おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

ある日のメール

2011-09-24 12:07:12 | Weblog
> 忙しい毎日のようですね。

忙しくして 目の前の何かから逃げようとしているのかもしれませんね・・。

> 院に向いていないのじゃなくて、自分は研究者のスタンスじゃなくて、
> 現場の教員のスタンスに立っているという気持ちがあるからじゃないでしょうか?
> 上から目線になれないというのは、某大学で育った?後遺症かもしれませんねw

上から人を見れば ずいぶんちがう風景が見えるだろうとは思いますが
その景色は僕が見たい景色ではありません。
見たくないものを見続けるほどの強さは僕にはないし、ほしいとも思わないです。

> 以前話したことのある、某大学に行っていた親戚の子が、
>スチューデントアパシーで、4月から大学を休学しています。
> もともと、明るい、おしゃべりな子ではないのですが、
> 対人恐怖症のようになっているようです。
> いつもは普通におしゃべりをするのですけれどね。
> といってもこちらの話に相槌を打つくらいで、
>自分からはほとんど話しませんが・・・

今 大学は心が育っていなくても、
一定の学力があれは、というか優秀な成績であれば
間違いなく入学できる状態ですよね。

「ひどいこと」と感じるか「思いやっての厳しい指摘」ととらえるかは
その言葉を言った人と親戚の子との「心の距離感」によるものじゃないでしょうかね。

心に距離があれば「どんな言葉」も「悪意」としか受け止められないだろうし
心の距離がちかければ「どんな言葉」も「善意」としてうけとめてしまう。
心の距離はコミュニケーション能力とかいう言葉で最近は研究が始まっていますが
要するに若者が人との関わり方がへたくそになっているという事実と
耐える力、自分のキャパシティを越える衝撃を受け止める力が「若者と年寄り」の
間ではずいぶんと基準が違っている、同じ物差しでは測れない状況になっているという
事実を受け入れなければならない時代になっているってことですかね。

そんな若者は、気づかないだけで
僕の周りにもいるのかもしれませんね・・。

「○○をやり忘れただけなのに、なぜそこまでいわれるのか僕には
理由がわかりません。しかった人の人間性を疑います。」

我が子なら、「仕事することをなんと思っているんだ
やめてしまえ」と、僕も言っているかもしれません。

言葉ではなくその向こうの思いが伝わらない時代がきているように
思えてならないのです。


> 友だちの息子さんがバイトだったのが、
試験を受けて正規の職員になって仕事が変わったら、うつが再発しました。

まじめであるほどうつになる傾向が強いようですね。
鬱にならないためには
ちょっと人生をはすに見ながら
人生を楽しめる方がいいのかもしれません。

ただそれを誰が認めてくれているか、見守ってくれているかが大事なように思います。
その息子さんより、その息子さんに期待した友人の方にも責任があるように思います。

責任という言葉は過酷ですが、期待に応えようとする気持ちで一生懸命答えようとして
再発しまったわが子の気持ちがわからなかったのですから、
僕は責任という言葉を使います。

うつという症状を考えるとき
むしろ課題なのは
ある意味子離れできていない大人なんじゃないでしょうか。
これであなたの友人の息子さんが親の期待という束縛から
逃れられれば、本当の意味での親離れができると思うのですが・・。
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LD学会の自主シンポに参加してきました

2011-09-19 19:36:06 | Weblog
 現場の人間(教師)はざっくりと「発達障害」や「発達に偏りのある子ども」と
いうとらえ方をする場合が多いのですが、研究者と呼ばれる人たちは、きっちりと
カテゴリー(LDやADHD等々)にわけ、尚かつ、「LDの中の読み書き障害」や「LDの中
の読み書きに偏りのある子ども」という「障害に関する定義」をした上で論を進め
ています。

 その定義は研究者のそれぞれ立場による場合が多いのですが一定、文字表記に
よってスタンスがわかります。「障碍」「障害」「障がい」など論者のスタンスに
違いがあるようです。「発達障害」という表記の場合と最近は使われなくなりつつ
ありますが「軽度発達障害」という表記も同様だと考えられます。

 「障害児者教育」や「障害児者理解教育」の延長として「特別支援教育」という
概念をとらえるのか「特別支援教育」というあたらしい概念としてとらえるのか
ということについては、難しい問題のように思います。
 「Special Needs Education」なのか「Special Support Education」なのか
英訳する段階でもまだはっきりしていないように思うのですが・・。

 学校現場では「子どもたちを育ててゆく」到着点をどのように設定しているのかが
大切だと思います。○○傾向の子ども達に●●のような手だてをして▲▲とするための
指導プランはこれだというパターンでの論の進め方なのかとは思いますが「○○傾向の
子ども」は先に示したように狭い範囲の方がいいし「▲▲とするため」が研究者のスタ
ンスの場合と現場の担任として論を進める場合とでは少し違ってくると思います。
このあたりは研究者としての立場で論を進めていく必要があるように思います。

僕の場合は、現場の教師の立場から、それを実現するために仕掛けを行い、
教育工学的な論証をしながら、学校現場の課題解決を目指したいというスタンスで
研究らしきことをやってきました。
あなたの場合に目指すべき方向が
①『通常学級における①「指導上に困難を有する児童」に対する手だて』なのか
②『特別支援を必要とする児童に対する通常学級での手だて』なのかを、
もう少し考えておく方がいいかもしれません。
現場の担任は①の立場 特別支援教育を担当する教員や研究者は②の立場をとっているようにおもいます。
実践と理論の融合を目指すべきあなた達の立場はどちらなんでしょうね。

 ざっくりと僕の考えをまとめるなら通常学級において①「指導上に困難を有する児童」に対する手だて』は人的配備でフォローできる部分はあるが②『特別支援を必要とする児童に対する通常学級での手だて』は担任自身に「専門的知識と手だてのスキル」が必要なので、その部分を補完できるものとして、ICTの活用やwebにおける情報の獲得に求めているという感じになります。

 今日新しい特別支援教育で活用できそうなコンテンツができましたので活用方法を考えてみましょう。
 特別支援デザイン研究会で開発しています「絵カード」ができました。
小学校1年生から6年生までの漢字・単語の電子ビジュアル辞書と、漢字(小学1年~6年)の絵カードです。当然 無料です(笑)

http://www4.e-kokoro.ne.jp/vd/index.html
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M1ゼミ 断片

2011-09-14 00:37:05 | Weblog
1 「教師としての視点」という物事のとらえ方について

・プロ意識って何??? 
・一定のスキルを持っている者としての扱いをされるということをおそれるな。 
・同僚性は人間性
・自分のキャパシティで物事を判断することの危険性について
 子どもの視野と大人の視野のちがいは何??? 

「いつかなんとかなる」から「何とかする」という姿勢への
変化をしなければならないときは 「今」だということなのかもしれませんね

視野は年を重ねれば広がるのだろうかという仮説について
では どうすれば視野を広げられるのかという課題について

教師に必要な3つのコミュニケーション能力
 ①子どもたちとのコミュニケーション (男子 女子・学年や発達にあわせて)
 ②他の教師とのコミュニケーション (同僚 管理職)
③保護者とのコミュニケーション (父親 母親)

2 少し身近な課題から考えてみましょう。

「発問と間」という授業のとらえ方について
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林間学習シミュレーション2011 part4

2011-09-04 20:01:59 | Weblog
「教師としての視点」という物事のとらえ方を
これからの二年間で学んでほしいと思っています。
「学生としての視点」だけでは
これからの2年間もったいないですよ。

「やれること」をすぐに目指すのではなく
「考えること」からはじめるといいですよ。

それが子ども達の気持ちなんだと思います。
どうすればそんな子ども達に
「思い出」や「感動」を作ることができるかを
考えるのが教師の仕事なのです。

学年で役割を分担するということは
その人に全面的に丸投げするということではなく
学年全員が機能的に協働できるように考えて
指示してくれることを任せるということなのです。

自分一人でやらなければと思うと
負担に感じるし
一人でできると思ってしまうと
失敗したときにその原因を認められなくなって
泥沼に入り込む場合もあります。

今回のシミュレーションでは
チームで一つのことをやるときの経験値が
一人一人それぞれ違うのですから
そのあたりがわかってもらえるといいなって
思っていました。
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林間学習シミュレーション2011 part3

2011-09-01 20:42:17 | Weblog
教師っていう仕事は「しんどい」ものなのです。
っていうことが少しでもわかってくれたらいいな。

教師だけではなく仕事というものはそんなものだと思っています。

夢も希望も大事だけど、
現実にどう立ち向かいどう対処していくのかっていうことは
困難が伴うものだと思います。

でも、「しんどい」から・・。
の後が大事なんだと思います。
手を抜くや楽をするという言葉を続けるのなら
教師の仕事の醍醐味を感じることができなくなるように思います。
楽しむっていう言葉を僕は続けたいと思いますが
あなたたちはどんなことばを続けるかな?

相手を理解しようとするときに大事なことは
自分を理解してもらえるように努力することも
必要だということです。人をすぐに理解すると
いうことは難しいことだと思いますが

相手が自分をわかってほしい人として認めてくれたとき
自然に相手は自分のことを語り始めます。

彼はあなた達をそんな仲間として認めたんでしょうね。きっと。
いろいろなことみんなで考えていけるといいね。
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林間学習シミュレーション2011 part2

2011-09-01 19:41:51 | Weblog
林間学習のプログラムを組むときに
ハードなスケジュールが必要か否かは
「児童の実態」から考えていくことで
一定の解決ができると思います。

賛否両論は他教師の視点での評価であり、
大切なのは「児童の変容」という視点です。

経験が人を育てるという言葉がありますが、
その経験をどうとらえ、どのように生かすかによって
育ち方も変わっていくように思います。これからが大切ですね。

ある意味好対照な二人のリーダでしたね。
自分自身に対しても他人に対しても
行動に対しても
僕はどちらが良いとか悪いとか思いません
きっと二人を足して2で割ったら
ちょうどいいぐらいかなとは思いますが。
大事なことは違う人間のよいところをどちらが
受け入れ認める強さを持っているかだと思います。
まだ、そんなすてきな化学反応は
起こっていないようですから・・。

子どもにとっても教師にとってもしんどいことを一緒にやるっていうことは
「お互いを知る一番いい方法」なんです。しんどいときこそ
その人の人間性が垣間見えますから・・。
大事なのは垣間見た人間性を自分がどうとらえるかですね。
一番簡単な方法は好き嫌いで判断することです。
けども ちょっと ほかの方法もあるんじゃないかなって
考えさすことも教師には必要だと僕は思っています。
だからあなた達にもそれぞれそれを見つけてもらえたらいいなって
考えています。
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