ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

別れの予感

2016-02-28 14:17:28 | 映画
昨日の記事で一つ訂正したいことがあります。
というより、こっちの解釈のほうがよりすんなり納得できるかな、という・・
映画「サヨナライツカ」の終わりのほう、豊が25年前を回顧するシーン。

  豊 「オレたち明日何しようか」
  沓子「それは明日考えましょ」

これは、彼らに確実な未来があるからではなく、むしろ、
未来がないからこそ、今を大事にしよう、という沓子の思いなのですね。
豊は能天気に異国でのアバンチュールを楽しんでいるけれど、
沓子には、この時すでに別れの予感があり、
別れにおののいていたのです。

そして、豊は25年もたって、ようやくその事に気づくというわけ。
遅すぎだろっ。
って、私も気づくの遅すぎ、でした。

ラブロマンスは青春がテーマになることが多いです。
そして、私たちは、失われた青春をせめて小説や映画で満たそうとします。
だからこそ、より輝いて見える。

でも、考えてみれば、いつになっても心ときめく瞬間というのはあって、
また、失うことを恐れる気持も常にあります。
だからこそ、フィクションの世界でシミュレーションしておいて、少しでも傷を浅くしようとするわけですね。

でも、
いくらシミュレーションしても、現実はもっとリアルで厳しいものなので、
対処するのは、けっこう難しいのだけど。
それでも、シミュレーションしないよりは、したほうがいい。

だから、小説をいっぱい読んで、映画をいっぱい見たいと思います。
私にもまだ予測不可能な未来があって、
そこには、どんなワクワクがあるか、もしくは、悲嘆があるか、
わからないものね。

わからないから、人生は面白いのだけど。





≪訂正があります≫

 上の記事(昨日の記事も含めて)で訂正があります。「サヨナライツカ」の豊と沓子の会話・・

  豊 「オレたち明日何しようか」
  沓子「それは明日考えましょ」


 というのは、豊の回想シーンではなくて、彼女が病に侵され死を間近にしてようやく豊に再会した後のシーンです。映画の終わり近くに出てきます。
 したがって、二人にはどんな未来もない。
 すっかり弱り果てた彼女が、豊の肩に身を寄せながら語らいます。
 
 というわけで、私の記述内容は全くあてはまりません。
 再び映画を見て、しまった! と思ったので、ここに訂正いたします。
 それにしても、あまり時間を置かずに書いた記事だったのに・・
 記憶力の低下が激しいようです。
 
 申し訳ありませんでした。
 
 
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