おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

気になる二つの新聞記事

2010-12-18 18:48:45 | Weblog
教員免許更新制度の「その後の流れ」はやはり、
「+2」(修士資格の習得)になるような雲行きになっているようだ。

現場で様々な意見が噴出していた教員免許更新制度は廃止なのだろうか。
現行の大学卒の教員への資質に対する風当たりは厳しいという認識から
制度改革が進められているようだが・・。何か、しっくりとこないものがある。

これから教員を目指す若者たちにとっての指標として「年配の先生たち」が
示すべき姿を示せずにいる時代が、やってきているような気がする。

これから大量退職する「年配の先生たち」が残り数年の時間に
教育の現場に何かを残そうとするポジティブなモチベーションを持ち続けることが
できるのだろうか?

基礎免許云々の新聞記事が出てから「現職の大学卒の先生はどうなるの」等
の質問を同世代の「年配の先生」からよく聞くようになった。

若い院生と将来の教育を考える毎日の中で、
ふっと自分が「年配の先生たち」の一人であることを思い出した。

「将来を見越していろいろ検討しているのだから、
きっと現職のことも配慮されるでしょう」と希望的憶測をのべてしまった。

大阪府では府から権限委譲をされた市町村が2012年から独自に教員を採用する
と今日の新聞にでていた。その市町村それぞれに独自に採用する方向は
同意できるが、その市町村が望む教師像と「+2」の関係が少し気になる。

こうした記事を目にするにつれ、ここ数年の間に大きな変化が
教育現場に起こることが、ようやく自分の問題として実感できるようになってきた。
今こそ、なぜ教師になり、教師たり続けたかを問われている・・。
そんな気がしてならない。
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先日のこと、

2010-12-17 21:37:16 | Weblog
先日のこと、
中学生の対応に困ってるという塾を経営する友人の話を聞きました。
彼の塾のヤンチャな男の子への対応が難しいそうです。
教室の運営だけを考えれば、やめさせてしまえば簡単なんだけど、
彼の中にほんの少し教育者のDNAも入っているので、それができません。
かといって、影響される子がでたり、やめる子が増えるようだとそのまま
にもしておけないしっていう話でした。

早く自分からやめてくれないかな・・なんて考えている自分も嫌で・・
でもストレスがたまる、という話でした。

塾と学校の違いは何でしょうね?

そこらあたりになにか答えがあるような気もしますが・・。

学校の教師の対応なら
自分のやったことがどんな結果を生んだのかまで
中学生になら、そのまま伝えることが多いと思います。

そこから、何を考え、どう反省するかを見極めた上で
親と話すのか自分から親に話させるのかを決めます。

自分ではなさい場合は親を呼んで事実を伝えます。

そこで初めてその子の親と一緒に今後どうしたらいいか考えま
す。処分と言うこともあるし、説諭でとどめることもあります
が何もしないということはありません。

黙っていると学校は逃げ場所になってしまいます。

彼がビジネスライクに切るにしろ、受け入れたままにするにしろ
その子に自分がしたことがどんなことかを本人に伝えることが
大事なように思います。

「今、やったらあかんな」しまったっと思える気持ちを持っているなら
「これから、どうしたらいいか」を考える力はあるように思います。

きちんとけじめをつけておかないと、彼の塾がその子にとっての
逃げ場所にしかならないと思います。

と私の中にあったほんの少し教育者のDNAが入っていて
彼にそう伝えるように働きました。

彼は、教室でしてはいけないことを伝えようと思い、
前日は眠れぬ夜をすごしたそうです。

その子がきたとき、彼は きっと難しい顔をしいたのだと思います。

一言も喋らないうちに、「今日は 先生 なんか機嫌悪いな?」
「ここはみんなが勉強をしにくるところだから 勉強の邪魔にな
るようなことはしてはいけない・・・」と言うようなことを幾つかはなすと、
「急に厳しくなったんやな、なにか言われたん?」

その子は、人の表情をよく観察していて、心の奥を読まれたようだったそうです。
彼の緊張が解けて、その子へり「愛おしい」と言う感情が沸き起ったそうです。

彼は、その子を切れなかったそうです。かといって、何をさせてもよい訳ではないので、
いうべきことは言って、うまく付き合っていけるといいなと思っているそうです。

どんな子供にも真正面から向き合う時はエネルギーが要ります。

今まで築いて来たその子供との人間関係が本物かどうか試される時ですから。

緊張をして眠れぬ夜をすごした彼の話を聞きながら、学校での毎日を思いだしています。

「愛おしい」と言う感情…それが悲しい教師の性なんですが、僕も捨て切れません。
だから叱ることを控えて罰を与えるようにしてきました。どんなな罰かは自分で考えさせました。

そんなふうに悩む彼が友人であったことが、うれしくて飲み明かしました。

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プチ同窓会

2010-12-16 17:47:30 | Weblog
母校で久方ぶりのプチ同窓会をやっていたのですが、
そこでかしましいおば様たち
(大先輩という言葉を使うと顔をゆがめる方たちです。)から
「あなたが若い子たちに語れるのは
大学生活をいかに要領よくさぼり楽しむかだけのはずだ」という
ご指摘をいただきました。

「迷惑ばかり母校にかけてきたのだからせめて、セミナーなんか
それぐらいの罪滅ぼしは当然だろう」等々
昔の仲間は「恩返し」という言葉さえ、僕に使わせてはくれませんが、
母校で僕が後輩たちに話をすることをみんな、喜んでくれていました。

さて、後輩たちとの出会いは、みんなしっかりしていて、自分を振り返ると
恥ずかしさがこみ上げてきました。僕の若い頃は休日の朝から学ぶことを
目的に大学に通った覚えが、ありません。
仲間と遊ぶことに精いっぱいの毎日を過ごしていたように思います。

彼らとの出会いで考えたことは二つに集約されると思います。

ボランティアとしての教師との関わり方(教師となったときの
同僚や先輩との関わり方)と自分が理解できない子供と関わるための自己変革の方途。

二つともそれぞれ、重い課題だと思います。

彼らが求める答えは
たぶんソーシャルスキルトレーニングの解説に書いてあるような文章や
人間関係作りのハウツー本に書いてあるようなことなのだとは思うのですが、
僕がいえたのは「あなたが友達や大切にしている人とのと関わり中に
その答えがあるのではないですか?もう一度見直してください」
「そうすれば、あなたたちの人間性を磨く大きなヒントがそこにあるのではないですか?」
ってことだけのように思います。

今の若者たちは「孤立している」ということにすら
気づいていないのでしょうか?

それとも気づいていても「どうしようもない」とあきらめることしかできないのかな?
と、ふっと思ったのですが、「今の若者・・」で続くフレーズを
語ろうとする自分の老いに気づきました。

人との関わりのスキルや配慮のスキルは
「いろいろな人と関わろうとする中でしか、鍛えられない」と思うのです・・。

そうしようと思う意欲がでるかどうかはそれぞれの問題だと思ってしまいます。

人との関わりに「気を遣い」「気にしている」ということに、なにか違和感を感じました。

数年前に企業からの離職が問題になったとき離職理由の上位に「上司や同僚との人間関係」
というのがあったことを奇異な目で見ていたのですが教育の現場でも大きな問題として
とらえなければならない時代になってきたように思います。

もう一つポジティブに生きるにはどうしたらいいかという哲学的な問いかけに
どう答えてればいいのか・・。

今までの自分自身の生き方を否定するつもりはないのですが、
それだけではない生き方をしている子供たちもいるよ
っていうことを知っているよって伝えたかったのですが、
今までの自分を否定しなければならないという風にとらえてしまうと困るし・・。

アウフハーベンという言葉が頭に浮かぶのですがうまく説明できません。
「あなた達の生き方はone of themなのですよっていうことに気づくことが
必要だと思っています」ですか。

まじめに一生懸命に先生になろうとしていると
杓子定規に「人間性」という言葉を受け止めてしまう場合があるようです。

人生を楽しめばおのずから人間性は深まる、
なんて気軽に考えることは難しいのかもしれませんね。

悲しみも苦しみも楽しめるほどの境地にはまだまだなれませんが、
まず現実を受け入れて前向きに生きていこうとするなら、
けっこう人生って楽しめるものじゃないかなって、
最近思うようになったのですが、どうでしょう。

結局 どんな生き方をしてきてても子供が好きで、
子供といることが楽しい人はきっと
いい先生になれるって思っています。
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ゼミノート9

2010-12-01 09:36:12 | Weblog
今回のゼミは「学級通信」に取り組んでもらいました。

30分で完成という設定は、厳しかったと思いますが、
「もし、毎日学級通信を出すとしたら・・。」という設定なら、
この程度の時間で作らなければならない場面が、必ずあります。

 日常的な保護者への連絡方法として学校では
①学校だより②学年だより③WEBを活用した連絡等が行われています。
(各分掌からの通信もあります。)

 ①学校だよりに関しては月1回程度学校行事や学校からの連絡を中心に
教頭先生や教務主任の先生が作成したものを発行している場合が多いです。
携帯でアクセスできるホームページで学校行事を紹介したりデジタル化して
PDFなどでホームページに公開するという手法も近年行われはじめています。

 ②学年通信は学年各担任の持ち回りで、学年に関する教科学習の進路や
学年行事を月1回程度、発行している場合が多いようです。基本的に
レイアウトや文章に関しては持ち回りの先生に一任されることが多く、
発行前に教務主任又は教頭への提出を義務づけている学校がほとんどです。

 ③学級通信の発行は各学級担任に任されている場合が多く、
発行数にもばらつきが目立ちます。低学年の場合(特に1年生)では、
学習進路をそろえる場合が多く、同一内容のものを、学級通信として発行し、
学年通信を出さない場合もあるようです。

WEB公開されている学級のホームページで学級通信を行っている場合もありますが、
行政のセキュリティポリシーとの関係上、学校長等の公開許可や個人情報(肖像権)等
の取り扱いに手続きが必要でまだまだ一部でしか行われていないようです。
学級通信は手書き、パソコン打ちの違いがあるものの
テキストでの発行が主体となっています。

学級通信の発行において考えておかなくてはならない点

1誰に向かって発信しているのか          
 「ユーザは誰」
2何を発信しているのか
 「コンセプトを明確に」
3何を目指しているのか 
 「どんなビジョンを提示するの」
4読み手の要望を満足させることができているのか
 「日常的にリサーチしてますか」
5個人情報の取り扱いに配慮しているのか
 「個人情報保護の視点」
6即時性を求めるか?普遍性を求めるか?
 「話題性も必要なときがあります」
7学校のチェク機能を活用しているか
 「チェックは忘れずに」

ちなみに僕は
しんどいけれど、学級通信は「ださない」より「だした」方がよいと思っています。
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