夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

考えがちょっと浅いのでは。でもお陰で面白い事に気が付いた

2009年06月29日 | 言葉
 テレビの雑学クイズの事だ。昨日の日曜日、たまたまつけたテレビでやっていた。面白そうな問題だったので見た。こうした雑学はその時は面白いと思うのだが、たいていは翌日になると忘れてしまう。単なる受け身の知識だからだ。この問題でも、その晩まで覚えていたのはわずかに三つ。一つはやっと思い出した。それは空港などで不法入国が分かった場合、その送還の費用は誰が負担するか、だった。正解は乗って来た航空会社が負担する、だった。入国後に不法がばれた場合、どうだったかはどうしても思い出せない。

 二つ目は「砂漠」には水が無いのになぜ「漠」には「さんずい」が付くのか。これは私は答がすぐに分かった。「莫」が「無し」の意味なので、「漠=水が無い」なのだと気が付いた。ただ、今までそんな事考えた事も無かった。そしてクイズではこの「莫」の文字についての説明があった。これは「くさ+日+大」で、「大」も「草」を表している。つまり草と草の間に日が沈む形だと言う。そうか、日が無くなる訳だ。
 そして後になって、あれ、「莫」だけで「暮れる」と言う意味になるのに、「暮」には更に日があるじゃないか、と気が付いた。でもクイズではそんな説明は無かった。そこで調べた。
 「莫」は「暮れる」の元の字である。それが「なし」などの意味に使われるようになったので、更に日を加えたのである。それは分かったが、何でそれが「暮らす」にも使われるのだろうか、とまたまた疑問が出て来た。そこで古語辞典で調べた。
 答はいとも簡単だった。「暮らす」とは「日暮れになるまで時を過ごす」なのである。そこから「生活する」の意味も生まれているはずだ。
 「砂漠」からこれだけの収穫が得られるのである。でも、この雑学クイズではそこまでは要求されていない。どうしてだろう。「莫」と「暮」の関係、「暮れる」と「暮らす」の関係、そうした事は日本人として有益な知識である。「砂漠」に「漠」の文字が使われているのと同じく重要な事柄である。だが、まるで考えていない。つまり、そこまで考えが回らないのだろう。これは決して失礼な考え方ではない。分かっていてそこまでしないのだ、と考える方がずっと失礼になる。考えが回らないのはその担当者の程度の問題だから、それはそれで仕方が無い。だが、知っていてやらないのなら、誠意を疑う事になる。

 三つ目は国道の上越トンネルでは走行車線と追い越し車線とでは照明に違いがある。どのような違いか、である。
 私の考えた答は「電源の系統が違う」である。系統が異なれば、両方一遍に停電する事は無いだろう。クイズの正解は電力会社が違う、であった。私の答より更に規模が大きいのだ。なるほどと思ったが、これは直後から疑問が湧いた。
 よく停電のニュースがあるが、そんなに広範囲に停電する訳でもない。電源の系統が異なれば、周辺全域が真っ暗になる事は無いだろう。何も電力会社が違わなくても良いのではないか。
 上越トンネルの場合、東京電力と東北電力で、それは両社の境界付近にトンネルがあるから出来た事ではないのか。例えば東京電力の範囲のど真ん中なら、そこに東北電力から電源を引いて来るのは可能だろうか。
 同トンネルは全長11キロと長いが、同じように長いトンネルで二つの会社から電力の供給を受けているトンネルはほかにもあるのか。それはどこなのか。そして、会社の違いではなく、一つの会社の電源系統の違いでは解決が出来ないのか。
 これは言葉や文字の問題ではないので、私には調べるすべが無い。多分、このまま疑問として私の頭の中に残るに違いない。そしてどこかで、答に出会う時があるはずだ。
 この三つ目の問題は言葉や文字の問題ではない。我々の実際の暮らしにも関わって来る問題である。だからより一層、いい加減な答で済ます事は出来ないはずだ。まさか、電力会社の問題だとか、国土交通省の問題だ、などと言うのではあるまい。

 せっかくの問題なのだから、きちんと考える事をしたらどうなのか。多分、私の疑問とした事はあまり面白くはないからやらないのだろうと思う。面白さが何よりも優先するのである。啓蒙番組だとは誰も思ってはいないだろうが、あまりにも面白さだけを追究し過ぎている。考えないで答だけを受け入れるから、果たしてどこまでそれを覚えているか。そしてその知識が役に立つのか。
 そんな事はいいんだよ。一過性であって少しも困らないんだよ、とテレビ局は言うのかも知れない。考えずに済む番組をテレビは作っている。面白がって笑ってそれで終わり。複雑な社会問題がある場合にも、すべて局が用意した答で解決を付けている。かくかくしかじかであるから、視聴者の皆様、これで納得出来ますよね、との姿勢である。そうやって我々を引きずり回している。
 でも、こうして考えていたら、別の電力会社である理由を思い付いた。もちろん、確信は無い。このトンネルは群馬県と新潟県の県境にある。そこで自分の領域だと、電力会社の争いがあったのではないか。両方の顔を立てるために両社に参入させた。停電への配慮も出来る。
 このように考えれば、私が疑問に思った一つの会社での電源の系統を変える事で解決が付くのではないか、の答も自ずと出て来る。スポンサー大事のテレビ局はそうした事をあからさまには出来ない。
 只で見ているテレビだから文句を付けるのもおかしいのだろう。嫌なら見なければ良い。ただ、何で無料で視聴出来るのか、と考えれば、それは決して無料放送ではない事に気が付く。
 さて、今度は私が問題を出します。
 無料の民放テレビの経費や利益はどこから出ているのでしょうか。実質的には誰が負担しているのでしょうか。