2月27日(金)に人工大たい骨を埋め込む再手術をした母は、一昨日でちょうど術後1カ月が過ぎました。
それで書き忘れていたかもしれないけど、
2/7に術後1週間たったけどまだ個室にいる、と書いたけど、
母の、元いた所と同じ部屋 (の窓際の場所) に戻りたいというたっての希望で、空いているから移るなら今、というので2月9日(月)には大部屋へ移り、
私がちょうど名古屋へアルフィー映画を見に行き、戻ってから病院に行ったらナースセンターに、執刀医、二人いるうちのこれまでにブログに登場した若い優男のイケメン先生ではなくて、もう一人のその人より年上の元気な、整形医なのになぜか足の悪い先生がいたので聞いてみたら、
人口大たい骨で心配される 「脱臼」 は、90度以上膝を曲げた状態でなおかつ内側に腿が入り込んで、さらに○○した状態 (この部分がなんだったか忘れてしまったよ~・汗) と、三拍子そろわないとおきないものだから、
そう簡単には脱臼しないんです (病院では、起こりうる可能性に於いて大事を取ってものを言うらしい)
あれだけの手術をして “いい骨” を入れたのだから、歩けるようになって帰ってもらわないと我々もした甲斐がありません。
じゃあ、最初からいい骨入れろよ、と言うかもしれませんが、この病院の方針が、できるだけ “自分の骨を使いましょう” ということなので仕方ないんです、とも。
これはまあ、リハビリの、いつも母を担当してくれている杉浦太陽君似の人ではなくて、たまに来る元気でオロシロイ先生がいて、その方も、
「歯と同じで、できるだけ自分のものを使いましょうということです。
人口大たい骨は、脱臼を防ぐために足の可動域が制限されるというデメリットがあるので。
でも、ビス入れてた時より、全然痛みはないはずですよ。」
と、おっしゃっていて、
まあ、トータルで考えると、手術の大変さやリスク、デメリットのことなども考慮して、ビスで済むのならまずはそちらで、と考えるのは自然なのだと思うから、母の様にビスでだめだったから再手術、という流れになってしまったのはある程度仕方がないのかも、って思ってはいます。
そりゃあね、骨粗鬆症が進んでいる人で、骨折から日がたってしまったので、抜け出る恐れが最初からあったわけなので、大事を取って最初から人口大たい骨を入れてくれれば一度で済んだのに、と、思わなくはないですけどね。
まあ、それでも、歩行器を使って、という前提付きかもしれませんが、これで歩けるようにはなる (寝たきりではない) と、執刀医からお墨付きをもらえたわけですから、ずいぶんと気は楽になりました。
しかも、もうそろそろ、病室ではなく、車いすに乗って下まで降りてきて、リハビリ室でリハビリしてもいいころだし、
ご飯も、リクライニングを起こしてベッド上で食べるのではなく、もう起き上がってベッドに腰掛けて食べれる頃ですよ。とまで言っていただきました。
ま、そうはいっても、みんな88歳のおばあさんの気持ちや体調なんて知らないからそういうけど、
母は、こんなことになる前、元気だった時も、ここ数年は体がしんどそうで、何かひとつ動いてはハァ~と息をつき、何もしていない時はすぐに居間で横になっていることが多かったので、
そしてもう、K文化ホールで何のコンサートがあって誘っても長時間座っている自信もないし疲れるから、と行かなくなったし、
一人で行って帰ってこれたことが唯一の自信になった、2カ月に一度の電車で松本の眼科に行くのも、
ここ何回かは父や夫の車に乗せてもらって、になっていたので、
やはり年を取ったのだなぁ、体、何もしてなくてもしんどいのだなぁ~とわかったくらいなので、
それが、あれだけの、全身麻酔で4時間 (手術前後の麻酔の時間を入れてトータルで。手術そのものは2時間ほどらしい) もの大手術をしたのだから、その負担は相当なものだったと思うし、やはり回復には時間がかかるので、
単に家族が母を甘やかしているのではなく、ホントに、先生たちが言うほど、すぐにではできないのよ~
などと思い、
「まだ “えらい”(信州弁で体がだるいとかしんどいという意味)もの・・・」
と、起き上がろうとしない母を見ては困ってましたが・・・
それでも、時がたつと、心配しなくても、自然と回復してくるものなのですね。
それからほどなく、車いすに乗って下のリハビリ室まで出かけてリハビリができるようになり、歩行器を使ってだいぶ歩けるようになってきたらしいし、
3月20日(金)に病院に行ったら、なんと
母がベッドに腰を掛けているではないか。
聞けば、寝るのは一人では無理だけど、起きるのは自分一人でもできるようになったといい、朝飯も腰かけて食べたし、リハビリの時にもできたので、もうじきお昼だと思って、座って私が来るのを待っていたとな。
いやぁ、びっくりしたなぁ~。
でも、ちょーちょーちょー 嬉しかったですったらぁ~
そうして、以前は食欲もなく美味しくもないから食べたくないけど、看護士が食べろっていうから無理やり食べている、と 常食 の 「ハーフ、ご飯100g」 に減らしてしてもらっていたけど、それでも沢山は食べられなかったので、
何とか食が進むようにと、母が欲するままに梅干しや漬物を食べ易いように細かく刻んで小さなタッパーに入れて持って行ったり、
姉が来る時に、おいしいふりかけや味付け海苔、東京のおいしいお店の、母も好きだというつくだ煮、だのを持ってきて小さい容器に常備、冷蔵庫に入れておいては食べさせたり (その中には、母に作り方を紙に書いてもらい、夫が初めて “ふきのとう” で作った 「ふきみそ」 もあった) 色々と工夫していたのだが、
だんだん食事が 「おいしい」 と感じるようになり、それらの常備菜を食べなくても、おかずとご飯だけで食が進み、あまり残さずに食べられるようになり・・・
この日は、午後には術後初めてお風呂にも入れてもらい、きれいになりました。
( その後、23日には病院に美容師さんが来てくれたので髪の毛も切ってもらい、スッキリしました。
不思議なのは、自分で箸を使ってご飯食べれる人が、爪は切ってくれというので、切ってあげましたが・笑 )
そして翌日は、ちょうどこれまで何度か一人で来てくれていた姉が、今度は義兄と泊りがけで来たいと言っていて、
でも、母の状態があまり良くなかったので、何度か遠慮してもらっていたのだけど、
ちょうど21日に来ると言ってたのだが、それまでにかなり回復していてよかったです。
こんな時で色々大変だから、姉たちには申し訳なかったけど町内に旅館を取ってもらい、その日の夜は姉に任せて私は昼に一度しか病院に行かず、翌日の10時少し前には病院に寄って帰って行きましたが、
母は義兄の見ている前でいいとこ見せようと思ったのか(笑)、実にすんなりと一人で起きて見せ、私たちをびっくりさせました。
( でも、帰った後で少し気を使ったから疲れた(笑)といってすぐに横になって寝てましたが )
そして、最近では、以前より起きるのに時間がかからなくなり、
手術した右足が上がらないからと言って、最初は看護師さんに手伝ってもらって、そのうちに私が手伝い、そうしないとベッドに寝る方は一人ではできなかったのだが、
昨日くらいからかな? 寝る方も一人で出来るようになったよ。
といって見せてくれ、ほんとに嬉しかったです。
入院が長かったのと、再手術直後の大変だった時を知っているので、ずっと母を見てきた看護士さんの何人かの方々は、
まだ下に降りずに病室でリハビリをしているときに、廊下を歩行器で歩く母を見て
「歩けるようになったんですねぇ~。よかったですね。初めて見たけど、いやぁ、感激しました。」
と言ってくれたり、
「最近はご飯も食べられるし、ホント元気になりましたよね。よかったですねぇ~。」
とニコニコ笑いながら喜んでくれたり・・・
そんな風に言われると、とてもうれしいです。
もっともこっちも長いので、
「勝手知ったるナントカ・笑。覚えちゃったので、食事の時の背もたれに使いたいから、枕借りますよ~。」
と、廊下を巡回中の看護師に声をかけて、毛布や枕が入っている廊下の作り付けの物入れから勝手に拝借したりもしてますが。
そういう意味では、もう以前のように母の具合が日々、いい時と悪い時があってそのたびに一喜一憂することもなく、安定してきたので、
もう、夕べはよく眠れたようか、血圧と体温はどうだったか、などと看護士さんに毎日聞くこともなくなり、
心配な時期は過ぎたと思います。
まだおむつもしていますが、一昨日くらいから、日中のみの、看護士さんの手伝いを借りて、ですが、自分で立って部屋に置いてある専用のポータブルトイレで用が足せるようにもなりました。
そうそう、今日なんて、たまたま昼間いつも行っているEではなく、Aというスーパーで、ちょっと値段はいいけど、 「まぐろトロづくし」 といって、トロびんちょう、ばち刺身、ばち中トロ、が沢山入ったお刺身のパックがあるのを、たぶん初めて発見
今、疲れちゃってあまりご飯を作る気力がないので (それでも父に出来合いのフライみたいなのばかりでは悪いと思って、何かしら晩御飯に自分ちで作っては、翌日父におすそ分けを持って行ってはいるのですが) 夫は刺身さえ食わせときゃ文句言わないからと思い、ちょー手抜きでそれを買って帰ったのだが、
ふと、お刺身は母も大好きで、以前は買うとよく一人分の数切れをおすそ分けしていたのだけど、
入院してから何とか食欲が出ないかと、お刺身やお寿司、食べたくない? と聞いてみたこともあったのだが、食べたくない、の一点張りであった。
が、今だったら食べられるかも? 食べてくれたらうれしいな。
と思って、病院に行く前に家に寄って、最初は3切れと思ったのだが、中トロっぽいのを3切れ、あと、赤身っぽいのとものすごく脂ののってそうな白っぽい様なのを一切れの、5切れタッパーに入れ、別のタッパーにはわさび醤油を入れてこっそり持って行ったら、
なんと
「食べてみるかね」、 と中トロっぽいのを一切れ食べ、 「おいしい 」 と言ってくれ、
今日の食事は、○○屋の牛丼みたいなうすぅ~いお肉なんだけど、いちおう豚肉の生姜焼きだったんだけど、そっちのおかずも、ハーフとはいえ付け合せのいんげんとにんじんの煮たようなのも含めて全部食べ、
なんと、お刺身も5枚全部食べてくれて、
「ああ、食べ過ぎた。おいしかった、ありがとう。」
と言ってくれたので、それだけ元気になったのだと思い、すごぉ~く嬉しかったです。
持って行ってみてよかった。
こんな感じです。
( 皿の左端が脂ののった白っぽいので、トロびんちょう? ちなみに、私も少し食べたけど二人では食べきれなくて、「氷温パーシャル」で保存した残りを翌日夫が一人で食べましたが、これはうまいわ と夫にも大好評でした。ヨカッタ。)
このように、まるで生まれたばかりの赤ちゃんがだんだん成長するにつれ、今日は笑った、喋った、ハイハイした、立った! などといっては周りが喜ぶように (育てたことはないので、たぶん、ですが・笑)
母の、今日はこれができた、あれができるようになった、といっては、みんなで喜ぶ日々。
周りの人たちには、 優しい(強調・笑) 娘さんで、毎日来てもらって幸せだにぃ~、と羨ましがられているとかで、
そら、そーだわな・笑。
だってさぁー、88歳にもなって旦那がいて (年上だったらいない人が多いと思うけど、うちは父の方が下だから) しかも 娘 までいるんだよ。
みなさん
なんと言っても頼りになるのは 悪いけど、息子ではありません。
お嫁さんでもなくて (全国の義父母を看ているお嫁さん、ごめんなさい。でもぶっちゃけ本音)、
実の娘 です。
しかもその娘、普段は鬼のようだが、病気になったときだけめっちゃ優しい ときたもんだ・笑。
おまけに、遅くにできた子なので、母の同級生の子どもより10歳も若いから元気だし、
なんといっても子供がいないので、普通なら子供優先になるのに、親を一番に大切にしてくれる。
そして、お勤め人ではないので、時間が自由になるので、来てほしいときに来てあげられる。
いくら近いと言ってもさぁ~、どこの世界にお昼ご飯に合わせて娘が来て、その後旦那も一回来て、帰ったと思ったら晩御飯と就寝準備に合わせて娘がも一回来てくれる、なぁんて幸せなお婆さん、いるかしら
しかも、毎日、ほぼ欠かさず。
それでも、看護士さんも忙しいから仕方がないのだけど、 「看護士はすぐ来てくれない、不親切、説明してくれない、思ったようにやってくれない」 と術後すぐの意識がまだ朦朧としているころから不満を持つ母に、
「看護婦さんでもだれでもなく、あんたのやってくれるのが一番上手だワぁ~。一番いいようにやってくれる 」
(そら、そーだわな。母の体に当てる枕や布団のどこどこを薄くだの、二重(ふたえ)にしてだの、わけわかんないことや我儘を、根気よく聞いてあげられるのは娘だけです ) と言われると、
そして毎食後、入れ歯を洗い、口の中を殺菌剤入りのうがい薬でうがいをさせ、薬を飲ませて寝かせると、
アイスノンを交換し、夜は看護士に安定剤のことを頼み (昼間寝ているのでどうしても消灯時間に寝られず、入院して初めて安定剤を服用するようになったのだが、睡眠が足りてるからどうしても夜中に目が覚めるので、飲む時間を8時半や9時に変えてみたり、もらっておいて自分で好きな時に飲んでみたり、また今度は10時に飲ませに来てもらうのに替えたりした)、
お茶などひととおりの身の回りのものを確認し、手を握りながら 「じゃあ帰るけど、明日も頑張ってリハビリしてね~」 というと、
「ありがとう。また来てね。」 にっこり笑いながら頷き、小さく手を振る母を見ると、
大変だけど、毎日来てあげなくちゃ、と思えるし、
何より、だんだん元気が出てきた、母の元気な姿を見れるのが、一番うれしいです。
まだ、半月くらいかかるかもしれませんけど、
もう少し元気になって、色々できるようになってもらわないと本人も周りも大変だから、
本人もそう思っているみたいだし、
もう少し病院で面倒見てもらって、少しでも早く、今よりもっと元気になってもらえ、退院できたらいいなぁーと思います。
そんなわけで、皆さんには色々とご心配をおかけしてしまいましたが、もう、母はかなり大丈夫ですので、安心してくださいね。
本当に、色々とありがとうございました。
少しずつ良くなっていく、先が見えるようになってくると、看病もうれしいものです。
なので・・・あと少し、ガンバリますね。
冒頭写真は、
春分の日に出た病院食 (特に何もないが雑穀米) とカードで、お彼岸だから、牡丹餅の代わりに 「あんころもち」 が出たのですが、母は食べられないというので、あんころもちの大好きな父に持って帰りました。
21日のお中日 (春分の日) に見舞いに来た姉夫婦は、こんなだから行けてないだろうと、車だったから、東京から線香と花を持参で来てくれて、まず、ついたらお墓参りに行ってくれ、それから店に寄って父に顔を出し、病院へと行ってくれたそうで、ありがたかったです。
でも、夫も花を買っておいてくれたので、彼岸の明けの日 (最終日の3月24日) には、私一人ですが墓参りに行き、
ちゃんとご先祖様に母が手術が無事成功し、だんだんよくなってきたお礼と、更に元気になれるようにお願いしてきました。
( 花は、姉の持ってきてくれたのがまだ綺麗だったので、一対の花立に、細かい花が沢山つくので1輪でも賑やかな小菊を、左右へ1輪ずつだけ持っていき、残りは仏壇に供えました。 )
母のその後を書いていたら、イツモノゴトクちょー長くなってしまったので、
私の近況は (例えば、二転三転れいぞーこの配置とか、トイレの便座がちべたぃ事件 とか) また、後日お伝えしますね。
いつのまにか、春の兆し・・・。
裏の畑の オオイヌノフグリ。
芽を出し始めた水仙。
つる薔薇 「春霞」。
ムスカリ (写真奥) と、水仙?
らぶらぶ にゃんども。
毎朝、朝飯を食べると、ひとりおとーさんの布団にもぐってぬくまっているソラチ。
ネコは、なぁ~んもしないで寝てばっかいるくせに、その 「存在がカワイイから」 可愛がってもらって餌までもらえて、
ほ~んと、羨ましいよー。 ネコになりたいよ~~~
名古屋では、乗車券についてくるお得なタカシマヤ商品券で、父には好物の 「卵でとじたカツ丼」、我が家には夫のリクエストで、名古屋名物の 「味噌カツとエビフライの入った弁当」、 (結局カツにはソースのがおいしいね、となったのだが )、それからやはり名物の 「ひつまぶし弁当・お茶漬けの素付」 を土産に買って帰り、
残りに足して、夫がどうしても、自分で松本のトイザラスで買って来た、ぬいぐるみやおもちゃ “ではないもの” をあげる人のホワイトデーを、自分で買うのが嫌だというので、まあ、二人分だけだったから、まだよかったが、
せっかく名古屋に行ったので、と思い、
夫の言う予算になるように、フルーツワッフル (10個入り) と、足し前に 色のきれいな石鹸を一人ずつ買いました。
せっかくなので、我が家にもワッフルの6個入りを一つ (ごめんなさい、写真撮り忘れました) と、
石鹸も、同じものを一つ、自分へのご褒美に買いました。 (写真)
大好きなラベンダーで、ちょっと使ってしまったの、ごめんなさい。
この石鹸は、毎日使って、今、ずいぶんと小さくなってしまいましたが、香りもよく、ちょっと幸せな気分になります。
またいつか、自分でも石鹸とか、作れる余裕ができるといいなぁ~。
アルフィーの曲、 『もう一度ここから始めよう』 が今の心境にとても合って、胸に沁みます。
もう一度ここから始めよう
どんなに今が苦しい時でも
もう一度ここから歩き出そう
どんなにこの道が険しくても
明日の自分を信じよう
どんなに夢が今は遠くても
明日の青空を信じよう
今は冷たい雨に降られていても
生きてゆくのはたやすくないけど
君はまだ負けたわけじゃない
もう一度ここから始めよう
悩みは自分で乗り越えるもの
もう一度ここからやり直そう
その悔しさを生きる糧にしてしまおう
春はもうすぐそこまで来てるから
愛はいつか君の光りになる
頑張ろうぜ 頑張ろうぜ
明日の自分のために
頑張ろうぜ 頑張ろうぜ
未来にエールを送ろう
頑張ろうぜ 頑張ろうぜ
流した涙を力(パワー)に変えて
頑張ろうぜ 頑張ろうぜ
その道を真っ直ぐ進め!
頑張ろうぜ 頑張ろうぜ
明日の自分のために
頑張ろうぜ 頑張ろうぜ
未来にエールを送ろう
( 『もう一度ここからはじめよう』 抜粋 作詞作曲:高見沢俊彦 )
最近発売になったライブCDを車の中で聞きながら、
その元ともいえる、昨年夏の武道館、40周年記念コンサートで、最後の ラララ―というコーラス部分を、みんなで合唱したことを思いだし、胸が熱くなって、ちょっとうるっとします。
あの日確かに、自分もそこにいたんだなぁーって。
コンサート、また、いつか行かれるようになれるといいな。
その上、とってもお優しい娘さんに、1日2回&ご主人も欠かさずお見舞いなんて、この上ない幸せだと思います。
絶対に、今回の入院でお母様は実感されていると思います。
やっぱり、近くの娘は絶対に良いです。
遠くの娘は、電話ではあれこれ心配はしますが、物は良く送ってきますが、調子の良い事は言いますが、実際駆けつけたり世話を焼くのは近くの娘ですから。←実は私もなのです 笑
少しずつでも回復されていて、本当に良かったです
やっぱり、春は確実に近づいてきていますね。
「もう一度ここからはじめよう」
セレモニーの時、私は涙が出てしまいました。転職先探しで辛かった後でやっとホッとし、新しい職場への期待と不安の中「悩みは自分でのり越えるもの もう一度ここから始めよう」「流した涙をパワーに変えて」って。
セレモニーコンサートのDVDが届き、丁度思い出し、ウルウルしていた所でした。
髪型は、縮毛矯正を生まれて初めてかけてみました。半年間伸ばし(ただ、束ねていただけなのですが)何となくかけてみました。
かなりの癖毛なので、あまり期待していなかったのですが、割と真っ直ぐになり(でももう下の方は落ちてきたのですが)ちょっと気分も軽いです。
週末の発表も無事終わり、もうMY初日を待つばかりです。娘に、ピンクの手袋の曲を事前にレクチャーしようとしたのですが、拒絶
でも、初見でも、きっとノリノリなんでしょうが。
猫田さんも、お母様がさらに回復されて、初日が楽しめる様、心から祈っております。
大丈夫、春はもうすぐそこまで来ていますよ!!!
母のことも気遣ってくださり、一緒に喜んでくれてうれしいです。うるっ。
私自身がそうって、みゆぴさんの娘さんのことではなく(昨年春に明学を卒業された方の話題しか出てこないので一人娘さんなのかな?と思っていましたが)、みゆぴさんご自身が二人姉妹とかなのですか?
で、みゆぴさんが近くに住んでいる娘さんで、ここに書かれているような調子のいい方(^^;)、妹さんかお姉さんが遠くに住んでいらっしゃるのでしょうか?
親御さんとは別居なのですか?
そうなんですよね~・笑 (^^;) そうしておいて、たまの遠くの娘にせっせと野菜などを送り、電話で嬉しそうにしゃべるのを見ると、時々なーんか損しているような気分になってましたが・・・笑。
今はこんななので、私が一番頼りになるらしく、嬉しい様な、ちと困ったような・・・、妙な気分です。(^^;)
ストレートパーマをかけられたんですね。
姉がやはりかなりのくせ毛でかけてますが、すごい楽になったって言ってましたよ。
私は長い間ずっと自分がストレートだと思っていたら、若干癖があるようで跳ねたりするので、ブロウが面倒で、で、ソバージュに・笑。
タカミーの様にほんとにくせのないストレートはきれいですよね。男なのにね(^^;)羨ましいです・笑。
みゆぴさん、発表も無事終わり、あとは初日を待つばかりって羨ましいです。ヨカッタですね。
もうじきですね。どうぞ私に遠慮しないで、感想とかいっぱい聞かせてくださいね。報告、楽しみにしてますよ。
その分だと、娘さんもご一緒みたいで。
私は、いつもならMY初日までセトリ見ない派なのですが、もしも6月だったらガマンできない・笑、と思ったので、珍しく見ちゃった。
そしたら、あー、見なきゃよかったって・笑。
知らずに行って、会場で衝撃(もちろんいいほうのですよ)を受けたかったなって。ずっと聞きたかった曲が沢山ありました。
ピンクの手袋のもやるんですよね。大好きだから嬉しいな。
何やら、楽しいのが盛りだくさんみたいですよ。ツアータイトルからして楽しそうですもんね。
それよりも、ツアーパンフのメイキング見たら笑っちゃいますよね。 あの年で、ビッグなのに、ああいうことを大真面目にやるアルフィーってスゴイな・笑。 大好き
ぜひ、日ごろの憂さを吹き飛ばし、思いっきり楽しんでくださいね。