(これは2018年1月21日の記事です)
amazonプライムで週末レンタル100円セールというのをやっていたので、前から見ようと思っていたアニメ「この世界の片隅に」を観た。
かなり評判になった映画で、とにかく号泣ものだと聞いていたのだけれど、正直いって、かなり気持悪い映画だった。
この気持悪さは一体何なのだろう。
なぜ皆はこのアニメに感動し号泣したのだろうか。
私には理解不能である。
そこで、気持悪さの原因を少し分析してみることにした。
(映画のストーリー等は割愛します。ネットで見てみてね)
1.主人公のすずという女性があまりに鈍感でバカだ。冒頭の台詞が「うちはようぼーっとした子じゃいわれとって・・」
つまり、ぼーっとしていて何を選べばいいかもよくわからないバカな女性がいい、というメッセージを観客に与える。女性の価値はその程度だと思わせる。
2.129分という長い映画で、些細な日常描写がだらだらと続く。戦時中でも平穏な日常生活がおくれるよ、というメッセージが透けて見える。
3.でも、世界は戦争をしているわけで、彼女たちも呉港に入る戦艦大和など見ている。ドイツのことも話すし、呉は軍港だから水兵さんがようけおって・・という台詞もある。それなのに、この緊迫感のなさはどうしたことか。
4.唯一よかったのは、すずが嫁いだ先の義理の姉。彼女はこの映画の中で唯一自分自身を保っている人物。主人公にするならこの人だ。でも、観客はすずのほうに感情移入する。なぜなら、そういう風に作られているから。
戦時中の庶民の暮らしを描いた映画は他にもあって、たとえば、
「小さいおうち」
(山田洋二監督作品。2014年公開。松たか子主演)
などは同じように戦時中の日常を描きながらも、徐々に戦況が悪化し、人々の暮らしが圧迫されていく様子が見事に描かれており、迫りくる戦争の足音が恐ろしく感じられる。でも、このアニメにはそういう緊迫感が全くない。恐ろしさが伝わらない。
このアニメでは、 人々は少ない配給の食料をどうやって料理して食べるか、といったことばかりを気にかけ、まるで戦争など遠い世界の知らない国の出来事であるかのように日々の暮らしを続けている。
でも、人々は知っていたはずだ。
彼らの兄弟が、夫が、友人が、戦地に行き、傷つき死んでいく事実を目の当たりにしているのだから。
戦争前と同じ暮らしができるはずがない。たとえそのフリをしなくては生きていけないにしても、どこかに必ず、必死さ、緊迫感、悲壮感、あるいは人間の愚かさや邪悪さが見えるはず。そうしたものが全く欠如しているのがこの映画である。
それでいて、いざ自分の身にふりかかるとなると、突然怒りに燃え、号泣するすずという女性は、どこまで鈍感でバカなんだ。最後まで自分の周囲の狭い世界しか見えていない。
日本人の感性はこれほどまでに退化していたのか。
そうではあるまい。
では、なぜ、これほど感性の鈍麻した人を主人公に設定したのか。
そこにこそこの映画の狙いがあるからだ。
これを見た人たちは思うだろう。
人々の暮らしに戦争が影を落としていく中で、それでもけなげに生きていた庶民の暮らしがあったんだなあ・・と。
一方で、日本軍は中国を侵略し、東南アジア諸国で本当にひどいことをしていた。登場人物たちは知らなくても、映画を制作した側は知っている。
では、なぜ、彼らだけが被害者のように描かれる映画を作ったのか。
これはもう戦争プロパガンダ映画以外の何ものでもない、といって差し支えないだろう。
こんな映画で感動している場合じゃない。
もっとしっかりしないと、また同じ過ちを繰り返すことになるよ。
しっかりしなさい、日本人!
と言いたい。
もっと自分の感性を磨こうよ。
何が大事で何が大事でないか、見分ける目を持とうよ。
というわけで、これは観なくていい映画、いえ、
観るべきじゃない映画NO1
に輝いたのでした。ちゃんちゃん。