夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

テレビ朝日に言いたい。もっと真剣に番組に取り組めよ

2009年06月03日 | 文化
 けさテレビ朝日を見ていてびっくりした。東京・上野の美術館で、興福寺の阿修羅像が大人気だと言う。もの凄い数の人が「おめとーり」したと司会者の一人が言った。新聞記事の文字は「お目通り」である。
 朝のこの時間帯は私はとても忙しい。フジテレビのたった1分間の「今日のわんこ」を7時52分頃に見て、終わるやすぐにテレビ朝日の「今日の運勢」を見る。そのすぐ後のニュース紹介でこれが流れた。そしてまたまた59分頃にフジテレビに戻ってやはり「今日の運勢」を見る。両方見るのは「なんだ、ぜんぜん違うじゃないか」と確認するためである。だから運勢占いなんていい加減なんだ、と言う確証を得るために見ているような感がある。
 それにしても、時間帯が重なりそうな「わんこ」と「運勢」、何とかならないものか。「わんこ」が終わってすぐにチャンネルを変えても、もう「運勢」が終わり、と言う事もある。進行がいい加減なのである。
 肝心の「お目通り」に戻る。「目通り」には二つの意味がある。樹木の目の高さの幹の太さを言う場合と、身分の高い人に会う事を言う場合とがある。普通には後者である。そして「めとーり」とは言わない。ただし、「目通し」では「めどーし」と「めとーし」の言い方がある。この司会者は「めとーし」だから「めとーり」だと思っていたのだろう。私はその事を非難しているのではない。まあ、テレビで話す事を仕事としているには、お粗末で、とんでもないとは思う。だが、問題はもっと別の事にある。
 この番組ではもう二人男女の司会者が居る。そして番組のスタッフが居る。本番前にはきちんと打ち合わせをしているはずだ。今日はどのような話題を採り上げて、どのように進行させようかと。紹介する記事はきちんとテロップにもなっているし、字幕だって用意してある。そうした打ち合わせで「お目通り」は出ているはずである。それをこの司会者が「めとーり」と読んで、それをみんなが聞いているはずだ。だが、誰も何も言わなかったらしい。「めとーし」はあるけど、「めとーり」は無いよ、とは誰も言わなかったらしい。そんな馬鹿な。
 こんないい加減な事で番組が作られ、進行している事に私は驚愕するのである。私だって、言葉を間違えて覚えていたりする事はある。だが、これは何十万人もの人々が見ているテレビの番組なのだ。何人もの人々が関わっているから、たとえ、一人が間違っていたって、それは完全に訂正されるはずである。テロップや字幕は用意されているが、進行役は何の用意もなく本番に臨んでいるのだと言うのなら、是非とも、そうした態勢は改めるべきである。番組自体の信頼を失うのはご自由だが、何よりも視聴者を馬鹿にしていると思う。
 ねえ、我々はみんな、もっと真剣に仕事をしていますよ。