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「天才作家の妻 40年目の真実」(ビョルン・ルンゲ監督 スウェーデン、アメリカ、イギリス合作 2017年)
を紹介します。
女性の視点から描かれた夫婦の物語で、女性なら共感できるところがたくさんありますが、同時に、それってどうよ? というところもけっこうある映画です。
メグ・ウォリッツァーの小説を基にした作品で脚本も女性なので、おのずと女性の視点で描かれており、男女格差の現実を反映する作品になっています。
タイトルからしてネタバレなので、ネタバレ全開で行きたいと思います。
ノーベル文学賞の受賞が決まり、夫婦でストックホルムの授賞式に参列するジョセフ・キャッスルマンと妻のジョーン。
二人は実に仲睦まじい初老の夫婦に見えますが、実はノーベル文学賞を受賞した彼の作品は妻が書いたものだったのです。彼の作品はすべて妻の手によるものだった。
そりゃないだろ、というのが最初の印象。
だって、ノーベル文学賞よ!
芥川賞や直木賞ならいざ知らず、世界のノーベル文学賞を受賞した作品が本人ではなく妻の手によって生みだされたものだなんて、二人につきまとう記者のナサニエルじゃなくても、勘のいい人にはわかるはず。陰で噂になり、ゴシップ記事が書かれていてもおかしくない。
それはともかく、問題はこの夫婦。
大学で文学を教えていたジョセフ、その教え子だったジョーン。
ジョセフはジョーンと不倫し、妻と別れてジョーンと一緒になるのですが、その頃からジョーンの才能はジョセフをはるかに上回っていた。過去の回想シーンが何度か出てきて、そのたびにジョセフの無能ぶりが明らかになります。
女性作家というだけで本が売れなかった時代に、ジョーンは夫のゴーストライターの地位に甘んじ、彼を支えながら(何しろ浮気しまくるのよ、この夫)夫の名前で、作品を書き続けていたのです。
夫は自分の作品の登場人物の名前すら覚えていないボンクラなのだけど、ジョーンはこの夫を実に巧みに操りながら、自らの作品を生みだし続けるのですね。
映画「幸せの絵具 愛を描く人モード・ルイス」(7月26日の記事)でも書きましたが、女が作品を描き続けようと思ったら、賢くなくてはいけない。夫を巧みに操って、自分の希望を叶えさせる、それ以外に女性が取るべき方法がなかった。そういう時代が長く続きました。
今回も同じように、ジョーンは夫を巧みに操りながら、夫の名前で作品を発表し続けます。それ以外に作品を書き続ける方法がなかったから。とにかくジョーンは書き続けたかった、その思いは痛切です。
夫はそのジョーンに甘えて、彼女の作品を自分の名前で発表し続けるのです。
共著という手だってあったはずなのに、彼はノーベル賞の会場で他の参加者たちに「妻は書かない」とはっきり言ってしまうのですね。それにカチンときたジョーンはついに夫を見限る覚悟を決めます。
でも、彼はノーベル賞受賞式の前にあっけなく心臓発作で死んでしまいます。
なんて幸運な男だ。
ここで死なせちゃいかんよ! と私は思ったけど。
最後のシーンで、ジョーンは帰りの飛行機の中でノートの白紙の部分を膝に広げて遠くを見つめます。
さて、これからどんな世界が広がっているかしら。私は世界に何を発信しようかしら。
ようやく見えてきた希望の光ですね。
でも、こんなになる前にもっと早く夫を見限るべきだったんじゃないの。あんなクズ男に生涯をささげるなんて、私には理解不能ですわん。
彼を愛していたって、ホンマかいな。
「浮気のたびにあなたは泣いて謝り、私は毎回許した」とジョーンは夫に言います。
「それならなぜ僕と結婚した?」と聞かれたジョーンはついに切れて彼に言い放ちます。
「その怒りを小説にしたの。私は怒ったり悩んだりする代わりに、この場面をどうしたら描ける? どう言葉にする? って。私の小説はその結晶よ!」
「私の言葉、私の痛み、私の孤独だわ。あなたの裏切りを作品に昇華したのよ!」
それこそが、ジョーンの女としての、いえ作家としての執念だったのかもしれません。
夫の浮気も彼女の忍耐も、すべては無駄ではなかった、ということか。
でも、もっと早く夫を見限り自ら歩みだすことだってできたはず、と私は思うんですけどね。
ともあれ、グレン・クローズの怪演が見所の一つです。
アカデミー賞に7回もノミネートされていながら受賞していない、というのもどこかこの映画に通じるところがある。すごい女優だと思います。
ノーベル賞の授賞式の映像も、ノーベル賞ってこんな感じなのね、と面白かった。
女の執念、というか作家の執念を描いた作品だともいえそう。
賛否両論あるとは思うけど、女性は一見の価値ありです。