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雪の朝ぼくは突然歌いたくなった
2005年1月26日。雪の朝、突然歌いたくなった。「題詠マラソン」に参加。3月6日に完走。六十路の未知の旅が始まった…。
牡丹の白くしろく咲きをり
2008-02-24 16:56:31
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寒風のときに激しく揺らせども牡丹の白くしろく咲きをり
六義園にて
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まといたいような色と質感
(
びっけ
)
2008-02-24 20:26:20
この花びらでつくったネグリジェをまといたいような。
わが知る花言葉は、羞恥。
風伯塵を払ふ、ですね。
返信する
真白き牡丹!
(
sakura
)
2008-02-24 21:35:18
白い色を良くこれだけ美しく、、、
なんと素晴らしいことでしょうか、、
白き鳥の羽根にも似て、、、
牡丹の白くしろく咲きをり、、、
返信する
あやうく
(
髭彦
)
2008-02-24 22:26:21
風伯花を払ふ、ところでしたね。
その強風の合間にやっと撮りましたが、よしず越しの光りが白を引き立てるのにちょうどぴったりでした。
返信する
sakuraさん、こんばんは
(
髭彦
)
2008-02-24 22:29:35
白はほんとうに難しいですね。
めったに満足するようには撮らしてくれません。
久しぶりに撮れたように思います。
白鳥といえば、なみへいさんの撮った白鳥がすばらしいですね。
返信する
寒牡丹
(
今泉洋子
)
2008-02-26 16:02:00
髭彦さん
お元気でお過ごしですか。いつも素敵な写真いながらにして見せていただき、愉しませていただいています。
先日は、髭彦さんの写真を使わせて頂いたフォト短歌の歌会大変盛り上がりました。8人の出席で、3首のうち一番好きな歌に投票するのですが、勝手ながら髭彦さんのお歌も詠草に入れさせて選歌してもらいました。富士山が2票で、蠟梅が2票で、鴉が4票でした。先生は鴉の歌を採られました。
本当に有り難うございました。来月は、「冬寒の」の水道と、「咲き盛る」の冬牡丹と「狩終へて」の鷺の
3枚を使わせて頂きますので宜しくお願いいたします。冬牡丹はこのお写真も綺麗ですね。すぐ一首できました。お恥ずかしいですが、、、
・心とは脳の何(ど)の辺寒牡丹真白き揺れにわれも揺らぎぬ
この写真で閃きました。結句あたりを推敲しないといけませんが、、、素敵な写真有り難うございます。
返信する
ありがとうございました
(
髭彦
)
2008-02-26 23:52:37
まさか<富士山が2票で、蠟梅が2票で、鴉が4票>というのは拙歌のことじゃないですよね?
また僕の写真をお使いくださるようで光栄です。
今泉さんの歌心を牡丹の写真が刺激したことも、です。
返信する
ひとさまのお歌ですが
(
びっけ
)
2008-02-27 00:42:00
寒牡丹から心を詠まれた一首、さすがですね。
脳の何の辺、という物言い。
寒牡丹が単語で中央に置かれているところも、
結句推敲をお考えの点も、さすがですね。
実力者による選歌ほど勉強になるものはない、とよく聞きますが、髭彦さまは恵まれてらっしゃいます!
返信する
有り難うございました
(
今泉洋子
)
2008-02-27 19:35:47
髭彦様
はい。髭彦さんのお歌も勝手に選歌させていただきました。ふつう歌会は、全部の作品から好きなうたを
何首か選ぶやりかたがほとんどですが、そうなると
ベテランの人にばかり点数が入り新しい人が育たなかったり、点数のはいる歌を作る傾向になりやすいので
、私達の歌会は、ひとりひとりの個性を育てるのに
3首の中から選歌をします。私は3首の中で髭彦さん
の富士の歌が1番好きでした。それにしても髭彦さんは写真も素敵ですが、歌もいいですね。文法なども
きっちり勉強されて感服いたします。また「100首
blog」のほうでご一諸できて嬉しいです。
髭彦さんの益々のご健詠をお祈り致します。
びっけ様
はじめまして
思いがけなくコメント有り難うございました。
大変嬉しく感じました。結句は揺れている不安定な感じをだすために「揺らぎつ」とか「わたしも揺れて」にしようかなと思っています。今後とも宜しくお願い致します。
返信する
今泉さまへ
(
びっけ
)
2008-02-27 21:29:10
温かいお言葉、励みになるのはこちらです。短歌とのつきあいは、いまでは、無理をせず興にのったとき詠む、そんなスタンスです。上手な方の歌を読んだり、教えることのほうが好きなのです。髭彦さまには温かくブログゲストとして遇して頂き、感謝しています。私は娘か孫のような気持ちで、生意気に感想を述べたり添削などして、親愛の情を恩返しのかたちで表しつつ、自分も楽しんでいまして。素敵な方といい距離で趣味の交流ができることは、喜ばしいことです。頻繁に来すぎで礼節も不足、などとしばしば反省しつつ、髭彦さまの短歌・写真・お人柄の魅力が、わがアンテナによく触れるので、つい。今泉様ともまたすれちがうことがあるでしょう。こちらこそよろしくご指導ください。なお、推敲の考え方に共感します。推敲例、ふたつともいいですね。前者のほうが、上の句の秀逸な口語調をひきたてて、よいと思いました。不穏なまでの危うい均衡が「つ」ひとつで表される、素晴らしい技量ですね。
返信する
今泉さん、ありがとうございます
(
髭彦
)
2008-02-28 12:28:44
ははは、それならわかります。
まさか、お上手な皆さんの歌を差し置いてとは信じられなかったので。
文語文法などは辞書を引き引きの、あやしいものです。
ところで、近頃、歌は<現代日本語>とそのリズムで詠むべしという啄木の歌論を読んで、通常は自明の如くに理解されているような、<文語>か<口語>かという単純な選択肢ではないのかなと反省させられている最中です。
啄木自身の議論にも、<文語>=<古文>、<現代日本語>=<口語>と考えている節が感じられないわけではありませんが、今に到るまで完全な<言文一致>はないのですから、<現代日本語>というのは<現代文語>と<現代口語>とから成り立っていると考えるべきなのでしょう。
その意味では啄木の歌も、時おり<函館の青柳町こそかなしけれ>のように<古文=古代文語>が混じり、<古新聞!/おやここにおれの歌の事を賞めて書いてあり、/二三行なれど。>のように<現代口語>に近い表現が混じるものの、原則としては明治40年代の<現代文語>とそのリズムによって歌われているように思えます。
そう思うと、ぼくが目指すべき歌も本当は21世紀初頭の<現代文語>とそのリズムによるべきだったのかもしれません。
どうもその辺が自覚的ではありませんでした。
俵万智風の<口語>短歌か<文語>短歌かの二者択一で、しかも<文語>=<古代文語>といった無意識の思い込みがあったように思います。
<旧仮名遣い>を選んだのも、そのためだったことになります。
小島ゆかりさんの<「思い込み」という病気><形式の中の自由>(『短歌入門』本阿弥書店)といった議論もこの辺に関わるものだと思いますが、この問題は現在の歌の世界ではどう議論されているのでしょうか。
もしご存知でしたら、お教えください。
歌は<悲しき玩具>だという啄木の議論とあわせて、よくよく考え直してみる必要を感じ始めているところですので。
話がだいぶそれてしまいましたね。
どうぞお許し下さい。
返信する
今日より明日
(
今泉洋子
)
2008-02-28 19:29:22
髭彦さん
拝復
ストーカーみたいに度々お邪魔してすみません。小島ゆかりさんの短歌入門は、「今日より明日」でしょう。刊行されてすぐに読みましたが、友人に貸して、そのまま戻ってなくて、こころあたりに電話したら、やっぱりそこにありました。日曜日に戻ってきますので、その件については、それをよんでから、私で解ることでしたらお返事させていただきます。
私事ですが、短歌をはじめた頃に、コスモスの選者
で第1回のコスモス賞を受賞された先生に指導して頂いていました。髭彦さんのお歌はその先生のご指導
どおりに詠われていて、髭彦さんのお歌を拝見すると、なんだか原点に戻るような気がしてほっとします。そんな訳でたびたびお邪魔しています。
解らないことだらけで、短歌はなんと奥が深いのでしょうか。でもぼちぼちと続けたらなんとか道は開けるのではないでしょうか。こんな私ですが、どうぞ宜しくお願い致します。啄木を真面目に読んでみます。
また色々お教えください。
返信する
こちらこそ
(
髭彦
)
2008-02-28 23:39:52
若い頃から『一握の砂』だけは気に入って、時おり読んでいました。
だからだと思いますが三十年近く前に買ってはみたものの、読みもしなかった『啄木全集』を今頃になってようやく読み始めたところです。
こちらこそ色々とお教えください。
どうぞよろしくお願いします。
返信する
参考までに。お返事不要です。
(
かぐや
)
2008-02-29 23:08:33
○一生に二度とは帰つて来ないいのちの一秒だ。おれはその一秒がいとしい。たゞ逃がしてやりたくない。それを現すには、形が小さくて、手間暇のいらない歌が一番便利なのだ。
○何に限らず歌ひたいと思つた事は自由に歌へば可い。かうしてさへ行けば、忙しい生活の間に心に浮んでは消えてゆく刹那々々の感じを愛惜する心が人間にある限り、歌といふものは滅びない。
啄木の言葉だそうです。既読かもしれませんね。
短歌観、歌人の数だけありそうですね。音数の制約くらいしかない世界かもしれないですね。それも、57577とも限らず、初句で句割れして凛々しい韻律を生んだり。もったりと字余りしてみたり、字足らずで空中にほおりだしてみたり。外国語を外国語表記で折り込んでみたり。句読点を効果的に用いてみたり。口語と文語のミックスでこそ表現できるニュアンスもあるでしょうし、旧仮名でなくては無粋な語もありますね。
絶対がないのが表現の世界かもしれないですね。馬場あき子が沖縄のノロを歌った作品を結社誌上で見たときは感動しました。『世紀』か『九花』か・・・何か最近の歌集に収録されているはずですが。
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びっけ様
はじめまして
思いがけなくコメント有り難うございました。
大変嬉しく感じました。結句は揺れている不安定な感じをだすために「揺らぎつ」とか「わたしも揺れて」にしようかなと思っています。今後とも宜しくお願い致します。
まさか、お上手な皆さんの歌を差し置いてとは信じられなかったので。
文語文法などは辞書を引き引きの、あやしいものです。
ところで、近頃、歌は<現代日本語>とそのリズムで詠むべしという啄木の歌論を読んで、通常は自明の如くに理解されているような、<文語>か<口語>かという単純な選択肢ではないのかなと反省させられている最中です。
啄木自身の議論にも、<文語>=<古文>、<現代日本語>=<口語>と考えている節が感じられないわけではありませんが、今に到るまで完全な<言文一致>はないのですから、<現代日本語>というのは<現代文語>と<現代口語>とから成り立っていると考えるべきなのでしょう。
その意味では啄木の歌も、時おり<函館の青柳町こそかなしけれ>のように<古文=古代文語>が混じり、<古新聞!/おやここにおれの歌の事を賞めて書いてあり、/二三行なれど。>のように<現代口語>に近い表現が混じるものの、原則としては明治40年代の<現代文語>とそのリズムによって歌われているように思えます。
そう思うと、ぼくが目指すべき歌も本当は21世紀初頭の<現代文語>とそのリズムによるべきだったのかもしれません。
どうもその辺が自覚的ではありませんでした。
俵万智風の<口語>短歌か<文語>短歌かの二者択一で、しかも<文語>=<古代文語>といった無意識の思い込みがあったように思います。
<旧仮名遣い>を選んだのも、そのためだったことになります。
小島ゆかりさんの<「思い込み」という病気><形式の中の自由>(『短歌入門』本阿弥書店)といった議論もこの辺に関わるものだと思いますが、この問題は現在の歌の世界ではどう議論されているのでしょうか。
もしご存知でしたら、お教えください。
歌は<悲しき玩具>だという啄木の議論とあわせて、よくよく考え直してみる必要を感じ始めているところですので。
話がだいぶそれてしまいましたね。
どうぞお許し下さい。