春の七草粥とは・・・
毎年1月7日(人日の節句)に春の七草を入れて炊いた粥。
また、1月7日の朝に食し、新年の無病息災・豊年を願う行事のこと。
「菜粥」、「薺(なずな)粥」とも。新年の季語。
正月疲れで弱った胃腸を労わる意味合いもあると言われる。 (以上 「はてなキーワード」 より)
そうですね、
つまり、新年の無病息災・豊年を願うために、「春の七草」 が入っていればいーのです
( 我が家では2日から営業、ゆえ、正月料理で胃腸を弱めている暇も、餅の食いすぎ+正月のごろ寝で太ってるヒマもなし 違う意味では年中太ってますが・・・ アセアセ… )
と、ゆーワケで、今年は何日もあまって、しまいには食べたくなくなる 「粥」 はやめて、
じゃぁ~ん
「春の七草シチュー」 にしてみましたぁ~
前もって買っておいた、スーパーで売ってる 「七草セット」 を、量が多かったので母と半分ずつに分けたのですが (もちろん 母は粥を炊きましたが)
緑色を生かしたかったので、 スズナ(カブの実)、スズシロ(ダイコン) は刻んで、他のシチューに普通に入れる野菜 (ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ) と一緒に煮込みましたが、
(昨日は冷凍してあった鶏肉を解凍して切るのが面倒で、鍋用の鳥団子を半解凍のまま入れました)
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、それとカブの葉っぱの部分は刻んでおいて、火を止めてから入れてほんの少しだけ混ぜたら余熱で温めただけなので・・・
ご覧のように色鮮やか、
でも、ちょぃセリ臭さとか強かったですが・・・
まぁ、おいしく食べられました。 (クリームシチューなら大好きなので何日残っても平気)
今年は、自宅近所の家に新年早々葬式ができ、
そういう経験のない方々には理解が難しいと思うが、隣組で寺に手伝いに行かなければならなくて、そのことで人間関係でちょー疲れること、本当に腹の立つことなどがあり、
( 以前より、ちゃんとした理由のもとにその制度そのものが理不尽であるのだが、輪をかけて悔しい出来事が他のことと関連してあったため)
立ち直るのに時間を要したのですが・・・
それらを書いているとどんどん長くなり、書いている間怒りが収まらなくて、結局自分のソンになるので、
ふと思い出した愛読書の 「あとがき」 の1節を書いてみます。
彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。
( 『69 sixty nine』-集英社刊 あとがきより、原文まま。 1987,4,20 村上龍 )
くやしいけど、それを 「今は」 顔に出したり、言葉にはせず、
最後に、笑って死んだほうが勝ちである
笑って死ぬために、日々頑張ろうと思った。
明日からの3連休が、ある意味勝負である。
読者の皆さま、新年早々ワケわからんこと言って、ごめんなさい。
ネコタ、元気にガンバリまぁ~す
毎年1月7日(人日の節句)に春の七草を入れて炊いた粥。
また、1月7日の朝に食し、新年の無病息災・豊年を願う行事のこと。
「菜粥」、「薺(なずな)粥」とも。新年の季語。
正月疲れで弱った胃腸を労わる意味合いもあると言われる。 (以上 「はてなキーワード」 より)
そうですね、
つまり、新年の無病息災・豊年を願うために、「春の七草」 が入っていればいーのです
( 我が家では2日から営業、ゆえ、正月料理で胃腸を弱めている暇も、餅の食いすぎ+正月のごろ寝で太ってるヒマもなし 違う意味では年中太ってますが・・・ アセアセ… )
と、ゆーワケで、今年は何日もあまって、しまいには食べたくなくなる 「粥」 はやめて、
じゃぁ~ん
「春の七草シチュー」 にしてみましたぁ~
前もって買っておいた、スーパーで売ってる 「七草セット」 を、量が多かったので母と半分ずつに分けたのですが (もちろん 母は粥を炊きましたが)
緑色を生かしたかったので、 スズナ(カブの実)、スズシロ(ダイコン) は刻んで、他のシチューに普通に入れる野菜 (ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ) と一緒に煮込みましたが、
(昨日は冷凍してあった鶏肉を解凍して切るのが面倒で、鍋用の鳥団子を半解凍のまま入れました)
セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、それとカブの葉っぱの部分は刻んでおいて、火を止めてから入れてほんの少しだけ混ぜたら余熱で温めただけなので・・・
ご覧のように色鮮やか、
でも、ちょぃセリ臭さとか強かったですが・・・
まぁ、おいしく食べられました。 (クリームシチューなら大好きなので何日残っても平気)
今年は、自宅近所の家に新年早々葬式ができ、
そういう経験のない方々には理解が難しいと思うが、隣組で寺に手伝いに行かなければならなくて、そのことで人間関係でちょー疲れること、本当に腹の立つことなどがあり、
( 以前より、ちゃんとした理由のもとにその制度そのものが理不尽であるのだが、輪をかけて悔しい出来事が他のことと関連してあったため)
立ち直るのに時間を要したのですが・・・
それらを書いているとどんどん長くなり、書いている間怒りが収まらなくて、結局自分のソンになるので、
ふと思い出した愛読書の 「あとがき」 の1節を書いてみます。
彼らをただ殴っても結局こちらが損をすることになる。
唯一の復しゅうの方法は、彼らよりも楽しく生きることだと思う。
楽しく生きるためにはエネルギーがいる。
戦いである。
わたしはその戦いを今も続けている。
退屈な連中に自分の笑い声を聞かせてやるための戦いは死ぬまで終わることがないだろう。
( 『69 sixty nine』-集英社刊 あとがきより、原文まま。 1987,4,20 村上龍 )
くやしいけど、それを 「今は」 顔に出したり、言葉にはせず、
最後に、笑って死んだほうが勝ちである
笑って死ぬために、日々頑張ろうと思った。
明日からの3連休が、ある意味勝負である。
読者の皆さま、新年早々ワケわからんこと言って、ごめんなさい。
ネコタ、元気にガンバリまぁ~す