雑文の旅

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温故知新「ジョン万次郎」

2012-07-22 | 日記

 近世、近代の歴史上の人物で、「かっこいいなぁ」と感じている人は誰しも何人かはいるだろう。 私なら「ジョン万次郎」、「南方熊楠」、「杉原千畝」を上げる。今回はその中から「ジョン万次郎」を駆け足で…。 
 
 ジョン万次郎は、文政10年(1827)の土佐の中濱村に生まれ。 半農半漁で生計を立てる家の次男。 彼が8才の時に父を亡くし、病弱の母と兄を手助けして学校(寺子屋)にも行かず働き続ける。

 14才の時、手伝いで乗船した船が時化に遭い5日かん漂流の末、奇跡的に無人島(鳥島)に漂着する。井伏鱒二の小説では、「正月明けの初漁」とあるが、2月の海水は人間を5日も生かしてくれるだろうか。 早くて5分、長くても30分生きていられるかどうかというところだろう。この漂流、漂着は、井伏鱒二の小説「ジョン万次郎漂流記」のものでフィクションである。

 無人島の生活が5ヶ月ほど続くが、鳥島はアホウドリの生息地だ。 アホウドリは人間に易々と捕まる警戒心の無い鳥なので、食糧には困らなかっただろう。 しかし、この部分もフィクションなので、事実はどうであったか。

 やがてアメリカの捕鯨船に仲間と共に救助される。 日本は鎖国中であったため日本へは帰れず、大人たち4人はハワイに住むことになるが、万次郎は頭の良い少年だったので、救助したジョン・ハウランド号の船長ホイットフィールドの気に入られ養子となり、船の名と万次郎のマンを取りジョンマンと呼ばれる。

 日本では文盲の彼だったが、オックスフォードやバーレット・アカデミーで様々なことを学び、首席で卒業するまでになった。卒業後は捕鯨船の乗組員となって働くが、23才になった彼は日本へ帰ることを決意する。 
 帰国の費用を稼ぐために、ゴールドラッシュで湧くサンフランシスコへ出かけ、幾ばくかの金を手にした万次郎は、ハワイの4人の仲間に逢い、「一緒に日本へ帰ろう」と告げる。 

 買った小船で4人の仲間と共に沖で停泊していた上海行きの商船に乗り込み琉球(沖縄)に行き、そして本土薩摩へ、ここで長期の取り調べを経て、2年後に土佐へ戻ることができる。 

 日本でただ一人の(米人に通じる)英語を話せる万次郎は、幕府に召され江戸に赴く。 直参旗本の身分を与えられた彼は、生れた村の中濱をとり「中濱万次郎」と名乗った。 折しもペリーの来航により通訳として活躍した万次郎であったが、幕府の重臣の妬みを買いスパイ容疑をかけられ土佐に帰され、洋書の翻訳や英語辞書の作成など広く活躍することになる。

 万次郎の英語といえば、誰でも知っているのが「ほったいもいじるな(掘った芋弄るな)」現在学校で習っている「ほわっと たいむ いず いっと なう」 と比較してどちらがネイティブなアメリカ人に通じるかと言えば、万次郎英語の方だそうである。 現在、小中学校で習っている英語の発音がローマ字発音ぽいのに対して、万次郎英語は、彼が耳で聞いた発音を出来るだけ忠実に表記しているからである。 

 ところで、彼は何時「ジョン万次郎」と名乗ったのだろうか。 72才で没するまで、一度も名乗ってはいない。ジョン万次郎という名は、井伏鱒二の小説に登場して有名になった名前である。このファーストネームどうしをくっつけた名前を、中濱万次郎は満足しているだろうか。

(2014.6.30 添削)

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