おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

旅日記8

2015-09-24 21:47:03 | Weblog
バルト海は静かで曇り空に
朝焼けの赤がほんのり
いろどりをそえている。

スェーデンに入ると
船はバルトの島島を縫うように走る。

朝食のコーヒーを飲みながら
展望台からみる景色はまるで
パノラマのようだ。

ストックホルムは
船着き場のラクビー好きな
人はのいいおじさんのおかげで
グラムスタンまでの
道のりがすんなりわかった。

南アフリカに勝ったということは
ヨーロッパの人にとっては
衝撃的な出来事だったらしい。

ホテルライゼンは王宮近くの
小粋なホテルで、12時のチエックインにも
嫌な顔一つせず対応してくれる。

ストックホルムはやはり都会、
観光地のグラムスタンは
観光客であふれまるで新京極(笑)



お目当ての王宮では閲兵式が
バッチリのタイミングで見ることができた。



定番の博物館めぐりは
当然ノーベル博物館
ちょうど昼飯どきたから
ランチを頼もうとすると
アイスクリームではないかと尋ねられた。

○○の歩き方というマニュアルにい
うまいとかいてあるのかと調べたら
ノーベル賞受賞者の晩餐会に出るものと
同じアイスクリームがあるということらしい。

当然ミーハーに徹する旅なので
食べることにした。
予想に反してうまい(笑)
イチゴの酸っぱさがアイスクリームと
相性がよく大人の味
コイン形のチョコはやり過ぎだと
思うけどし、値段もそれなりだけど
確かに、博物館の見学にまわる日本人より
アイスクリームをたのむ日本人のほうがおおい(笑)

食傷気味の北欧料理だが
海辺のレストランで船と町並みを
眺めながら食べると
なぜか美味しく感じてしまう。
アイリッシュサイダーの味は
昔のままなのが嬉しい。

最後の一日は朝から観光船で、
海からストックホルムを一巡り
日本語の説明があるのも
ここが成熟した観光地だからなのだろう
まるで新幹線みたいな地下鉄



最後に王宮前のコイン博物館を
巡って明日日本にむかいます。

時差とかあるので時間が
酔っ払いの頭では
もうひとつ理解できませんが
まっ、いいかでおっさんの旅を
終えられそうです。



今日は生まれて初めての
ヨーロッパ高級ホテルで
一泊です(笑)

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旅日記7

2015-09-24 20:46:29 | Weblog
ラトビアの人は
背が高いのだろうか

リガの街では二メートル近い人を
ちらほら見かけた。

長距離バスの停留所で待っていてくれた
タクシーの運転手は間違いなく二メートル越えだった
話すのに首が痛くなった(笑)

リガの旧市街を
ミニバスで一回り

街はこれからの観光地をめざしているのか
リニューアルがすすんでいる。

町並みは美しいのだが北欧特有の
タバコのポイ捨て自由、路上駐車自由、
歩行者の信号無視自由というおおらかさが
少し気になった(笑)

待望の船旅
客室は少し狭いが、丸窓から周りの景色が見える。
早い目のバイキング形式の夕食を食べながら
バイキングの本場ではビュッフェ形式というんだくだらないことを考えながらサーモンに、にしんにと食べまくった。

なんとわさびに醤油まであり、何の抵抗もなく
ダイエット等ということばを忘れてしまった。

タイタニックな気分で船首に行こうとしたが
11階の船首は立入禁止(笑)

船の音を聞きながらヘルシンキへ
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旅日記6

2015-09-23 19:21:08 | Weblog


ラトビアのリガの街は
何だかとてもなつかしい気分になった。
そう、あの時代の東ベルリン。。




エストニアとの国境は
白樺の森と果てしない畑が続いていたが
リガは旧ソ連領の色合いが濃く残っている街だった。

旧市街はタリンとよく似た風情だ。
物価もエストニアと比べても
安いし、観光地としての整備が
今、急ピッチで行われているって感じをうけた。

ただ、
あのなんといったらいいのかわからない
重さを感じたのは
言葉が全く通じないためだけのせいではない気がする。

街の中心にあった美術館には日本の古伊万里や九谷焼の大壷がなにげに飾られ、浮世絵の前に鎮座している。

日本のどこかの街にラトビアの文化を常設展示している美術館は
あるのだろうか。。

細やかな象牙細工を施した大刀は日本製となっていたが
素人の僕にわからないが日本刀にしては大きすぎると感じたが
それ以外はほぼ間違いなく日本のものだ。

隣の部屋には触れる場所にロダンの作品があるし
隅っこの部屋にはエジプトのミイラが
これまた、なにげにガラス越しに寝ている。

フランスやドイツ、オーストリアといった
国々の絵画も芸術品も。。

日本の美術館での作品との距離感の違いを感じてしまう。
この距離感が、国の文化の違いなんじないかなって
ずーっと昔、ミロのビーナスの前でたたずみながら
考えていた若者がいたことを思い出した(笑)

さぁ、いよいよバルト海をイザベル号で船の旅。。

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旅日記5

2015-09-22 21:16:03 | Weblog


ラトビアのリガに向かう、
長距離バスで4時間の旅

まっすぐの全方位白樺林と麦畑の真ん中を
青空に広がる真っ白の雲に向かって
突き進むって感じ

信号なんて一つもない
平原ってこんな感じなんだろうな

ここまで来れば日本人もほとんどいない(笑)
てか、景色の中に人がいない。

地上からみる雲が立体感をもって迫ってくる。
リガまで後で1時間。




旅のまえに読み直した県庁おもてなし課って本に
組織からドロップアウトしてもしぶとく生きるじいさんが
描かれていたことをふっと、思い出した。

飛行機の中で見た映画は風の中に立つライオン。

スオメンリンナで出会ったK先生の生き方。

人は育てるものではなく、育つものなんだろうな(笑)
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旅日記4

2015-09-22 20:52:58 | Weblog
エストニアのタリンに到着
旧市街のど真ん中のホテル。

旧市街は石垣で囲まれた
中世の城塞都市 ホテルも石塀の中に建てられている。



太っちよおばさんのなんとかとか言う歴史博物館があり
街を一望できる教会の真ん前



つい1番高いところに
いきたいたと言う
いつもの悪い癖が出たのが間違いだった



後で調べたら70メートル近い展望エリアまで
一人の幅しかないほぽ垂直な螺旋階段をのぼりつめる
はめになってしまった



確かに眺望はすばらしいのひとことなのだが
高所恐怖症で六十の老人にはこたえた(笑)

タリンの街にある博物館では
エストニアという国の成り立ちを
学べるように工夫がされていた。

展示品は、見学者が実物に触れることを
前提に作られており、
音響と映像、バランスよく配置された展示品と空間
そしてICT機器、いい感じ。



エストニアが古くバルト近郊の国々から攻められ
近代にはナチスと旧ソ連に翻弄された歴史が
外国人のエストニア語を全くわならない僕にさえ、学べるのはなぜだろう

タリンはた単なる観光地ではなく
占領され蹂躙された祖国への
鎮魂のモニュメントなのかもしれない。。

日本にこんな街はあるのだろうか。



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旅日記3

2015-09-21 21:35:20 | Weblog
スオメンリンナ島到着



マーケット広場からフェリーでスオメンリンナ島に
到着。



島内の美術学校のk先生に案内していただき
島内をくまなく散策。

図書館ではネットが充実しており、小さな施設なのに
蔵書貸し出しに不便を感じさせない環境を作っていることや
休日の体験活動の受け皿になっているのには驚いた。


また、幼稚園でも、知識を教えることは何もしない。
体験を充実させて、みずから学ぶことを中心にしており、

小学校、中学校では登下校時間もふくめて、
最初から「自分のカリキュラム」を作るということを知った。

日本ではフィンランドの教員の資質について論議があったが、
税金が25%もあるため医療と教育が充実しており、
両方とも無料であること、

大学は入学は難しいが国立しかないため、
大学院まで、無料だということや
国は税金をそこに使うから、
卒業したら国民に還元することを義務づけている、という。

教員にかぎらす、大学に入る段階で
明確な職業意識がなければ、入学もままならないらしい。

こうした文化の違いをなしにして表層だけを論議することの不毛さを痛感した。



フィンランドには軍隊があり、
徴兵制も二年あるが「徴兵を拒否する権利」もあるそうだ。

戦争をすれば国は貧しくなる。
それを知っているから軍隊を持っているけどしないほうがいい。

日本は豊かだからどこもせめてはこないだろう。

軍隊を持つ持たないという論議より
スイスやスェーデンと同じように「永世中立国」の宣言を世界になぜしないのか、
との問いは重たかったが、

島にただ一軒の村の人たちが集う隠れたビアホールで
地元産のビールとおつまみで
とても幸せな気分になった
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旅日記2

2015-09-21 20:30:53 | Weblog
ヘルシンキに無事到着。

宿にたどり着くまでに10人のヘルシンキ市民に
聞きまくる。





ただでさえ方向音痴なのに
遥かに高い言葉の壁。。

人の温かさは国の文化の高さと比例しているにちがいない。

道に迷いながら自然な笑顔と優しさに
精霊を信じるスオミの人たちをすぐに好きになった。

宿は3kの清潔なアパートメントホテル。
昔パリで泊まった一つ星のホテルを思い出す
レトロ感満載のホテルに
思わず、ヤッターO(≧∇≦)o




エレベーターは外からまる見えの
例のヨーロッパスタイルの狭いやつ(笑)
出る時に中から押さないとでられないから
出るときが厄介なレトロなやつ。。

夜になると
何の音も聞こえない。。
静寂さと必要のない光りを
制限したほどよい暗さ。
虫の鳴き声や車の走り去る音さえ
聞こえないと
すぐ近くの森から
ムーミンみたいな妖怪たちがやってくるって
思うのは当然だと思った。

次の日は、
ヘルシンキの交通機関がストライキで
全面停止。
難民問題は北欧まで影響をあたえている。
難民を受け入れるため政府が労働者の
賃金を下げるという方向を打ち出したため
ストライキが行われたらしい。


おかげでヘルシンキを歩いて回った。
かもめ食堂のロケ地はほぼ完全制覇(笑)
「○○の歩き方」のおもな見どころも
一日あったのでほぼ制覇(笑)
腰と足をいたわるために飲んだわ食ったわの
一日を過ごした。





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負けないでください。

2015-09-18 18:24:41 | Weblog
何が足りなかったかは
あなたが1番わかっているんだと思います。

プロ野球のビッチャーは
審判にあわせてストライクゾーンを
投げ分けられるといいますが
面接もそんなものかもしれませんね。

人生のターニングポイントは
まだだったってことですよね。
そんなものいつくるかなんて
誰もわからないものだから
必ず来るって
あなたが信じてさえ、い続ければ
いやでもやってくるものじゃないかな。

来ないと思いそうになるあなたの心
それがたりない何かかもしれない?

カッコ悪くても逃げ出さないでください。
カッコ悪くてもごまかさないでください。

負けないあなたになるために
今という時間があるじゃないでしょうか。。
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旅日記1

2015-09-18 17:16:52 | Weblog


前日まで仕事に追われ、関空からオランダ航空で、一路アムステルダムへ。

機内てはCAの笑顔に迎えられ
飲むこと、食べることに専念した。

ようやく手に入れることができた10連休、
若者たちをみならって
気ままな海外旅行を楽しむことにした。




長い機内で心地好い酔いに見を任しながら、
ふっと、昔のことが頭によぎった。

ことばが通じない世界で心は通じるのかなどと、
青臭い悩みから逃げ出すために、
バックパッカーもどきで欧州をぶらついたのは、
もう、40年も前のこと。

1$が360円の時、ユーロ等という通貨もなかったし、
ドイツもベルリンも二つあったという、
今では歴史の教科書に載ってる時代だった。

勢いと根性さえあればなんでもできると無垢に信じることができた
幸せだった時代。

機内で見ることのできた三本の邦画のひとつが
同じテーマだったので、思わず涙がこぼれそうになった。

歳をとると涙もろくなるという言葉に
真実味を感じるようなった自分が、少し悔しい(≧へ≦)

さてさて今度の旅で、どんな景色かみえるのだろう。

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撃沈しました、失敗しましたですか。。

2015-09-01 00:57:35 | Weblog
撃沈したか、失敗したかは
まだよくわからないと思うんですが。。

・・そうですか。。

失敗は若者の特権だと言う言葉
素敵だ思います

失敗は誰にでもあるもの。。
挫折は誰もが体験するもの。。
などという当たり障りのない
言葉ではないように思うことが
よくあります。

特にせんせいは
子どもたちの失敗や挫折に
常に向き合わされるはずですよね。。

突然見せる子どもの悲しい顔に
どう向き合うのか

そんなとき
素の自分がでてしまう。。

せんせい自身の失敗体験や挫折体験が
必要だといっているのではありません

ただ「失敗や挫折を教える」のではなく
「失敗や挫折から学ばせる」には
どうしたらいいのかを考える必要が
あるのではと考えています

失敗や挫折をした人は
口に出さなくとも
失敗や挫折をした子どもの
気持ちがわかるのかもしれない

失敗や挫折をしたことのない人は
はっきり口に出して
失敗や挫折を乗り越えろと
いえるのかもしれない

ただ、せんせいは
その悲しい顔をした子どもに
寄り添いたいと思ったとき
その子に「落ちる言葉」が
話せるようになると思ってきました。

でも、難しいです。。
受容という言葉や
寛容と言う言葉が薄っぺらく感じたり
何度も言葉を飲み込んだことがあります

ただそばにいただけかもしれませんね

だから
失敗や挫折は
せんせいになる若者には
いい経験になるんだと
信じることにしました(笑)

若かったときは
何度失敗してもいいと言うぐらいの言葉だったけど
今になると
失敗する若者を
支え励ます「としより」が
いなければ成り立たない言葉なのではと
思うようになった。。かな
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