく、時間は西日をあびて化石のように動かなかった。
フレーミングがむずかしく、何枚もシャッターを押したなかの一枚(=_=)

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