夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

今日は旧暦の5月1日。で、暦の話をしたい

2009年06月23日 | 言葉
 今日6月23日は旧の5月1日。つまり「皐月(さつき)」である。本州中央辺りでは梅雨明けより少し先までになるが。だから「さつき晴れ」が5月の晴天ではない事は一目瞭然。「さつき晴れ」とは梅雨の晴れ間を言うのが正しい。それが「年の5番目の月=五月=皐月」となってしまったから、どうにも具合が悪い。
 だから「五月晴れ」なら本当は「ごがつばれ」と読むしか無いのである。大体、月の名前を1とか2とかで呼ぶ無粋な国は日本のほかには、韓国語や中国語、それにヒンディー語やマライ語くらいしか無いようだ。
 欧米では古代ローマに始まった「ロムルス暦」が基になっているから、そこには数字の意識は5月から10月までしか無く、1月から4月はローマ神話の神の名であった。この暦では一年は10ヶ月しか無かった。これを改めたのが「ヌマ暦」で、11月と12月を加えて一年を12ヶ月とした。この二つも神の名である。
 神の名が六ヶ月、数字が六ヶ月。それでも5月=5番目、以下10月まで続く。それが11月と12月が年の頭に回された結果、7月=5番目、8月=6番目、9月=7番目、10月=8番目、11月=9番目、12月=10番目となってしまった。
 どうですか? これでも月の名前には数字の意識があると思いますか?

 だから、月の名前には数字の意識は無くなった。あるとすれば、非常に複雑な事が出来る事になる。9番目の月だと思いながら、7番目だと認識出来る訳だ。だからそんなはずが無い。
 更には、カエサルが7月に自分の名前を付け、アウグストゥスも8月に自分の名前を付けたので、残るのは9月=7から12月=10までだけになった。
 数字の意識が無い証拠には、欧米各国での数の呼び方はかなり変化しているのに、これらの月の名前はほとんど変化していない。

 何番目の月か、は、「ああもう半年過ぎたのか」などと考える場合には役に立つ。しかしそれ以外にはあまり役に立ってはいない。日本語での数字の月名にしても、今では「ごがつ」の語感に「5番目」は無いと思える。それよりも、「爽やかな季節」の語感の方が遥かに強いはずだ。
 だから、「ろくがつ」なら「梅雨の月」のイメージになる。それを「水無月」などとは呼べない。でも世間は平気で「6月の異名は水無月だ」と言う。これは「旧6月の異名は水無月」なのであって、現在の1月、2月などの呼び方と睦月、如月などの呼び方とは一線を画すべきである。
 ただ、これだと師走が困る。師走は年末に決まっている。考えてみれば、年の始めと終わりは人の営みを月名にしている。2月から11月は季節感を月名にしている。これがネックになる。元々、旧暦の異名なんだから、それでちっとも困りはしないのだが。欧米では9月が7で平気なんだから、1月が師走であっても良いと、私は思うのだが。
 この話、きっと難しいと思う。なぜなら、「欧米では9月が7で平気」が決して正しい言い方ではないからだ。「9」は出て来るチャンスが無いのだ。これは「英語やドイツ語ならセプテンバーが、フランス語ならセプタンブルが、イタリア語ならセッテンブレが7で平気」と言うのが正しい。そして英語ではそうはならないが、フランス語では「7=セット」で、その綴りはセプタンブルの「セプト」なのだ。イタリア語ではもう少し分かり易く、「7=セッテ」になる。だから数詞の意識があるのなら、「9の月=7」となると言うお話である。

セブンイレブンの汚い商売

2009年06月23日 | 社会問題
 新聞ではとっくに報道していたが、今日フジテレビでニュースにしていたので、改めて考えた。
 売れ残りの弁当を値引きして販売する事はまかりならん、とセブン本社側は言う。しかし売れ残りは廃棄処分にするしか無いし、それは全額店側の負担になる。その金額は1店舗当たり年間530万円にも達するのだと言う。一ヶ月当たり40万円もの自己負担を強いられて、よく経営が出来るもんだと感心してしまう。そうか、それ以上に利益が挙がっているのか。

 消費期限の切れそうな商品を大量に廃棄している光景は前にもテレビで見ている。世界中には飢えて死ぬ人も居ると言うのに、あるいは今この日本でも食べられない人々が居ると言うのに、惜しげもなく食べ物が廃棄されている。利益とか何とか考える前に、このもったいない事態を改善すべきだ。食べられる物を廃棄するなんて、食べ物に対する冒涜だ。
 それを救うのが値引き販売になる。当然である。だがセブン本社側が忌避するのは、同じ商業圏にある店同士の競争になってしまうからだ、との自分達だけの都合である。
 でもさあ、同じ商業圏に何店もの出店をさせているのはあんた達じゃないか。一人の客の行動範囲は大体決まっている。ほかの店が少しくらい安いからと言って、はるばると普段は行かない店にまで足を運ぶか? それにそうした情報はどうやって仕入れるのか。
 大体が安い値段の弁当で、値引きの違いだってそんなに大きくはないだろう。それに一つの商業圏に一つの店なら、そんな心配も要らないはずだ。そもそもはセブン本社側が店に競争意識を持たせているのではないのか。それなのに、値引きとなると、今度は逆に競争意識を排除しようとする。何とも勝手である。

 昔のセブンのCMは「セブンイレブン、いい気分」だった。いい気分なのはセブン本社側だけじゃないか。自分達は絶対に損をしない商売。こんないい商売があるもんか。安売りはブランドに傷が付くなどとおっしゃるが、コンビニのブランドなんてどれほどのものなんだ? それこそ「開いてて良かった」の世界じゃないか。

 私はけちだから、コンビニで物など買わない。それに切羽詰まった買い物などしないから、24時間開いていなくて結構。私がいつも使うのは目の前のファミリーマートで、それも宅急便と口座引き落としが出来なかった料金の支払いだけだ。とても旨い国産の赤ワインが安い値段で置いてあって、ああ、商売熱心でしかも商売上手だなあ、と感心するが、もっとずっと安い店があるので、そこで買う。
 コンビニを私が嫌いなのは、どうも寡占情況にあるようだからだ。特にセブンイレブンはイトーヨーカ堂を傘下に収めている。小さなコンビニの方が大きいスーパーの親分なのだ。理屈では言えないのだが、何かそこに不自然なものを感じてしまう。

 好きでよく行くあるスーパーは、ある醤油メーカーの製品を置いていない。取引が無いと言う。そのメーカーは業界のリーダーとも言える存在だから、多分、安売りなどには敵意を持っているのだろう、と私は勝手に判断している。そのメーカーは、これは単なる噂話に過ぎないが、社長は自社の醤油を絶対に使わない、と聞いた時から使うのをやめているから、少しも困りはしない。ほかに旨い醤油は幾らでもある。それにしても誰が考えたのか、残酷だが何かなるほどと思わせてしまうような話ではある。

 大企業の考えを私は本当に疑ってしまう。こうした問題が表面化した場合、世間は絶対にその企業に好意を持たない。それなのに、いけしゃあしゃあと自分達だけが有利な理屈を述べている。それが通ると思っている。
 つまり、庶民を相手に商売をしているにも拘らず、庶民など見てはいない。見ているのは傘下の店から挙がって来る利益だけなのだ。こうした商法が成り立って、しかも年々利益が増えているらしい事に絶望的になる。あまりにも我々庶民の物を見る力が無い事に。悔しさを簡単に忘れてしまう事に。目先の事だけに追われている事に。