「司法の病巣」産経新聞司法問題取材班 2002角川書店
平成13年(2001)に起きた情報漏えい事件と、判事(裁判官)による少女買春事件。そこから浮かび上がる司法を取巻く環境とシステムの問題点。
話は小説よりも面白い。
- 判検癒着(判検交流(出向)による仲間意識)~検察よりの判事への気遣いが情報漏えい事件に。
- 事件のきっかけになるストーカー犯罪(脅迫)も裁判官家庭の問題が起因する。
- 警察と検察の確執からの情報リークにより発覚。(それがなければ発覚せず)
裁判官や検事が「市民感覚(市民の常識)」を持っていないことの問題性を取り上げながら、この本でも判検神聖意識が見られるのは残念だ。裁判官や検事も同じ人間だという当たり前のことに焦点を充て、彼らを市民のレベルまで引き下げるべきだ。頭の良い優秀な人間であることによる優越意識を否定するものではない。だが、それにより特権意識は廃絶駆逐して行かなければならない。
それ(裁判官や検事を市民レベルに引き下げ)ができていれば、この本で取り上げられた”大事件”は些細な出来事であったはずだ。実刑判決を受けたり、仕事を辞めるほどのことではなかったはずだ。
被害者感情の問題はわたしも見逃していたよー
そうだよね。
ストーカー被害が止まっても、それについての情報をもらわなければ、逆に心配が増えるだけというのはいわれてみれば当然だ。ストーカーを止めさせるだけじゃ、事件は終わらないんだよね。
法律と行動と善と悪って、現実には複雑すぎて気持ち悪いね~法律とその解釈(をする人間)が悪すぎるんだろうね。
わたしとしては、裁判官を裁く者、検事を起訴する者、それは市民で無ければならないと考える。現在は裁判官が裁判官を裁き、検事が検事を起訴する権利を独占している。これでは身内をかばって不正が横行するのも当たり前ではないか。競争原理の働く組織を作るか、市民による監視システム(オンブズマン)に権限を与えるべきだろう。これは警察のシステムや政治家にも同様のことが言える。
その後、法科大学院(2004)もでき、裁判員制度(2009)も実施されていますね~
この先、どう変っていくのか楽しみですね~
たぶん、ゆっくりとしか変らないけど。
まあ、すくなくとも判検癒着がなくなれば、冤罪は激減するはずだよね。