雪の朝ぼくは突然歌いたくなった

2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。

110413 日々歌ふ

2011-04-13 10:45:52 | 日々歌ふ

核をもて追はるる酷きかなしみをふるさと人の永久に強ひらる

阿武隈と太平洋の狭間なるふるさと滅ぶ核に侵され

―<フジサンケイグループ、「地球環境大賞」を東電への報に>
冗談の黒々深し東電に「地球環境大賞」授与と



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4 コメント

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こんにちは。 (setu)
2011-04-13 12:53:54
「なぜ警告を続けるのか〜京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち〜」を拝見しました。
そして、都知事選もガッカリですね。

誇れる人生を振り返ることができる髭彦さん、立派な方なのだと改めて感心しました。
で、我が身を振り返ると・・・う~む、何も無しです。
「空数う道の端に咲くタンポポの名も無き輪廻我が身映せり」
拙い歌で・・・m(__)m

棚を整理していたら、小学生の安蔵少年が亡き父を思い、小高で読んだ句が出てきました。
「見返れば墳墓は見えず蝉しぐれ」
今の状況と重なりました。

埴谷島尾記念文学資料館の資料は、職員の方が持ち出してくれたというメールが入りましたが、状況はよく分かりません。
返信する
setuさん、こんにちは (髭彦)
2011-04-13 15:14:35
小出さんについては、「小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ―京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏による情報」という、素晴らしい情報サイトを作ってくださった方がいます。
http://hiroakikoide.wordpress.com/
ぜひご参照ください。

小出さんたちと比べものには到底なりませんが、小さな職場でそれなりに筋を通して生きてきたという、多少の自負はあります。
「髭彦閑話18 一教師として生きて」
http://p.tl/cAQN
退職時に書いた上の拙文をお読みいただければ幸いです。

鈴木安蔵さんは短歌だけでなく、俳句もひねっていたのですね。
埴谷島尾記念文学資料館の資料の無事を祈ります。
島尾敏雄さんの父君と僕の曽祖父は深いつながりがあったので、一度訪ねたいと思っていた資料館でした。
建物は被災したのでしょうか。
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残念ですが・・・ (setu)
2011-04-13 18:16:08
小出氏に関するサイト、後日拝見します。

退職時の文章を拝見して、髭彦さんが、一貫して素晴らしい人間教育をされてきたことに心動かされました。

埴谷島尾記念文学資料館ですが、資料は持ち出されたけれど、残念ながら建物は流されたと聞いています。
7日の余震でも、家々の崩壊がひどかったそうです。
悲しいですね。
返信する
埴谷島尾記念文学資料館は… (髭彦)
2011-04-14 00:06:43
流されてしまったのですか。
残念です。
長く小高郵便局だった祖母の実家の土蔵も、地震で崩壊してしまったそうです。
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