おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

今年も採用試験が終わります。

2019-08-29 19:40:00 | Weblog
今年も教員採用試験が終わりに近づいています。

あなたたちは、もうズーと昔のことのように感じているかもしれませんね。(なかには本当にズーと昔の先生もいますね笑)

教員採用試験合格という教師生活のスタート台に母校の後輩学生を登らせるための仕事も今年で5年目いよいよ最後でした。

ちょっとたそがれてみます(笑)

ある意味で、教師は自分の持つ「価値観」を自由に子どもたちに刷り込むことができます。

刷り込む内容が、その時代の為政者のためのものか、次の時代を作る子どもたちのものかを「判断する力」を教師自身が持っていないと、新しい時代も新しい国も作れないと考えてきました。

時代を自分たちの都合のいいものに変えようとするのが政治の宿命だと思います。

そのためプロパガンダや情報操作によって「個」を「国家」の中に埋没させることで、「国を愛する心」をつくろうとするのが、政治家が作る「愛国心」だとおもうのですが、僕は教育の場では、「人はもともと大地に愛着を持って生まれている」存在なんだと話してきました。

国ではなく「ふるさと」というワードが太古からのDNAを呼び起こすキーワードなのだと思います。

「土着」という言葉に含まれている、大地への愛着と自然への感謝こそが豊かな心を生み出す原動力になると思います。

「国」という概念は「自分たちの土地に愛着を持つ人達」の「陣取り合戦」の結果生まれてきたのではないでしょうか。

未だ「陣取り」は続いてますね。土地をうばう「植民地化」からカネを奪いあう「経済的植民地化」情報を奪いあう「情報の植民地化」と形を変えて進んでいます。

だからこそ、未来を担う子どもたちへの教育が大切になると考えてきました。

そのためには、やっぱりあなたたち「先生」なんだと思います。

「公立の学校の先生」は本人が知らない間に「国家(為政者)」の「下僕」になってしまうこともあるし、知らない間に「国家の反逆者」になることだってあるのだと思います。

だから、何も起こらない毎日を期待して、卑屈に事なかれをよしとする生き方を身に付けることも賢い生き方なのかもしれません。

家庭が、自分の子どもが、あれば確かにそれも言い訳だとは思いません。

僕はせめて、はじめて「先生」になった時の「夢」ひきずっていようと思い込んでいたのかもしれませんね。

子どもたちに、ではなく「先生」の「志と夢」が問われる時代がすぐ近くまでやって来ているのに、忙しすぎる毎日が、「先生」が考える時間を奪っているように思います。

個々の授業スキルに一喜一憂し、「教師」への問いかけを忘れようとしているのかもしれませんね。

何も考えないで、「昨日」をひきずって「今日」を生きることは楽ですが、「明日」は見えません。「明日」を語れる場所、作ってみましようか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする