猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

アトリエ・フォンテーヌ Close公演 『 歌のことづて 』 6/21

2012年06月22日 | その他芸術(舞台、映画、TV等)


1976年に、作曲家いずみたくが、日本の創作ミュージカルの制作・上演、俳優育成のために、その拠点として六本木に建てた 『アトリエ・フォンテーヌ』 が、このたび36年の歴史に幕を下ろすというので、その、Close公演に行ってきた。

かつて、青春の一時期( 80年代初め )を、「問題児ばかり」と呼ばれた(笑)アカデミー10期生としてこの地で学び、仲間と共にすごし、苦楽までをも共にした思い出の場所がなくなるというのは、ちょっと寂しい。 

ここに、泊ったりしたこともあったんだよね。  



内容は、脚本( 一期下の高橋亜子・演出も一期下の本堂起久子 )がとてもよく書けていて、非常に面白かったし、出演者全員が、とても歌がうまい! ← ここ、大事なトコです。当たり前のように思うかもしれないが、そうでもない現状があるので、言うんですよ。

全曲、いずみたく作品なのだが、今聞いても、いい歌がたくさんあり、好きな曲も多い。


彼が、その生涯を費やし、私財を投げ打って情熱を燃やし続けた、純日本製の創作ミュージカル。

時代の流れ、とくくってしまうのは、非常に惜しいと思う。

ただ、今のTVとかの “流行りもん” と比べると、和製ミュージカルは、どちらかというと地味だと思う。
そして、舞台役者の生活は、見た目の華やかさと違って、けっこう過酷である。


それなのに、この世界を、この、いずみたくの作った劇団を、選んでくれた若者がいる。

大変嬉しくて、「ありがとう!」という気持ちでいっぱいになる。


正直言って、今、シメ切り間近でテンパッテいるので、迷ったが、これはぜひ行かなくては、と日帰りで上京予定を組んだ。



そして、この時期にこの舞台を見たのには、何かあるのだろう、と強く思った。

それほど力強くて、希望のわく、素晴らしい舞台だった。

( 劇中のある場面ではそっと涙を流し 、 エンディングでは不覚にも号泣しそうになった。  100席ほどでものすごく近いので、それこそ舞台から見えそうで、超ハズイから、必死にこらえましたが・笑。  )


和製ミュージカル( イッツ・フォーリーズ=いずみたく作品 )の持つ、明るさや希望、ひたむきな情熱や、人間のまじめさが好きだ。 

あの、舞台一杯に埋め尽くされた歌声には、本当にゾクゾクする。( 『帰らざる日のために』のハモリは、『ハレルヤ』に匹敵するくらい、サイコー!! 大好き  )


彼は地上からいなくなっても( 92年没 )、彼の曲は歌い継がれ、生き続ける。

もしも名前が残らなくても、歌は残る。

そして、それこそが、作曲家いずみたくの望んでいたことである。  



今日の日を与えてくれた神様と、仲間達に、感謝。 


公演はマチネで、同期の松澤尚美と一緒に見て、ソワレを見に行くことになっている鈴木智子と、学校時代よく寄ったマック( 様相は変わっていたが、まだありました! )にて落ち合い、お茶をし、楽しく過ごせたのもよかった。

先日行った、かつて住んでいた相模大野は、都市計画により、全く昔の面影が消失していて大ショックだったが、六本木は変わっていないところもところどころあって、懐かしく、嬉しかった。  
目をつぶってでも行けると豪語?した学校への道は、やはりというべきか、予想外にも、忘れてて、迷いましたが・笑。  ( 早めについて悠長にあちこち写真を撮り、図書館や十番商店街へも足を伸ばすつもりが、途中で全くわからなくなって、仕方ない、駅前の交番まで戻るか、あ~ん、でも時間にゃいカモ、 と半泣きになっているところに、向こうからやってきたナオミに遭遇。まさに、地獄にホトケとはこのことよ。今度はうれし泣きであった。 学校は5丁目の方で、近道の裏道を通ると、大使館や某有名女子短大などが今でもあって、表の喧騒とは違い静かです。ゴリラが窓辺にへばりついていた「 Rock Cafe 」もまだありました。←もちろん、入ったことはにゃぃ。 )

しかし、学校付近に東京タワーや高速道路が見えていたことを、全く覚えていなかった私。「 東京タワー、夜だったから見えなかったんだね。(夜間学校だった) 当時はライトアップしてなかったんでしょ。」 と言ったら呆れられた。  


やっている当時は、辛いと思うことの方が多かった気もするが、今思い返すと、夢のように楽しく、幸せな日々だったと思う。この先も、ずっと付き合っていきそうな、沢山の素敵な方々と出会えたのが、一番の財産。( 数ある養成所の中から、その年のここ、を選んだわけは、長くなるのでまた別の機会に )



書きたいことは山ほどあるが、時間がないので、また、改めて機会がありましたら。

( なお、公演は24日までてすので、お時間とご興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。  http://www.allstaff.co.jp/ticket1.html



アトリエは、当時流行りの 「地下」。( やはり当時流行りの舞台形態(思想)としての 『アンダー・グランド(通称アングラ)』 ともかけていたのだと思う )
内装は黒一色。普段はフラットなフロアに公演時は舞台や客席を組み立てて作るのだが、舞台空間としても中二階や階段、壁のやぐらなどがあり、面白い、よくできたつくりになっていると思う。( 今回は中二階にピアノを置き、生演奏だった。贅沢ですよね。(^^)v ) 

ビル上層部に、音楽事務所、稽古場等がある。


公演プログラムより、看板部分とビル全景。 「フォンテーヌ」とは 『泉』 のことです。



帰りに、昔のLPレコードの「大切にしてくださる方へご自由にお持ち帰りください」というサービスコーナーがあって、選べたので、私は喜んで、こちらをいただきました。

全曲いずみたくで、私が本科のオーディション( 学内試験のようなもの )で選んだ、思い出の曲 『希望』 が入っています。後で見たら、知っている曲は半分くらいでしたが、昔児文研時代によく歌った曲が多いです。

終わったら、ゆっくり聞いてみたいです。