おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

最後の土日

2011-03-29 01:27:58 | Weblog
3月最後の土日に研究室の片付けをしていたら
修了したはずの旧M2(なんといえばいいのりだろう 笑)の姿を
見かけました。黙々と学習室の机や書架を整理し
整頓していきます。4月から教師としてスタートするあなたたちに
そうした姿勢が身についていることがとても、うれしくて、
ただ じっと見つめていました。

後から研究室の僕を見つけて
コーヒーを飲みながら歓談していたときの
あなたたちの笑顔がなぜか懐かしく感じました。

放課後の教室を見回りに行くと
赤い西日の差す教室で
黙々と教室の片付けをする先生たちの姿を
毎日見ていました。

「ご苦労さん」と声をかけるとはにかんだような笑顔を
返してくれる先生たちがいました。
きっと彼等もそんな笑顔を
見せてくれるんだと思うとわくわくします。

大学院生活を終え、それぞれが次のステップを目指すときが来ましたね。
この一年間の短いつきあいでしたが、みんなからたくさんのことを学びました。

自分が初めて教職を目指したときの思いや、なぜ教員になりたいと思ったのかを、
もう一度考えることができました。
ただ 子どもが好きだった・・。それだけのように思います。
けどその気持ちを持ち続けることは結構難しいですよ。

 あと少しで自分が教職を終えるときに、自分が教師として何を残せばいいのかを
もう一度考えることができました。
ただ 自分の思いを伝えたい・・・。それだけのように思います。

口べただから(笑)饒舌になりすぎて、ひとりで話してたことを反省してます。
これからはあなたたちが僕に話してください。議論しましょう。いつでも待ってます。

 あなたたちは、ひとりひとりが個性的で、とてもすてきでした。
悩みながら、傷つきながら前に進もうとしていた姿を見せてくれる人もいたし、
悠々と自分の道を見すえていた人もいましたね。それぞれが輝いて僕はその若さに嫉妬しそうでした。

 みんなにとって、この2年間は、より豊かな教師としての資質を身につけるには
どうしたらいいのかを学んだ時間だったろうし、高い人生のハードルを乗り越えなければならなかった人は、
そのハードルをしっかり見すえ対峙する毎日を過ごしたことだと思います。

 この2年間があなたたちの人生を決めるターニングポイントだったことは間違いのない事実だし、
逃げることのできない現実だったとおもいます。

気負いすぎず、臆病にならないで、
楽しい仲間を信じてこれからの人生を過ごしてくれたらいいなって、思っています。

 それぞれの持っているものや環境、そして資質や性格も、
みんな違っていて当たり前だと僕は思います。
でも「違っているからこそ良い仲間になれる」と思っています。
同じものを与えられることを期待してはいけません、
僕は自分の人生は自分で勝ち取るものだと思っています。

若い頃は小学生の子どもたちに「努力すれは必ずかなう、
自分が好きになれば必ず相手も好きになってくれる」と熱っぽく語る
「イタイ」教師でした。(「イタイ」の意味もあなたたちに教えてもらいましたね・・。)

周りからなんと言われても、きっと今でもそう思ってますし、
だからあなたたちにも、そうあってほしいと願っています。
(若い頃は・・のフレーズを臆面もなく使える年になってしまいました)

 最後に、
「少年は未来からの使者である」という
すてきな言葉を教えてくれた先輩がいました。
あなたたちはその未来からの使者である子どもたちを育てるのですから、
まさに「未来を作るクリエータ」だと思っています。

 それぞれの場所で、がんばってください。

良い思い出を ありがとう






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卒業式の日に

2011-03-27 21:58:42 | Weblog
卒業式の日、旅立つ若者たちを見送る先生の姿に
とても暖かい空気と時間が流れていて、
声をかけることができませんでした。

僕にとっては初めての修了生を
送る日でしたが
先生は幾度も、こうした日を過ごされてきたのですね。

先生が大学を去る日に
どんな言葉を贈ればいいのか
思い浮かびませんでした

なぜか夕日を背にして
長い一本道を 歯を食いしばって
前に進んでいく
そんな勝手なイメージが頭に浮かんで

道を拓くということは
言葉としてはよく使いますが
本当にそれを成し遂げるためには
不断の努力と言葉に尽くせない
戦いがあったのではないでしょうか・・。

戦い続け、勝ち続けられた先生の
道を、ほんの少しの時間ですが
一緒に歩くことができ
感謝しています。

人を育てると言うことは難しいことですね
自分が育たなくてはならないのですから・・。

自分が成長し続けることの大切さに
ほんの少し気づくことができるようになりました
ありがとうございます
そして ご苦労様でした。

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今 考えることが大切だと思います。

2011-03-26 21:32:52 | Weblog
今 震災について考えることは大切だと思います。

修了したM2のみんなも
「この時期に修了パーティを開くべきかどうか」で
真剣な論議を進めたそうです。

関東の大学ではたくさんの大学が
卒業式を中止しました。

娘の卒業式も寸前で
中止になったのですが
馬鹿な父親は家族で卒業式をすればいいかと
いう思いで東京に行きました。

放射能がとか
こんな時にとか
息子たちはいろいろ言っていましたが
仙台で就職をする予定だった
娘は同期入社予定の10人のうち5人と
連絡が取れないことに
ショックを受けていました。

これから先のことも不安げなので
力づけてやれればと思い
家族だけの卒業写真撮影会をしました。

人は思い出を作ることが大切だと思います。

それぞれの大学で話し合われた上で
取りやめになった卒業式も
話し合った末に実施されたM2の修了式も、
大変な時代を生きてきたと言うことの
大切な思い出になると思います

今M1もゼミ旅行の実施の可否や
や内容も含めて「今行うべきかどうか」を
考えることもいいかもしれませんね・・・。

S君は帰ってきて、何を話してくれるでしょうね。
そこからあなた達が考えることが大切だと思います。

神戸の震災の時
朝の校舎が大きく揺れ
壁や窓にひびが入る音を
校舎の中で聞きました。

食い入るように子どもたちとテレビを見ながら
西宮からかかってきた友人の電話の話をしました。
「水がない、ろうそくか懐中電灯がほしい・・。」

神戸の震災の時、学校は避難所でした。
運動場には仮設住宅が建ち
教室にはたくさんの荷物が積まれ
教師は「避難所」の運営者として
生徒や児童はその手助けをして
授業が成立するまで長い時間がかかりました。

教科書や文房具がない子どもたちもたくさんいて、
学校では子どもたちと自分のできることを
一生懸命考えました。

これから教師となるあなた達が
今 できることは何でしょうか
「教師となる」という言葉が
キーワードだと思います。

学生としてではなく、
何人かの罹災した仲間がいて
ともに教師となることを目指している
あなた達しかできないことが
何かあるように思います。

人は「誰かのために何かをしたい」という強い思いを持ったとき
初めて、人として生きる自分の喜びを知るのかもしれませんね。

そのためにも「誰のために」「何をするのか」を明確にする必要はありますね







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昨日の夕刊に・・・。

2011-03-16 08:50:49 | Weblog
やっぱり、というべきか・・。

昨日の夕刊を見て日本の「原子力神話」の崩壊が
「認めざるを得ない状態」にまで追い詰められていることが
明らかになったのかもしれない。

今、慣れないツイッターで東大理学研究科教授 早野龍五氏
http://twitter.com/hayano
の情報を追いかけている。

夕刊では話題が原子力発電と放射能に移った時に、テレビでの
放送が娯楽番組を流しはじめたのはなぜだろう??

800人もの人間が福島の原子力発電所で
まさに死を賭した必死の作業をしていることが
伝わらないのはなぜだろう??

情報を流す側の価値が問われていることに、そろそろ気づいてほしい。

かつてチェルノブイリの事故があったとき、教壇で子どもたちに、
事故について語ったことがある。
原因ではなく、その事故に誰かが
死を賭して立ち向かい静めるための努力をしたことと
放射能の影響についてだった。

影響は長い間あるのかも知れない。
東京に昨日初めて放射線の影響があったように
新聞などでは報道がなされているけれど、
何日か前に日野市の人がウェブで公開している情報を知っていたので
当然それが、11日以降、微量ながらすでに
何度も影響があったことを僕は知っている。

16日今日の朝刊で国が公共施設の
放射能モニタリングシステムを公開するという記事が載っていた。
昨日まで11日から昨日15日まで何の告知もなく非公開にしていたのはなぜだろう??

まさか これからは自分の身は自分で守ってください
というメッセージではないと思うのだが・・。

拡散した放射能の影響が一番懸念されるのは、
食料だろう。風評やパニックで食糧不足にならないよう
しっかりした安全基準をまず国民に知らせて、
その検査態勢を作る必要があるのではないだろうか?

チェルノブイリの時に子どもたちと考えたのは
ヨーロッパやアジアの食物の安全をどう確認するかだった。

国内でも海外でも日本の食物の安全性を問う事態が起こってくるかもしれない。
けどその安全性を証明するのは「正確な」情報でしかないと思う。
正確な情報を明らかにしてこそ、この困難に立ち向かえると思うのだが・・。

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情報をどう読み取るか

2011-03-15 16:44:26 | Weblog
昨日、一昨日と「今 情報をどう読み取るか」という
研究会に参加してきました。

今 大変な事態に直面しています。
色々な「情報」が流れ氾濫しているようにも思えます。

地震発生の当初は多くの情報がひとつの
方向に流れているということにはなかなか
気づきませんでした。

管理されている「情報」と、
そうでない「情報」があるという
認識はあったつもりなのですが・・。

ネット上の情報や海外の記者が報道するCNNやロイターの記事を検証していくと
すごいなと思うことや何か変だなと思うことがいくつかありました。

アラスカの公開されているHAARP地震電磁波モニターをでのデータを基に
3月10日の10時に「アラスカHAARP群に垂直な方向、アジア日本を通る大円方向である可能性がある。」
と予想した人がいることも分かります。
http://mblog.excite.co.jp/user/quasimoto/entry/detail/?id=14408281

でも今回はいくつもの「なぜ??」が生まれてきました。
一番のなぜは「冷静に物事を判断するために必要な情報が手に入らないのはなぜ??」ですが
そこに至までのプロセスを院生のみんなにも考えてほしいと思っています。

地震発生当初11日に、日本はアメリカからの原発冷却剤支援を断った。なぜ??
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-19958920110311
http://jp.reuters.com/article/jp_quake/idJPnJT885857220110312
そして 一度断ったアメリカの原発冷却剤支援を公式に昨日14日再要請した。なぜ??

昨日14日までテレビや新聞で公式発表に使われていたマイクロシーベルト
という単位をなぜ1000倍のミリシーベルという単位で公式発表に使い出したの??
http://jp.reuters.com/article/wtInvesting/idJPnTK055322420110315

被災地には届きにくいはずなのに、「新聞」では一斉に「放射線物質どう防ぐ」
の記事を今日15日の朝刊で全国配布・・。誰のための記事??
昨日はテレビで大丈夫みたいなコメンターが数多くいたのに、
昨日の朝刊締め切り時には「危機的な状態になりつつあるという認識」が新聞社にはあったの??

中国は「放射能水準調査を強化し、迅速に情報を報告する」と公表しているのに、
日本のどこのサイトに行けば放射能のモニタリングができるの??
公式サイトはどこも閉鎖状態なのはなぜ??
http://jp.reuters.com/article/wtInvesting/idJPnTK886126220110315

日野市(確か東京都ですよね)で個人が調査できるぐらいだから、
きっとどこかに正確な情報があるはずなのにそれが公表されないのはなぜ??
http://park18.wakwak.com/~weather/geiger_index.html

疑心暗鬼を通り越して、何か悲しくなってきます。
「情報」に関わる仕事をしてきたひとりとして、
無力感を感じています。こんな時「教師」は何をすべきなのだろう。
こんな時のために、「情報の真偽を見極め、正しい情報を基に
行動することを情報リテラシーというのだ」
と子どもたちに説いてきた自分の無力感を感じています。 

S君のお父さんは私と同い年
宮古の市役所で一生懸命がんばっておられます。
私も、今を一生懸命に考えています。





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議論するということ

2011-03-10 18:35:49 | Weblog
いよいよM1最後のゼミとなりました。
2月のゼミで来年のゼミをどうするかという議論を少ししてもらったのですが、
議論をするって言うことは大事なことだなって思っています。

学校現場ではそうした時間が少なくなってきているのが現状だし、議論すること自体に負担感を
感じていることもあるようです。

今後のゼミのことを考える上でも、今日は皆さんに少し論議をしてもらおうと思います。

テーマは「なぜ2年生の生活科で切符を買う学習を行うのか-授業改善の視点とは-」って
感じではなせればいいなと思ってます。

多分集まるのに時間差がありそうですので、早く来た人には、ちょっとした図工の実技を
してもらうことにします。


テーマ「なぜ2年生の生活科で切符を買う学習を行うのか-授業改善の視点とは-」

この授業を行うために必要な教師の指導スキルは?

・授業の意義を2年生に理解できるように話せる力
・集団行動において、健康を常に気をつけていられる力(排便や水分補給)
・2年生の児童を整列させる力
・授業の見通しを持ち児童に行動スケジュールを考えさせられる力
・30人の児童を安全に歩かせる力
・事前に駅員と調整する力
・事前に学習のしおりを作る力
・児童が他の乗客に迷惑をかけないようにさせる力
・授業における学びを児童自身かまとめるようにする力
・学習の内容を保護者に伝える力

だよね。
でも
・学びの目標に見合った活動かどうかを検証する力

も必要だよね。

では 仮にその学習の目標を提示します

目標
・公共の機関の利用方法を知り、集団での行動や社会性を身につける。

はたして適切な教材(活動)なんだろうか?
色々な立場から考えてください。

児童の実態から考える
・ほとんどが車での生活を行っていて公共のバスなどの利用が少ない。
・安全面を気にする保護者が多く、ひとりでの行動はほとんどおこなわない
集団での行動や社会性

社会の動きから考える
イコカやスルッと関西といったカードの利用が主流になりつつある。
ホームでの転落事故や線路のそばでの事故がある

親の願い
みんなと仲良く行動ができるようにしてほしい。
将来の自立に役に立つ学習であってほしい。

それでは「授業を見直すとは 何を変えること??」

そこから見直したことによって新たにしなければならないことはどんなこと??

そしてそれは誰がするの・・・
授業をしたあなた?
今度授業をする次の同じ学年の誰か?

なぜ授業の見直しが難しいのか、その原因は何だろう?   
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もすぐM2ですね

2011-03-10 18:23:42 | Weblog
M1もあとわずか、それぞれが次のステップを目指すときが来ています。

yさんは韓国へ留学、
すでに教採をクリアーした人は、
より豊かな教師としての資質を身につけるにはどうしたら
いいのかを学ぶ時間だろうし、

教採というハードルを乗り越えなければならない人は、
そのハードルをしっかり見すえた上で、
計画的に毎日を過ごしていかなければならないと思います。

後期には修了論文のあることも忘れないでください。

これからの一年があなたたちの人生を決めるターニングポイントになることは
間違いのない事実だし、逃げることのできない現実だとおもいます。

気負いすぎず、臆病にならないで、
楽しい仲間を信じて来年も過ごせたらいいなって、思っています。

 それぞれの持っているものや環境、
そして資質や性格も、みんな違っていて当たり前だと僕は思います。

でも「違っているからこそ良い仲間になれる」と思っています。

同じものを与えられることを期待してはいけません、
僕は自分の人生は自分で勝ち取るものだと思っています。

若い頃は小学生の子どもたちに「努力すれは必ずかなう、
自分が好きになれば必ず相手も好きになってくれる」と
熱っぽく語る「イタイ」教師でした。

周りからなんと言われても、
きっと今でもそう思ってますし、そうあってほしいと願っています。

 すでに「学校で働くということ」については、
y君、Y君、k君、oさんが講師として経験をはじめています。

今日はそんな仲間の話を聞きながら、
4月のスタートに向けて、ひとりひとりのスケジュール等を確認していきたいと思っています。

M2になるにあたっての不安や抱負を話してもらいたいと思います。

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