二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「途中下車」「嗅覚の地図」「スフィンクス」

2011年06月24日 | 俳句・短歌・詩集
これらの詩は、もともと1編の詩にするつもりだったのに、分裂してしまい「だんご三兄弟」となったものである。


◇ 途中下車

身体は数十万年もの太古にその淵源をもち
幾世代となく 一本 または数本の糸のようなもので
その淵源につながっている。
ぼくのからだは 突然意味もなく現世に出現したのではない。

ある日 雷にうたれたようにそんな思念にうたれる。
かすかなうめき声をあげる。
それから買っておいたカレーを温めて食べ
ウィスキーの水割りを飲んで一夜を過ごしてから
いつもの場所へ いつものように出かけていく。

「ああ どうもお世話になります」
「おはようございます」
「おさきに失礼します」
「ありがとうございます」
そんなことばにまみれて過ごす一日。

いったいだれと なんのためにコミュニケーションをとろうというのだろう。
なーんて ときおり途方にくれながら。

一日は死へとむかいながらの途中下車。
日付がそのまま駅名なのだ。




◇嗅覚の地図

ピーマンのにおいがたちこめているな。
いや そのほかいろいろなにおいが。
人間が嗅覚の発達した生き物だったら
見る前に嗅ぐだろう。
この世界を。
嗅覚によってできあがった地図を想像しながら歩くってものも愉しい。
犬はみんなそうしている。

ほらほら。
むこうからやってくるあの犬の歩きぶり。
歩くことは 認識の手段そのもの。
人間は見 犬は嗅ぐ。

あの森を知っている人は気がつくだろう。
木が紙に変り 本になることを。
たまには読まずに 嗅いでみないか?
そのほうが手っとりばやい としたら。
聖書や仏典を数秒で「知る」ことができるとしたら・・・。

世界とはなんとまあシンプルで
けさの大気の香しいことよ!




◇スフィンクス

あんな一日 こんな一日。
いや正しくはこういうべきだ。
あの人の一日 この人の一日
そしてぼくの・・・と。

アフリカという褐色のテーブルの上に置かれたスフィンクスは
老いることを知らない。
通過する人間に謎をかけ 謎を解けなかった者を食べる。
大いなることばの煮こごりのように。
すると・・・
そうなのだ。
スフィンクスは詩の形象である。
と書いてから ぼくは小首をかしげながら
いま書いた数行をじっと見つめる。

日本語が読めない人種にとっては 蟻の行列のように見えるだろう。
ただし いっぴき いっぴきが微妙に違っていて
触覚なんかふるわせている
もじとモジと文字。

スフィンクスは そこにありつづけるだろう。
人間がこの地球から絶滅するまで。
そしてだーれもいなくなったのを見届けたあと
さらに数千年をへて砂の形象はゆっくりとこわれ
アフリカの大地に還るだろう。

かすかに微笑すらうかべて。



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