おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

もう一度、一緒にラーメン食べたかったです。

2023-09-21 22:29:38 | Weblog


京都のラーメンは、僕のソウルフードです。

中でもここのラーメンは一押しです。

牛スジ肉の入った「こってり」のラーメンは総本店しかないらしく初めて食べました。

今は亡き人のことを、その人大好きだったラーメンを頬張りながら、仲間で偲びました。

聞きたかったこと、まだまだたくさんありました。

ちょっとした杞憂|jiji

久し振りに院の先生に出会いました。 出会いって不思議なもので、先生と出会わなかったら 院などという言葉は病院の院だったのですが。 新機械学習の時代が到来する、 い...

note(ノート)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅立つ日

2023-09-20 10:12:26 | Weblog


京都の街は独特の雰囲気があります。


「よそもん」が街で陣取り合戦をするのが当たり前という不思議な環境のなかで「町衆」が生まれ、権力者と「町衆」が「よそもん」をもてなす文化を生み出したと学生の頃、考えていました。

思いやりや気配りは「おこしやす」に凝縮される「おもてなし」の精神なのです、そこにあるのは「相手(よそもん)の心を読む」ことで「相手(よそもん)を理解し受けいる」こととは別の次元のこととして捉えているように感じていました。



京都は街全体が現世と冥界に分けるテーマバークであり、文学や芸術に反映された独自の死生観がそこかしこに見られる不思議な魔界がいくつも残っています。

小学校の教師になった時、「おもてなしのスキル」を学校教育のなかに求めたことが修身や道徳という「日本型倫理」と「日本の心」という日本人としてのアイデンティティーとの乖離を生み出したのではと考えてきました。

人は生きがいや使命感を持つ時に自由意志が生まれてくるのだという仮説です。

物事を二元的に対立構造で判断することは意外と簡単なことのように思います。

しかし現実社会のなかで、自立した個人として、自分の行動の中に自分のなかで止揚した判断を示すことはとても難しい時代になっていると思います。

年老いて、現実社会の中で行動することを放棄し、ただ余生という限られた時間を消費することに右往左往するより、旅立つ寸前まで、何かをなすことを模索すことか幸せな人生なのだと思います。



ふっと、ボランティアについてお教えいただいたときの議論を思い出しています。

敬愛する内海成治先生のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表します。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教員採用試験合否発表の時期ですね。

2023-09-11 20:00:46 | Weblog

今年も教員採用試験の合否発表の時期ですね。

 小学校の倍率は相変わらず低いようですが、働き方改革と負担軽減の両立は難しいようで先生不足は深刻な事態になっているようです。

「2ケツ」という言葉は2人乗りという意味だと思っていたのですが、「2学級の担任が不足している」状態をいう隠語になっているという笑えない事態が起こっているようです。
 
 なぜこんな事態になったのか、もう一度皆で考えてみることが必要な時期が来ているように思います。 

 こんな状況だから来年の採用試験の日程がはやくなるようです。

 でも、教員採用試験の情報って忙しい学生には意外と伝わらないようですね。

小学校教員時代に書きためていた資料を整理しょうと

教員採用試験ですか。|jiji

母校で図書館の利用申請に行きました。 卒業から何十年経っても利用できるのはありがたい。久しぶりの講座も無事終了。  来年から教員採用試験のシステムが大きく変更され...

note(ノート)

練習中です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪城の散歩

2023-09-09 16:07:10 | Weblog

大阪府庁に出かけたついでに大阪城を散歩。


天気も悪く小雨が降ったりやんだり、でも、海外の人たちには人気なので大勢の海外からの人が訪れていた。


大阪城の魅力は何も天守閣だけではない。何気に見ることができる「巨石」が面白い。


大きな機械もない時代に遠く離れた場所から石を切り出し城塞に使うことはエジプトのビラミッドの構築にも通じるものがある



今回、「残念石」を見ることができた。本当なら、長い旅路のあと城壁のどこかに利用されるはずだったものが何かしらの原因で使われずに捨て置かれた石は「残念石」と呼ばれる。


五七の桐の家紋が刻まれていたが、ガイドさんいわく、細川氏が運んできたものらしい。細かく設置番号まで振り当て、築城作業をしていたことが分かる。しかし何かが足りなかったのか陽の目を見ることもなく放置されていたのだろう。



突然の変更で、陽の目を見ることもなかったので「残念石」、突然ふりだした雨がなにやら考えさせてくれた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする