二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

正岡子規「仰臥漫録」

2007年12月24日 | エッセイ(国内)
 正岡子規にこの書があるのを知ったのは古いが、いつ買ったのだろう。文庫本の奥付を見ると、こうある。

 1927年7月10日第1刷発行
 2005年5月24日第50刷発行
 
 これで推測するかぎり、2005年の秋あたりに買ったのではないか。
 とすれば、読もうと思ってから、読み終わるまで、2年かかったことになる。その大部分をベッドのなかと、電車のベンチで読んだ。恐るべき本である。読みはじめるまえから、これが、どれほど「恐るべき本」であるか、わかっていたのだ。脊椎カリエスという病魔と、迫りくる「確実な死」を見据えながら、こういった身辺雑記と俳句を、その最後の力が折れつきるまで記録しつづけた、希有な本である。「襟を正して読む」とは、こういう本のことをいう。
 書く人はもちろん、読む人も、そうとうの覚悟と勇気を必要とするからである。
 明治35年6月20日より「麻痺剤服用日記」がはじまるが、「もういいよ、やめてくれ」と叫びたくなった。子規は安楽死をのぞまなかったのだろうか? いや、子規は自殺について思いめぐらし、小刀と千枚通しの絵をスケッチしている。なぜ、これほど愚かしくも凄惨な記録を、残したのだろうか・・・。
 執拗に書きとめられている食べたものの一覧。「子規はいのちがけで食っている」と書いたのは「あと千回の晩飯」の山田風太郎さんだった。食へのすさまじいばかりの執念! 

・こほろぎや物音絶えし台所
・さまざまの虫鳴く夜となりにけり
・夜更けて米とぐ音やきりぎりす
・痩臑(やせずね)に秋の蚊とまる憎きかな
 深夜目覚めて呻吟する病人の意識は透徹したもののようだ。しかし、枕辺にて辛抱強く看病をつづける、出戻りの妹律へは、愛憎なかばする激しい言辞を投げつけざるをえない子規の心境には、疑いようもなく「阿修羅」が棲んでいる。

 「・・・○白き蝶女郎花の花を吸ふ ○蝶二つになる ○ぶいぶい糸瓜の花を吸ふ ○蛾一つガラス戸を這ふ ○揚羽の蝶来る 倉皇として去る ○鳥一羽棚の上を飛び過ぐ ○山女郎(黒蝶)来る ○雲なし」
 <病床六尺>の天地である。
 子規が病とたたかうためにすがった杖は、やはり俳句であった。驚嘆すべき生への執念は、やがてゆっくりと「死の受容」へと向かう。自分の葬式や墓について、思いを書いている。週刊誌などによく「****さん、壮絶ガン死」などという見出しが躍っているのを見る。
 この「仰臥漫録」は死んでいく者が残した、まさに壮絶なたたかいの記録である。「記録する」とは、人間にとって、すでにそれ自体、尊いことではないか?
 読み終わって、頭のなかをさまざまな思念がかけめぐる・・・。

 正岡 子規(まさおか しき、慶応3年9月17日(1867年10月14日) - 明治35年(1902年)9月19日)

 正岡子規「仰臥漫録」岩波文庫>☆☆☆☆

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