雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

シリカゲル マニア

2012-07-14 | 日記
 100円ショップで小袋に分包した粒状のシリカゲルを買ってきた。 小さな陶器の塩壺に一包入れておいたら、塩が水分を吸うのを防いでくれて、石ころみたいに固まらずサラサラになった。 粉末のスープの素のガラスの容器に入れ置いたのも有効だった。 今は調子に乗って、インスタントコーヒーの瓶にも一つ、森永クリープの瓶にも一つ、カメラケースにも一つ・・・

 シリカゲルに限らず、最近の食品には色んなものが入っている。 買って来た食材を湯が沸騰した鍋に掘り込むと、何やら板状の物や袋がプカプカ浮かんでくる。 短冊切りの刺身を買ってきて、薄切りにして一切れ食べたら、スポンジ状のものが口の中でモゾモゾ。 若い人達なら絶対にしない失敗も、年を取ると気付かずにやってしまう。 シリカゲルは無害というが、他の乾燥材や脱酸素剤の中には、有害なものもあるのではないかと心配する。 ひとつ判らないものがある。 トレーに盛った肉を買ってくると、肉の下に紙状のものが引いてある。 あれは何のたに敷いてあるのだろう。 パグ犬みたいに、クリン?クリン?

憂い

2012-07-13 | 日記
 夕方になってから、雨が降ってきた。 各地で豪雨の被害がでているが、なによりも尊い人命が失われていることを憂う。 

 京都の虐めが原因と思われる少年の自殺に対する教師たちの無神経さが悔しくてならない。 昨日のテレビ番組で「夜回り先生」が熱く語っておられたのを聞いた。 学校の先生や、教育委員会のお歴々は、虐めなど受けたことがない人達ばかりなのだろうか。 むしろ、虐めていた人たちの集団なのかも知れない。 虐めを受けている少年が、どれほど苦しんでいるかを察することも出来ない人達ばかりなのか。 「自殺の練習」と言って首を絞められ、どんなに恐かったことだろうか。 それを「子供の遊び」と一笑に付して済ませる大人たちの無神経さを憂いて止まない。 

 世の悩める青少年たち、自殺する前にせめて「命の電話」や、「夜回り先生」と話してみようよ。 親には言えない、先生も取り合ってくれない。 四面楚歌のジレンマの中でも、「どうやっ死ぬか」ではなく、「どうやって生きるか」を考えてみようよ。 将来ある若い命が、かくも脆く消え去ることを憂う。 消えさせている大人たちを憂う。

爺のひがみ

2012-07-13 | 日記
 民主党に除名された小沢氏とその一派が、新党を結成した。 党名は「国民の生活が第一」。 長いなあ。 年寄りは憶えるのに苦労する。 縮めて「国生党」かな?
 小沢氏とニコニコ笑って握手していた大阪市知事が、今度は一転してインタビューで福田氏をべた褒め、この変わり身の早さ、決断の潔よさは、我々も見習うべきである。 これこそ「渡世術」だ。 内股膏薬とはちょっと違う「信念と目的を持った内股膏薬」だろう。 (-"-)

 今日はゴミ出しの日だった。 つい寝過ごしてしまって、「ゴミ出しは8時まで」と環境局の強いお達しがあるのに、7時50分に鈴の音を聞いて目が覚めた。 妻が生きていた頃、私が寝過ごすと鈴を振って教えてくれたあの鈴の音だ。 妻が亡くなって1年以上経つのに、まだ私の脳裏にあの音が残っていたのだ。 「また寝過ごしたら頼むよ」と妻に言いながら、おお慌てでゴミを出してきた。 ちゃんと税金を払っているのに、面倒くさい分別だの時間制限などを市民に押し付けて、そのくせ収集にくるのは昼ごろ。 ゴミ置き場の掃除当番の時は、昼過ぎまで外出が出来ない。 収集する人達に「都合」があるだろうが、我々にも「都合」というものがあるのだ。 環境局は我々市民を、面白がって翻弄しているように思えるのは、爺の「ひがみ」か? (+o+)

ミタマニン

2012-07-11 | 日記
 サプリ先進国の日本に生まれたことは、この上ない幸せなことである。 黒酢やにんにくをサプリで摂ると、年をとっても「何でそんなに元気なの?」と、他人から不思議がられ、コンドロイチンやグルコサミンのサプリで腰痛や関節痛知らずだ。 スッポンエキスで、男は年を取っても夜に強く、若い者に負けないくらい性力モリモリ。 女性はスッポンコラーゲンでますます若く、美しくなれる。 どんなに髪の毛が薄い人でも、なんたら21で、97%の人は髪の毛が生えてくるし、柑橘エキスを頭に振りかけると、髪の毛が太く若々しく立ってくる。 どんなにお酒を飲んでも、しじみエキスさえ飲んでいれば、肝臓は活き活き。 鮫肝油で朝はすっきり起きられるし、なによりなのは、疲れ知らずで働ける。 目はアントシアニンのサプリではっきりクリア。

 こんな素晴らしいサプリ天国日本にも、今まで無かったサプリがある。 それは、死んだ人を蘇らせるサプリだ。 ところがこの度、霊能大学大学院の研究室で、彷徨っている「魂」を捕まえることに成功した。 その成分を分析し、ある物質を発見したのだった。 研究室では、その物質を「ミタマニン」と名付けて色々動物実験を重ねた結果、ネズミの魂から抽出した「ネズミミタマニン」を食べさせたネズミは、殺しても24時間程度経つと生き返ることが判明した。 それではと、人間の「魂」の捕獲許可を厚労省に求めたところ、日本国内での捕獲はダメと規制がかけられてしまった。 苦肉の策として、アフリカ各国に研究員を派遣して、派遣国の協力を得て「魂」を捕獲、多量のミタマニンの精製に成功し、臨床実験材料として日本に持ち帰った。 
 
 その情報を人伝に知ったある男が、密かに大学の研究室にメールを送った。 「私はスキルス性胃がんを宣告された34才の男性です・・・」 メールは気迫の籠った訴えが続く。 「ステージ4と診断されて、余命幾何もないことを告げられました」 そして、「どうかこの私を臨床実験に使って下さい」と、結んであった。
 
 研究室では、願っても無い申し出と、早速研究員のひとりが彼の友人ということにして男に逢い、精製したミタマニンを男に手渡した。 「少しでも早い方がよろしい、今日からこの薬を飲みなさい」そう伝えると、研究員は帰っていった。

 間もないある日、男は死んだ。 通夜を終え、葬儀屋が来て式の準備中に、家族の一人が棺の中へ故人が大切にしていた本を入れようと蓋を取った時、男は大きく欠伸をしてムックリ起き上がった。 家族は驚いて腰を抜かすし、喪服姿の親戚の男女は何が起こったのか判断できずにオロオロと右往左往。 その中に、落ち着き払ってメモをとる若い青年がいた。 あの研究室員だ。

 少し時が経ち、皆が落ち着きを取り戻すと、喜びの歓声に変った。 葬式は喪服パーティーに変わり、豪華なオードブルとシャンパンが振る舞われ、歌ったり踊ったり。 その中心でニヤニヤとその様子を見ていた元故人の男は、突然真顔になり、色のあさ黒い青年を凝視するようになった。 目はランランと輝き、よだれを垂らし、あげくに槍を構える仕草をして奇声を上げたのだった。  

   (以上は個人の空想です。ミタマニンは食品であり、効能、効果を提示したものではありません)

鬼灯市もどき

2012-07-10 | 日記
 本日は晴天なり。 天気晴朗なれど波高し。 

  鳥啼く声す 夢覚ませ
  見よ明け渡る 東(ひんがし)を
  空色栄えて 沖つ辺(へ)に
  帆船(ほふね)群れゐ(い)ぬ 靄(もや)の中(うち)
 
 もう、こんな文章を見ても、「ああ、あれか!!」と、懐かしむ人は少なくなってしまったことだろう。 天気の文は、もしかしたら、今でもマイクのテスト用語として使われているかも知れないが、「鳥啼く」の方は、「都都逸でもなく、旋頭歌でもなく、長歌でもなく・・・なんじゃいな?」

 実は、これ「いろは48文字」と同じく、「とりなく48文字」といい、その昔、電信かなタイプライターの練習や、テストに用いられたものである。 

 勿論、ちゃんと意味もある・

  鳥の鳴く声が聞こえてきます もう、起きては如何ですか
  ご覧なさい、すっかり明けてしまった東の方角を
  赤く色映えた空の下 沖の彼方に
  帆船が朝もやの中を 行き交っているではありませんか

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 今日は、眼科検診の日だった、 また1時間30分待たされて、検査は1分、診察2分。 昔、長崎堂のCMで「カステラ一番、電話は2番」というのが有ったが、そんな感じかな? (違うか)

 帰りに、鬼灯(ほおずき)の鉢植え(千円也)を買い、ぶら下げて帰ってきた。 東京には「鬼灯市」というのがあるそうだが、こちらでは聞いたことがない。 鬼灯や、朝顔の行燈仕立ては、スーパーか、量販店の特設コーナーで買うしかない。 浴衣姿に素足に桐の下駄履きで、値切って歩く風情は味わえない。 スーパーや量販店で値切ったら、買物客の「アホ」を見る視線が集まるだろう。 

日本の民主主義の復活

2012-07-09 | 日記
 ハーハード大学のマイケル・サンデル教授の公開講義を観た。 タイトルは、「日本の民詩主義のこれから」後編だ。 テーマは、「民主主義の復活」

 昨年の3月11日、東日本大震災・津波と原発災害経て、日本はどのように変わったか、そして、この経験が日本の民主主義の将来を、どう変えようとしているか。 どのように世界にお手本を示すことが出来るか。 教授は、そう前置きをして、聴講者に質問した。

 ▽政府が安全宣言を出した後、原発再稼働を認めるべきか? (賛成/反対は50/50)
 ▽東電の料金値上げは認められるか? (大多数の人が反対)
 ▽震災のガレキの処理は、どこで行うべきか? (大多数は全国で分散)
 ▽もし将来、何か大きな危機が生じた時、情報源として政府と、ブログ・ツイッターのどちらを信じるか?
   {殆ど同数だが、わずかに政府が多いようだった)

 上記の質問に対して、両方の活発な意見が聴講者からだされた。 それらは、感動的、且つ頼もしく思えた。その意見はここに記すことは出来ないが、教授の結びの言葉から推測することができよう。

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 今日は、様々な意見を聞くことが出来ました。 多くの人たちが、今の政治の在り方に満足していないことを率直に語ってくれました。 それらのことに、違った立場から建設的な議論を交わしました。 外国人(教授)の目から見て、私は感銘を受けたと共に、民主主義復活の大きな希望を、日本に感じました。  

 
 

予行演習

2012-07-09 | 日記
 昨日、スーパーへ買い物に行ったら、特設ワゴンにお供え物の落雁がたくさん並べてあった。 「彼岸でも盆でもないのに何だろう」と、家に帰ってからネットを検索してみた。 別に何もない。 結局買って来た落雁と花を供えて、故人に話しかけた。 「そちらで何か行事があるのか?」「さあ?なにも無いけど… お盆の予行演習かな?」

 ネットで「お供え」を検索したら、どこかのお寺さんか個人か判らないが「お供え」の意味を説いていた。 子供の頃仏壇にお供えをしても故人が食べた形跡がないのを不思議に思っていたが、大人になって解ったそうだ。 お供えは故人にするものではなく、(そのサイトの主は)阿弥陀様への「お供えもの」だそうな。 阿弥陀様に手を合わせ、自分も極楽に導いて下さるように祈るのだとか。 では、故人は「お供え」とは関係ないのだろうか。 ただ阿弥陀様への橋渡しに利用されただけなのだろうか?

 「お供え」は、故人が食べるのではなく、阿弥陀様への「お供物」だと言われても、私は納得できない。 阿弥陀様は、「各お寺や個人の仏壇を巡ってお供えを食べるのか?」「阿弥陀様はギャル曽根かっ!」 阿弥陀様とて、食べた形跡を残さないし、もし齧ったあとがあれば、それは「ねずみ」か「コキブリ」の仕業だ。

 私は、曲がりなりにも仏壇に「お供え」は欠かしたことがない。 それは「こう考える」からだ。 故人は家族や親しい人の心に生きている。 たとえば、私が仏壇に花やお菓子を供えるのは、私自身に供えているのだ。 仏壇の花やお菓子は、仏壇の奥の阿弥陀様や故人の位牌に向かってではなく、私に向かって飾っているのだ。 一方向に奇麗にセットされた仏花を買ってきて、奥に向かって供える人が居るだろうか? 手前から見れば、「しきみ」の葉の裏しか見えないじゃないか。 

 私は、あわよくば、「私も極楽浄土に導いてもらおう」などとは思ってはいない。 私の中に生きる故人と共に「お供え」を私の目で眺めて満足し、それを私が食べることにより、至福のひと時を故人と共有しているのだ。 

 「えーっ! 今お供えをしたと思ったら、もう下げたの?」 
 「うん、長いこと供えておくと、線香臭くなるから」 

 

 

 

カラスの勝手だが…

2012-07-08 | 日記
 今日は朝から薄曇り、生ゴミを出す日でもないのに、やけにカラスが騒がしい。 カラスが幅を利かせている間は、鳩も鴬も静かにしている。 カラスは空の族ってとこか?

 カラスは「カアカア」と鳴くものだと思い込まされて来たが、実に個性豊かだ。 私の耳には「カアカア」と聞こえるカラスは居ない。 まだ子供なのか「あーあー」と舌足らずの声や、うら若き乙女のような「ふぁーふぁー」と柔らかな声、「街のダニか、お前は!」と突っ込みを入れたくなるような「ぐがーぐがー」と、だみ声、コンビニの前でたむろしていそうな若いやつが巻き舌で「おらーおらー」、うっかり近付こうものなら、ガンをとばされて果は「おやじ狩り」に遭いそう。 

 野生のカラスは鳩のように「人から餌を貰う」なんて態度は見せない。 人が落とした物を掠め盗っているような態度だ。 プライドが高いのか、ただ粗野なのか。 もっとも、野生の動物に「貰う」という意識はないが…。 

七夕まつり

2012-07-07 | 日記
 今日は七夕、現時点で厚い雲が空を覆っているので、あいにく今夜は雨模様だろう。 曇っていてもいいじゃないか。 あの雲の上では、牽牛と織姫が年に一度の逢瀬を楽しんでいるのだと思えば、「のぞき」などしないでそっとしてやりたいような老婆心も湧くというもの。 

 働き者の織姫と牽牛は、天帝の許しを得てめでたく結婚をする。 しかし、新婚生活があまりにも楽しかったので二人は仕事を怠けるようになった。 天帝は怒り、二人を天の川で隔ててしまった。 ただ、年に一度だけは二人の逢瀬を許してくれた。 それが7月7日だったのだ。 って、そんなことは誰でも知っているって? ごめん! 

 私の子供の頃は、七夕が終わると、七夕飾りの笹(竹)は海に流していた。 今では考えられないことだが、私たちは「そうするもの」と教えられていたのだ。 捨てたり、燃やしたりすると災いがあるとか言われてわざわざ海まで担いで持って行ったものだ。 七夕まつりが終わった直後は、海の波打ち際はゴミだらけ。 こんな海で泳いだら、笹に足を取られるし、口の中に短冊やスイカの皮などが入ってくるので、とても泳げたものではなかった。 そういえば、今は七夕飾りはどう処分しているのだろう。 やっぱり、小さく切って「燃えるゴミ」だろうか。 

 あっ、そうだ。 「胡瓜と小松菜を塩麹漬けにした」と最近の記事に書いたが、胡瓜の方は甘くて私の好みではなかった。 小松菜は、苦くて食べられなかった。 以上、あの記事(日記)を読んで下さった方へ私の感想をご報告しておこう。 猫爺が小松菜の塩麹漬けを食べて、眉を顰めている顔を思い浮かべて頂きたい。

デマとインチキ

2012-07-07 | 日記
 昨日は、昼間と深夜に雷鳴が轟いていた。 ゴロゴロ、ドーンと聞こえるのは、かなり遠くであるが、カリカリカリ、バリーンと高い周波数の音で聞こえるのは至近距離。 昨日の昼間に一発、バリーンがあった。 我が家の近くにゴルフ場があるので、「もしや…」と想像していた。 立木に雷が落ちると、木が真っ二つに裂けて煙が上がったりする。 都会に住んでいる人々は、其処等中に避雷針が立っていて比較的安全だが、都心を外れるとそうはいかない。 

 昔、「海で泳いでいると安全だ」というデマがあって、波間から頭を出して浮かんでいた子供が犠牲になったことがあった。 彼はデマに殺されたのだと、ずっと私は思っている。

 酢を飲むと、体が柔らかくなると教えられていたのもデマだった。 これは、魚の骨などを酢に浸けておくと柔らかくなることから言い伝えられるようになったのだろうが、「体が柔らかい」とは、骨が柔らかいのではない。 筋肉が鍛錬などにより柔軟になることだ。 

 身長が伸びる少年期に、「カルシュウムをたくさん摂ると背が伸びる」もデマだった。 背が伸びるのは骨端細胞の増殖であって、必要なのは蛋白質である。 その骨端細胞がやがて石灰化して骨になり、その骨を固めるのに必要なのがカルシュウムである。 骨端細胞が増殖する前に固めてしまうのは不本意である。 もっとも、生理的には、そんな単純なものではないが…。

 元バレーボール選手の「大林素子さん」がトーク番組で、「どうしたら、そんなに背が伸びる」の質問に、「私はピーナッツをよく食べた」と答えていた。 豆類は良質の高蛋白食品である。 従って素子さんは、理に叶った答えをしていたのだ。

 これも昔のこと、背を伸ばすには鉄棒にぶら下がると良いとか、ロープで足首を縛り柱に結び、胴は脇の下をループで縛り、別の柱などにUの字に掛け、自分で引っ張ると良いとか、バカげたデマを少年たちはマジで実行していた。 骨の間が少し伸びて、あたかも身長が伸びたように思えるが、すぐに元へ戻る。 

 少年をターゲットにした商品の通販広告が、少年雑誌の裏表紙などに出ていて、無知な少年の関心を引いたものだ。 「近視を治す」とか、「頭が良くなる」とか、様々の器具や方法の伝授などが有ったが、どれも落語に出て来るようなインチキものばかりだった。 例えば見世物小屋の看板に「身の丈5尺(約1.5メートル)の大いたち」 と出ていたので、見物客は興味深々で木戸銭を払って中に入ると、大きな板に血が塗ってあった。
 1つき(現在に置き換えると)100円で食う方法を書いた本を買って帰り、1ヶ月100円で食えるならと喜んで読んでみると、「トコロテンを食え」・・・1突き100円だった・・・ みたいな…。
 

個人の感想です2

2012-07-05 | 日記
 医薬品または、医薬部外品でなく、「食品」と銘打ったサプリなどには、その効能を謳ってはならないとされている。 そこで販売業者が考えだしたのが「個人の感想です」 
 個人とは云え、有名人や素人もしくは顔の知られていない俳優などが、スポンサーからギャラを受け取って用意されたセリフを喋り、演技しているのに「個人の感想」とは白々しいかぎりである。 彼らのセリフは、大凡は「効能」あるいは「効能」を連想させるものである。 このような行為に注意すら出来ない法律など、実にちょろこいものだと私は思う。 

 昨今さかんにCMをしている「肝油」あるいは「鮫肝油」は、昔は夜盲症の治療薬として飲んだものだ。 夜盲症は、ビタミンAの不足で起こる病気だが、最近では普通に食事を摂っていれば不足するものではない。 仮に不足することがあっても、毎日飲み続けるべきものではない。 肝油はビタミンAが多く、私の子供時代でも「摂り過ぎてはいけない」と言われていた。 それを、毎日摂りつづけることで、元気になると宣伝するのは、その商品が含有する「肝油」分が、あたりさわりののない微々たる量に抑えている筈だと思う。 もし純然たる「肝油」を、毎日飲み続けたら、「ビタミンA過剰症」で、食中毒状態になってしまうからだ。 

 「個人の感想です」と小さな文字を画面の隅に表示しているCMは、私は信じないことにしている。

渡世術?

2012-07-05 | 日記
 今日は雨模様。 黒い雲が垂れ込めて、今にもザーッときそう。 冷蔵庫の中の食材が野菜と冷凍食品ばかりになっている。 昼食を済ませたら、買い物に行ってこようと思っているが、どうやら雨に遭いそう。 

 つい最近、テレビで「塩麹」 なるものを知り、早速買ってきている。 一昨日は、鶏胸肉を5ミリ位のそぎ切りにしたものを塩麹に2時間ばかり漬けておいたものをフライパンで焼いて夜の惣菜にした。 麹の甘みがよく浸み込んで、美味かった。(胸肉爺とニックネームを付けられそう)

 昨夜は、胡瓜1本と、小松菜を塩麹漬けにしておいた。 今、野菜が高いので、「漬物」を買った方が安上がりなのだが、ものは試しだ。 何にでも興味を持つ性格なので、暫くは「塩麹遊び」が続きそう。

 一昨日、一株50円のベゴニアの苗を2株買って来た。 小さな植木鉢に植えて、仏壇に供える為だ。 いい歳をこいた爺が、ベゴニアをたった2株買って帰る様は、あるいはみっともないのかも知れないが、他人にどう見られようと知ったことではない。 と、開き直れるのも、齢を重ねて得た渡世術である。(おーげさ!) 殺虫剤のCMからパクル

デラウェアから百足

2012-07-02 | 日記
 今朝は快晴、今日もまた布団を干した。 快晴とはいえまだ梅雨の最中、一転かき曇って「ざーっ」も有り得ること、油断できない天候である。

 業務スーパーで、安売りのデラウェアを買ってきていたのを思い出した。 10時のオヤツにと冷蔵庫から出して水に浸けたら、ぶどうの間からニョロニョロと全長7センチ程の「百足(むかで)」が出てきた。 

 思い起こせば若い頃、取り入れた洗濯物に15センチ位の百足が潜んでいたことがあった。 気付かずにシャツを着たら、背中からゾロゾロ。 妻が悲鳴で知らせてくれた。 幸い噛まれずに事無きを得たが、驚いて処理を誤ってしまった。 すぐに窓へ駆け寄り、外へ百足をはたき落としてしまったのだ。 「百足を逃がした」と、妻に小言を延々。 「また仲間を連れて部屋に入ってくるやないの!」木曽駒の麓の村に育った妻は、ゴキブリのことは知らないが、百足のことは詳しい。 「一匹みつけたら、必ず近くに仲間が居る」とも言っていた。

 ぶどうは一晩水に浸け様子を見て、よく洗って食べたがなんとなく気味が悪かった。 しかし、ぶどうの実に農薬を散布していない証拠かも知れないので、「良し」とするベきかも知れない。

 ほら、そんな事を書いていたら全天雲が覆ってきた。 あてにならない天気なのだから…。