本書は江戸時代の「雨月物語」などとならんで、日本ホラー小説の代表作と目される作品。
以前から持ってはいたが、身を入れて読んだことがなかった。このあいだまとめ買いしたなかに、活字が大きくなった岩波文庫の新装版があったので、通読することができた。
文庫の扉うらに、こう紹介されている。
『北陸敦賀の旅の宿、道連れの高野の旅僧が語りだしたのは、飛騨深山中で僧が経験した怪異陰惨な物語だった。自由奔放 . . . 本文を読む
以前斜め読みのような読み方をしたことがあったが、
今回は最後まで読み了えることができた。
吉本隆明が「近代日本文学の名作」で本書を高く評価していたからであった。
自然主義の出発点といわれる「蒲団」はいま読むと、古色蒼然たる部分ばかりが目立ち、物語としてのおもしろさもないが「田舎教師」は明らかに違っている。
いうまでもなく、日本の近代文学は、ヨーロッパ文学の模倣から出発している。二葉亭四迷 . . . 本文を読む
わたしはすばる文学新人賞の下読みを5、6年やっていた。
4月になると、編集部から大きな段ボールで、60編の小説が送付されてくる。
一編読んで、評価を下し、あらすじと感想を書く。一編で当時3,000円となったから、そう悪いアルバイトではなかった。大学は卒業したものの、定職にはつかず、仲間と詩の同人誌などを運営しながら、ぶらぶらしていた時期だった。もう30年も昔の話である。
ワープロ原稿ではなく . . . 本文を読む
森鴎外の「雁」を久しぶりに読み返したので、感想を書いておこう。
新潮文庫に「山椒大夫・高瀬舟」「阿部一族・舞姫」という短編集があって、
これは5年にいっぺんくらいは読み返してきた。
文豪ということばがあるが、鴎外ほど、この表現にぴったりの文学者はいないだろう。
売文をこととして市井に生きる三文文士ではなく、軍医総監・医務局長を長く勤め、その後、帝室博物館総長、帝国美術院院長という、明治・大正の官僚 . . . 本文を読む
1
これまで「野火」に対しては、わたしはたいへん高い評価を与えてきた。
「野火」は、明治、大正、昭和を通じて、わが国最高の文学的達成のひとつである、と。
いや、わたしばかりでなく、本書を読む者の多くが、ここに見られる見事な小説的言語空間に、心をゆさぶられるに相違ない、と確信する。
それに関連して、あるエピソードを思い出す。
<私はこの小説を面白ずくや娯楽として読んだのじゃない。人生永遠の . . . 本文を読む
文学に関心がもどってきたのは、何年ぶりのことだろう。
いや、折にふれて、ぽつりぽつり読んではいたが、このように「読みたい」と思って、そんな気分がこころの奥底から湧きあがってきたのは、十数年ぶり、いや二十年ぶりといってもいいかも知れない。
漱石の「硝子戸の中」を読み返しながら、書評めいたものが書きたくなってきた。
そして、漱石についてあれこれと考えているうち、本屋やnetでいろいろな情報に眼をと . . . 本文を読む
およそ2年ぶりに中島敦(1909~1942年)の「李陵」を読み返したので、書評を書いておきたくなった。つつみ隠さずにいえば、読みながらわたしは、滂沱たる涙にかきくれ、幾度か本を擱いて、それを拭わねばならなかった。
新潮文庫「李陵・山月記」には「李陵」「山月記」「弟子」「名人伝」の4編が収録されていて、小さな活字の本ではあったが、長らくこれが手許にあった。しかし、数年前に武田泰淳の「司馬遷」を . . . 本文を読む
永井荷風(1879~1957年)の最高傑作。「日和下駄」「断腸亭日乗」なども愛読するようになったが、それもこの一作にめぐりあったためである。はじめて手にしたのは二十代の終わりころ。しかし、書かれた内容に深く共感を覚えるようになったのは、四十代なかばになってから。
長編小説といいたいところだが、「作後贅言」をふくめても、文庫でたった180ページである。奇妙な一編の小説が日本や自分自身への絶望のう . . . 本文を読む
山本周五郎の愛読者をもってみずから任じてきたが、新潮文庫カバー裏に付された作品一覧を見て驚いた。51冊もの書名がならんでいるからである。わたしが読んだのは、そのうち20冊程度だと、いま気がついた。
長編はほとんど読んでいない。そのうち読もうと考えているうちに、ずるずる月日がたっていってしまった。そのかわり、岡場所ものや下町人情ものといわれる作品は繰り返し読んできた。「夜の辛夷」「なんの花か薫る . . . 本文を読む