(これは2018年4月11日の記事です)
友人の勧めで「ウォーキング・デッド」を見ました(シーズン1まで)。
「ゾンビものだけど、人間ドラマなんだ、そこが面白い」と友人はいうのだけど、私にはどこが面白いのかさっぱりわからなかった。見れば見るほど気分が悪くなってくるドラマで、見るんじゃなかったと後悔。
だって、ゾンビよ、ゾンビ!
そこら中に、内臓や骨が飛び出したおぞましいゾンビたちがウヨウヨする中、ひたすら逃げ回る人たちの話です。
体が半分ちょん切れてるのにまだ何かに食らいつこうと歯をがちがちならすゾンビとか、馬が横倒しになると群れて馬に食らいつくゾンビとかね。
あのゾンビの生命力(?)って何なんだ?
一度死んだはずだよね??
しかも、命からがら逃げだした少数の人間たち自身、仲間割れして争い、互いに殺し合いかねない状況になるって、どんだけ人間て愚かなの、というか、この設定自体どんだけ現実的じゃないか。
まあ、言ってみれば「怖いもの見たさ」につけこんだドラマね。
このドラマが言っているのは、たぶんこれ。
もしかすると、世界の終わりは間近に迫っているかもしれないので、その時にどうやって自分の家族を守るか、今から心して準備しておくようにという、プロパガンダ。
ハリウッド映画は全て政治的なプロパガンダである、という説に従えば、これはもう、
「世界の終わり」についてのプロパガンダ以外の何ものでもないということになりそう。
で、人々は「世界の終わり」が来た時の為に、とりあえず心の準備だけはしておこう、と思うわけ。
ゾンビ、というのは戦争で戦う敵かもしれず、宇宙からやってきたエイリアンかもしれず、あるいは自国内に潜んでいるテロリストかもしれず、あるいはウィルスによる伝染病かもしれず、あるいはまた人々を洗脳させる思想かもしれず・・
いろいろ想像できちゃいますが、
でも、もしもこんな世界が実際に到来したなら、私しゃさっさとあの世に行ってしまいたい。
だって、こんな世界にどんな救いがあるというの。
こんな世界で生きていこうとする人間たちって、ゾンビよりタフじゃないといけないし、ゾンビよりしぶとい生命力がないと無理でしょ。
アメリカ大陸を「発見」し、インディアンを殺しまくって領土を広げ、あるいは南米で原住民を何千万人も殺しまくって自分たちの国を築きあげてきた人たち。
アフリカやアジアの国々を植民地にして収奪の限りを尽くし、あるいは黒人を奴隷として酷使してきた人たち。
その人たちが恐れているのが、ゾンビに象徴される何やら得体のしれない敵、あるいは恐怖、なのかもしれない。
(人類の歴史は、人種に関わらず、おぞましい殺戮の歴史であるのは確かだけど、今もなお勝ち組であり続けている<と自ら思っている>人たちはいるわけで…)
つまり、ゾンビというのは、大勢の人々を殺戮してきた彼らの得体のしれない「恐怖」が形を持ったものなんじゃないか…
殺しても殺しても生き返るゾンビは、まさに彼ら自身の「恐怖」そのものなんじゃないか、
と思うわけです。
一方、同じゾンビ映画でも、サイモン・ペグとニック・フロストのコンビが描く、
「ショーン・オブ・ザ・デッド」
はこの対極にある映画で、ゾンビをお笑いに変えてしまう見事なコメディです。
どうせ見るなら、こっちを観ようよ。
「世界の終わり」は来るかもしれず、来ないかもしれないけど、少なくとも私が生きている間は「世界」は終わらないでね、と祈るばかりです。
そして、何より私自身がゾンビにならないように(もう半分なってる?)祈るばかりですわん。
というわけで、「ウォーキング・デッド」が好きな人には申し訳ないけど、私的には観なきゃよかったドラマでした。
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