今日6月23日は旧の5月1日。つまり「皐月(さつき)」である。本州中央辺りでは梅雨明けより少し先までになるが。だから「さつき晴れ」が5月の晴天ではない事は一目瞭然。「さつき晴れ」とは梅雨の晴れ間を言うのが正しい。それが「年の5番目の月=五月=皐月」となってしまったから、どうにも具合が悪い。
だから「五月晴れ」なら本当は「ごがつばれ」と読むしか無いのである。大体、月の名前を1とか2とかで呼ぶ無粋な国は日本のほかには、韓国語や中国語、それにヒンディー語やマライ語くらいしか無いようだ。
欧米では古代ローマに始まった「ロムルス暦」が基になっているから、そこには数字の意識は5月から10月までしか無く、1月から4月はローマ神話の神の名であった。この暦では一年は10ヶ月しか無かった。これを改めたのが「ヌマ暦」で、11月と12月を加えて一年を12ヶ月とした。この二つも神の名である。
神の名が六ヶ月、数字が六ヶ月。それでも5月=5番目、以下10月まで続く。それが11月と12月が年の頭に回された結果、7月=5番目、8月=6番目、9月=7番目、10月=8番目、11月=9番目、12月=10番目となってしまった。
どうですか? これでも月の名前には数字の意識があると思いますか?
だから、月の名前には数字の意識は無くなった。あるとすれば、非常に複雑な事が出来る事になる。9番目の月だと思いながら、7番目だと認識出来る訳だ。だからそんなはずが無い。
更には、カエサルが7月に自分の名前を付け、アウグストゥスも8月に自分の名前を付けたので、残るのは9月=7から12月=10までだけになった。
数字の意識が無い証拠には、欧米各国での数の呼び方はかなり変化しているのに、これらの月の名前はほとんど変化していない。
何番目の月か、は、「ああもう半年過ぎたのか」などと考える場合には役に立つ。しかしそれ以外にはあまり役に立ってはいない。日本語での数字の月名にしても、今では「ごがつ」の語感に「5番目」は無いと思える。それよりも、「爽やかな季節」の語感の方が遥かに強いはずだ。
だから、「ろくがつ」なら「梅雨の月」のイメージになる。それを「水無月」などとは呼べない。でも世間は平気で「6月の異名は水無月だ」と言う。これは「旧6月の異名は水無月」なのであって、現在の1月、2月などの呼び方と睦月、如月などの呼び方とは一線を画すべきである。
ただ、これだと師走が困る。師走は年末に決まっている。考えてみれば、年の始めと終わりは人の営みを月名にしている。2月から11月は季節感を月名にしている。これがネックになる。元々、旧暦の異名なんだから、それでちっとも困りはしないのだが。欧米では9月が7で平気なんだから、1月が師走であっても良いと、私は思うのだが。
この話、きっと難しいと思う。なぜなら、「欧米では9月が7で平気」が決して正しい言い方ではないからだ。「9」は出て来るチャンスが無いのだ。これは「英語やドイツ語ならセプテンバーが、フランス語ならセプタンブルが、イタリア語ならセッテンブレが7で平気」と言うのが正しい。そして英語ではそうはならないが、フランス語では「7=セット」で、その綴りはセプタンブルの「セプト」なのだ。イタリア語ではもう少し分かり易く、「7=セッテ」になる。だから数詞の意識があるのなら、「9の月=7」となると言うお話である。
だから「五月晴れ」なら本当は「ごがつばれ」と読むしか無いのである。大体、月の名前を1とか2とかで呼ぶ無粋な国は日本のほかには、韓国語や中国語、それにヒンディー語やマライ語くらいしか無いようだ。
欧米では古代ローマに始まった「ロムルス暦」が基になっているから、そこには数字の意識は5月から10月までしか無く、1月から4月はローマ神話の神の名であった。この暦では一年は10ヶ月しか無かった。これを改めたのが「ヌマ暦」で、11月と12月を加えて一年を12ヶ月とした。この二つも神の名である。
神の名が六ヶ月、数字が六ヶ月。それでも5月=5番目、以下10月まで続く。それが11月と12月が年の頭に回された結果、7月=5番目、8月=6番目、9月=7番目、10月=8番目、11月=9番目、12月=10番目となってしまった。
どうですか? これでも月の名前には数字の意識があると思いますか?
だから、月の名前には数字の意識は無くなった。あるとすれば、非常に複雑な事が出来る事になる。9番目の月だと思いながら、7番目だと認識出来る訳だ。だからそんなはずが無い。
更には、カエサルが7月に自分の名前を付け、アウグストゥスも8月に自分の名前を付けたので、残るのは9月=7から12月=10までだけになった。
数字の意識が無い証拠には、欧米各国での数の呼び方はかなり変化しているのに、これらの月の名前はほとんど変化していない。
何番目の月か、は、「ああもう半年過ぎたのか」などと考える場合には役に立つ。しかしそれ以外にはあまり役に立ってはいない。日本語での数字の月名にしても、今では「ごがつ」の語感に「5番目」は無いと思える。それよりも、「爽やかな季節」の語感の方が遥かに強いはずだ。
だから、「ろくがつ」なら「梅雨の月」のイメージになる。それを「水無月」などとは呼べない。でも世間は平気で「6月の異名は水無月だ」と言う。これは「旧6月の異名は水無月」なのであって、現在の1月、2月などの呼び方と睦月、如月などの呼び方とは一線を画すべきである。
ただ、これだと師走が困る。師走は年末に決まっている。考えてみれば、年の始めと終わりは人の営みを月名にしている。2月から11月は季節感を月名にしている。これがネックになる。元々、旧暦の異名なんだから、それでちっとも困りはしないのだが。欧米では9月が7で平気なんだから、1月が師走であっても良いと、私は思うのだが。
この話、きっと難しいと思う。なぜなら、「欧米では9月が7で平気」が決して正しい言い方ではないからだ。「9」は出て来るチャンスが無いのだ。これは「英語やドイツ語ならセプテンバーが、フランス語ならセプタンブルが、イタリア語ならセッテンブレが7で平気」と言うのが正しい。そして英語ではそうはならないが、フランス語では「7=セット」で、その綴りはセプタンブルの「セプト」なのだ。イタリア語ではもう少し分かり易く、「7=セッテ」になる。だから数詞の意識があるのなら、「9の月=7」となると言うお話である。