夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

今の政治は理念を持っているのか

2009年06月18日 | 政治問題
 鳩山対西川の闘いはどうも鳩山が利口ではなかった、と世間は見ているらしい。つまり、理想を掲げて正義だと言っても、現実を見ていないと言う。確かに現在の情況では現実を見ていないと言われても仕方が無い。実力者と見られている顔ぶれを見ても、四面楚歌だった。そしてそれが実際の政治であるのは私も知っている。でも、それでいいのか、との強い疑問がある。
 権力が何であるかを知り、その権力を行使出来る人間が日本のリーダーであるべきだ、との考え方は分かる。そうでなければ、日本は危なっかしくてたまらない。ここ二三年、ずっと危なっかしかった。安倍も福田も簡単にやめてしまった。そしてその前はと言うと、問題の郵政民営化の小泉だった。彼は権力の何たるかを知っており、行使も出来た。その強引な手法に庶民は「自民党をぶっつぶす」と豪語した彼を信じて付いて行った。その結果がどうであったかは、今、白日の下に晒されている。
 田中角栄だって、池田勇人だって、日本の経済を立て直し、現在の日本の基礎を作って来た実力者だった。だが、その政治を今、絶賛している人がいるだろうか。彼等こそ、権力を知り、その権力を十分に発揮した実力者だったはずだ。

 政治が理念を失ったら、それは政治ではない。国語辞典を私は全面的には信頼していないが、小型国語辞典の「政治」の説明を引く。
・国を治める活動。権力を使って集団を動かしたり、権力を得たり、保ったりすることに関係ある、現象。
・住みやすい社会を作るために、政治権を持つ者が立法・司法・行政の諸機関を通じて国民生活の向上を図る施策を行ったり、治安保持のための対策をとったりすること。

 二番目の説明にその理念が説明されていると思う。「住みやすい社会を作る」である。それが具体的に「国民生活の向上を図る」であり、「治安保持」になる。

 かんぽの宿をべらぼうに安い価格で一つの企業に売り渡す事が「住みやすい社会を作る」事に貢献するのだろうか。ある人は鳩山前大臣を、現実に企業の倒産を経験した事が無いから、馬鹿な事を言うのだ、と一刀両断にしているが、そんな会計の処理と言う些末な事を言っていて良いのか。何でかんぽの宿が破綻したのかの原因追及の方がずっと重要だろう。そして国民のカネを一企業に下げ渡してしまうような結果になる事への不審の方がずっと大事だろう。
 だから国民は鳩山前大臣を応援していたに違いない。少なくとも私はそうだった。権力に媚びない、妥協しない姿勢を見たつもりだった。それが蟷螂の斧だと分かっていても、応援した。そうした清風が吹かない限り、汚れた権力から足を洗う事は出来ない。私には前大臣の「魂胆」は見えなかった。見る力が無かったのだが、でもそれで良いと思っている。
 首相は民間会社の人事に政府が首をつっこんではならぬ、と言うが、西川に鳩山に謝らせようとしたのは民事介入にはならないのか。そもそもは郵政民営化が怪しいのである。その怪しい事を既成事実として不問に付す、と言うのはどう考えても正義ではない。
 二人の闘いを「喧嘩両成敗」と言っている政治家の程度を疑ってしまう。よくもそんなに程度の低い事を公言出来るもんだと、感心してしまう。だが、それは当然なのだ。程度が低いから自らの程度の低さを感知出来ない。こうした連中に取り巻かれて、「住みやすい社会を作る」ための権力を発揮出来るのか。