(これは2018年2月3日の記事です)
今日の映画は「推手」
中国のアン・リー監督作品です。(台湾、アメリカ合作 1996年公開)
アン・リー監督といえば、「ブロークバック・マウンテン」「ライフ・オブ・パイ」「グリーン・デスティニー」など有名な作品がたくさんありますが、デビュー作がこの「推手」。
中国からアメリカに住む息子のもとにやってきた朱さん。彼はカンフー(太極拳)の達人です。
「推手」というのは相手の力を利用して相手を倒すカンフーの技の一つ。
息子にはアメリカ人の妻(マーサ)とまだ幼い息子がいて、朱さんは息子に招かれてアメリカに来たものの、英語もしゃべれず異文化の中で戸惑い、マーサとも折り合いがよくない。
これって「イン・トリートメント」のシーズン3(2017年9月29日の記事参照)に登場するインド人のスニールのケースとそっくり。「イン・トリートメント」の監督はこの「推手」を参考にしたに違いない、と思いました。
しかも朱さんには、紅衛兵に襲われ妻を亡くしたという辛い過去があります。中国では家族の絆がとても強く互いに支えあって暮らしてきたのに、アメリカは個人主義で冷たいと朱さんは嘆きます。自分の孫もまた個人主義の文化の中で育っていくことに不安も覚えています。
けれども、マーサはそれを理解せず、朱さんと同居を始めてから仕事(彼女は作家)が全くできなくなったと夫に訴えます。
朱さんの息子は、父親と妻の板挟みで大変です。
しかし、ある日、息子も我慢の限界を超え、ついにキレて、派手にちゃぶ台返しをして家を飛び出していきます。
ああ、アジアの男ってちゃぶ台返しが好きなんだなあ・・
かくいう私の元夫も散々ちゃぶ台返しをやらかしてましたね。
マーサはびっくり仰天。それでも、普通ならここで妻もキレて離婚だ何だと騒ぎになるんだけど、そうはならない。よく出来た嫁だ、なんていうとフェミニストの友人から叱られそうだけど、でも、 アメリカ人にしては、マーサは努力している方だと思う。でも、朱さんにそれは通じない。
この老人(私とほぼ同世代)なかなかの人物で、アメリカの個人主義がどうのといえないほど、我が道を行くで、全く動じない。中国式個人主義とでもいおうか、息子や嫁があたふたしても、彼は彼のやり方を決して曲げないところ、さすがカンフーの達人。
この映画を見ていて不思議だったのは、なぜお互いに歩み寄ろうとしないのか、ということでした。
言葉の壁があるなら、言葉を学べばいい。朱さんもアメリカに来たからには英語が出来ないと困るだろうし、マーサだって中国人の義父が来るとわかっていたら中国語の勉強くらいしたらいい。作家なんだから語学は得意なんじゃないの。
互いに自己主張ばかりしあって一歩も譲らないところ、アメリカも中国も似てるなあ、と私は思ったのですが。
結局、この家族、一緒に住むのは無理で(マーサが、というより朱さん自身が)最後は別れて住むことになるのだけどね。
息子は父親に言います。
「頑張って勉強していい仕事についたのは、父さんを呼びよせていい生活をしてもらうためだった・・」
でも、父さんにとっては、それはとても窮屈で肩身の狭い生活なのでした。
異文化の中で共存するのがいかに難しいかというお話です。
それを説得力ある切り口で、しかも淡々と語っている。これがデビュー作というからやっぱり、アン・リー監督はタダ者じゃないと思いました。
朱さんが御飯を食べるシーンが印象的。
マーサが野菜サラダとせんべいみたいなのをかじっているそばで、彼は大きなどんぶりに御飯をいっぱい入れて、その上に焼き肉だの野菜だのを乗っけて長いお箸で食べるのですが、それが何ともおいしそうで、やっぱり御飯の文化はいいなあと思ったことでした。
それにしても、中国人のコミュニティの豊かさにはびっくりです。
カンフー教室あり、料理教室あり、囲碁あり、大人も子どもも大勢の人たちが集まり、互いに支えあっている様子が伺えます。まるでアメリカじゃないみたい。
日本人も海外であんなコミュニティを持っているのでしょうか。ぜひ知りたいところです。