夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

オペラのアリアがつまらない

2009年06月14日 | 文化
 私はクラシック音楽が大好き。題名のない音楽会でも時々趣向を凝らしてオペラのアリアを聴かせてくれるが、今一つ興が乗らない。なぜって、歌詞が分からないからだ。そんな事あったり前じゃないか、と言われるかも知れないが、歌の命はメロディー半分、歌詞半分である。
 「いい日旅立ち」だって、「あーあー、にほんのどこかにー、わたしをー待ってるー人がいるー」ダンダンダンダン、だから素敵なんじゃないか。この「ダンダンダンダン」はそこでドラムが鳴るのですよ。発売当時聴いていた演奏では、そこん所がとても私にはカッコ良く聞こえた。重低音がとても良く響く20センチのスピーカーに、これまた超高音の美しいツイーターを使った自作のスピーカーシステムだった事もあって、楽しく聴いていた。
 けれども、最近の演奏ではそのドラムがほとんど鳴っていない。だからちょっとつまらない。
 「ダンダンダンダン」で話がそれてしまったが、このように、メロディーと歌詞は密接不離な関係にある。その言葉がそのメロディーに乗っているからこそ心がときめくのである。
 作詞家が気持を込めて詞を作る。試行錯誤したりして、あくまでも言葉の響きを追求しているはずだ。だから時々、あれっ? 文法的にはおかしいぞ、と思うような詞がある。でも、作詞家がその言葉でやっと満足したんだから、それでいい。
 その作詞に今度は曲を付ける。当然に言葉を生かすべくメロディーを作る。これまた時々おかしなアクセントや切れ方をする曲を付ける事があるが、まあ、全体の流れを考えてそうなったんだろうから、これまたそれでいい。

 メロディーは誰にでも分かる。だが、言葉はそうは行かない。沖縄の歌を県外の多くの人が完全には分からない。でも、同じ日本語なのでなんとか分かっている。しかしイタリア語やドイツ語になったら、どうしようも無い。だから映像を伴う場合には下に字幕が出る。
 だが、この字幕が意味を分からせる事に夢中になっていて、言葉の順序も響きもなんのその。我々はアリアを理論的に理解しようなどと思っているのではない。感覚的に楽しみたいのである。
 外国語の歌はその国の言葉が分かる人を対象にして作られている。当たり前だ。だから発音もメロディーもきちんとその言葉を生かす工夫がされている。その言葉を知らない人間にもそのメロディーと言葉の響きは伝わる。
 だから英語で考えれば、「go」と歌えば「行け」になる。これは多くの人が英語を少しは知っているから成り立つ。同じことをイタリア語でもドイツ語でも考えれば良い。
 イタリア語は知らないがフランス語なら、「アレ」と歌ったら字幕が「行け」になれば分かる。しかしちょっと複雑な言い方になれば、欧米語と日本語の構文の違いがすぐに現れてしまう。アリアでは流れている言葉が字幕では何と最後になったりする。今、声を張り上げて歌っている言葉と字幕の言葉は徹底的にずれている。強く訴えたいと思うから高い音程になったり、声を張り上げたりするのだ。それは一体、何と言う言葉なんだ。歌手は何て歌ってるんだ。私はもどかしくてたまらなくなる。分からなくて不機嫌になる。
 全体の言葉の意味が分かったって感動なんかしない。言葉その物が直接的に訴え掛けて来るから感動するのである。

 分かり易い話をする。「サウンド・オブ・ミュージック」は、
 「ザ・ヒルズ・アー・アライブ・ウイズ・ザ・サウンド・オブ・ミュージック」
で始まる。その字幕は、
 「丘は音楽の響きで生きている」
などとなる。
 少なくとも、「ザ・ヒルズ・アー・アライブ」と歌った時に、「丘は生きている」の字幕が出て、「ウイズ・ザ・サウンド・オブ・ミュージック」で「音楽の響きで」と字幕を出す事は出来る。
 それで意味は分かる。我々はそんなに馬鹿じゃない。これだって、英語と日本語が同調しているとはとても言えないが、「丘は音楽の響きで」となるよりずっと良いはずである。しかし、誰もそんな事は考えない。

 歌詞を完全に分からせようなどと考える必要は無い。元々、歌詞なんてそんなに完全に分かるようには出来ていない。出来ていれば、多分、歌詞としては優秀ではないだろう。すべてを言い尽くさない所に詩の良さがある。あるいはくどいくらいに繰り返す事に良さがある。新沼けんじ(漢字が分からない)さんの「雪雪雪雪」なんて歌詞もそこが魅力の一つになっている。
 そうした詩の素晴らしさ、言葉の響きの素晴らしさを伝えずに、歌が心に届くはずが無い。私が言っているような事を実行しようとすれば、とても骨が折れる。多分、作詞家並みの技量が要るはずだ。だから簡単には出来ないし、やろうとも思わないのだろう。私なら是非ともやってみたいと思う。だが、趣味でやるにはちょっと骨が折れ過ぎる。