
町を歩いていると、明るいところと、暗いところがある。
むろん、その中間のいわばグレーゾーンが圧倒的な割合をしめるのだけれど、明るいところを見たあとでは、暗いところが見たくなるし、暗いところを見たあとでは、明るいところが見たくなる。
たとえば、暗いところには、時のよどみにひっそりと廃屋が沈んでいる。
たとえば、明るいところには、だれかが種または苗木を植えた花が咲いている。
ネイチャー・フォトとしてフレーミングするのではなく、街角小景として、それらをポンと撮影するのが気に入っていて、過去の写真には、そういったものがたくさんストックしてある。
町の中のフラワーは、当然ながら、野の花とは違った風情をもっている。
もうずいぶん昔のこと、・・・たぶん20年かもっとまえのことだけれど、わたしは鮮烈な光景を思い出す。
ところは、足尾市郊外。
足尾銅山の足尾で、こちらからいくと、大間々から日光へ抜ける道すがらにある。
石炭が基幹産業のひとつであったころ、筑豊や夕張には炭住長屋といわれる建物があったはず。
いま検索したら、こんなページにたどりついたので、炭住長屋がどんなものか知らない方は、こちらをどうぞ。
http://fine.ap.teacup.com/chikumae_life/119.html
わたしが出かけたころ、足尾にも、この長屋があって、そこに大きなヒマワリの大群が咲き乱れていた。
その光景が、まぶたに焼き付いている。
鉱山は石炭に限らず、金山、銀山、銅山も、日本ではほぼ滅亡している。
長屋が廃屋と化しているのは、ひと目見てわかったので、わたしはその敷地へずんずん入っていった。
そうして、角を曲がって、ヒマワリの群落に出会った。
「ほっぺたをひっぱたかれるような衝撃」というと大げさだけれど、それは太陽のかけらのように眼に飛び込んできた。
人びとが立ち去ってしまったあとに、何事もなかったように咲いているヒマワリに感動し、10枚か、もっとたくさん写真を撮った。銀塩フィルム時代の10枚は、たぶん、デジタルの20枚、30枚に匹敵する(笑)。
夏だったので、アサガオも咲いていた。
長屋には、申し合わせたように、猫のひたいほどの庭があって、そこに雑草や、園芸品種の植物があったりした。そのころ、ある種の「廃屋趣味」にひたっていたのだ。
わたしは廃屋と化した長屋を撮りたくて出かけた。
連棟式の長屋は、わたしのあまりアテにならない記憶だと、4列ほどあった。
そこを一回りし、廃屋の写真を撮ってから帰ろうとしたとき、物干し竿に洗濯物が翻っているのが、眼にとまった。
「おや? まだだれか住んでいる!」
洗濯物には、モンペや割烹着のようなものがまじっていたので、住人は高齢者であったのだろう。
町歩きをしていると、廃屋だとおもった建物に、まだだれか住んでいる・・・という光景に、たまにぶつかる。
ガラス戸が割れ、屋根がかしいだような建物の電気の計測メーターが、くるくる回っている。
人の影はないのだけれど、数日前まで、ここにだれか暮らしていたのではないかと、そんな気配のようなものをただよわせている。
その場合、もし花が咲いていたら、それはたしかに花なのだけれど、またあるものの象徴である。
花の向こうに、その花を植えた人の面影と、暮らしが、ぼんやりと滲んで見えている。
アルバムをふり返ってみると、わたしはそんな光景に惹かれ、たくさんの写真を撮ってきた。明るい方へ歩いてゆく。すると、そこに花がある。


ところで、友人の女性が本を出版したので、ご紹介させていただこう。
「わたしたちの名前」 鈴木 律子著
日本文学館刊行 800円+税
おそらく自費出版か、それに近い形態の小説本。169ページ。
まだ本文は読んでいないけれど、ファミレスでランチを食べながら、わたしはご本人から購入した。
帯にはこんな内容紹介が・・・。
《「魔女」と呼ばれるほどに気高く美しい少女――ミミ。
私は、わたしたちの「ほんとうの名前」を探し続けていたのだ。》

うん、うん、なかなかおもしろそう!
読みおえたら、レビューを書かせてもらおう。新聞の地方欄、または地方紙などに、インタビュー記事が掲載されるようである。「わたしたちの名前」は彼女のデビュー作だが、二作目も完成間近だとか。