おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

ささやかな仮説

2012-05-31 21:32:45 | Weblog
根拠のない自信とうぬぼれは
子どもたちにすぐに気づかれてしまう

そのことに気づかないと
にっちもさっちもいかなくなるかもしれないね。

恋愛偏差値が幼稚園レベルでも
人とのつきあい方が不器用でも
板書や発問が未熟でも

ピュアな
子どものような心を
あなたがもっていたら
すてきな先生になるような予感がする

ピュアな子どものような感性を持ち続けることができれば
いつか必ず「いい教師」になれるという
僕のささやかな仮説を
あなたたちが実証してくれるとうれしいな。

いろいろな価値観の違う子どもたちを
個性的に育てるために必要な要素は
いろいろな価値観を受け入れられる
「真っ白な」教師自身の「心」

そんなもの「持てない」って思ってしまえば
辛いから、自分の心のどこかに必ず残っているんだと
思ったらいいかもしれないね。

それを呼び覚ませてくれるのが
子どもたちの元気な輝く声や瞳なんだと思っています。
先生って仕事
この頃、自分の心を刻む仕事だと
思うようになりました。

My friendsよ!明日は、林間だぜぃ!!
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久しぶりの同窓会

2012-05-30 23:04:54 | Weblog
院で始めてであったあなたたちはもう2年目の
先生なんだね。
2人とも京都府じゃないから
安心して話せた部分もあったけど(笑)
若いあなたたちを取り巻く状況は
僕があなたたちと同じ年の頃とは
ずいぶんと隔たっていることを感じたよ。

一番は人と人との距離感のちがい。

親と教師
教師と子ども
子どもと子ども
教師と教師
親と親
親と地域
地域と教師

なんか違うんだよね。
きっと僕は暑苦しいのかもしれないけど
あなたたちのようの気にしすぎて離れると
何も見えないような気がするんだよね

しっかりと何もかも準備しても
その通り行かないのが当たり前だし
まして人と人とのつきあい方に
マニュアルなんて
あるはずがないと思うのだけれど・・・。

先行研究なんてくそ食らえ的な発想は
危険なんだろうけど
何か新しいものを生み出してくれるような予感がして
僕は好きでした。

まず、今、あなたがやりたいことに正直であったら
それでいいんじゃないですか。

担任だったとき、ぼくは 僕と目の前にいる子どもしか
見えないでいたわがままな教師だったとおもっていたので
人からどう思われてもいいかなって思っていました。
だから 悔いなんてなかったよ。
好きなことしかしなかったから・・。

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今度の日曜日

2012-05-24 05:05:13 | Weblog
すでに教採の悩みから解放され2次の結果を待っている皆さん
すでに教職についていて自分は若いと思っている皆さんへ
(教採 真っ最中の皆さん ごめんなさい スルーしてください)

「先生らしくすること」「人とふれあうこと」は大切なことですが
意外と学校現場では難しいこととなっています。自分を理解し、
他者との関係を発展させて行くには、
主体的に何かに取り組んでいこうという意欲が必要なのかもしれませんね。

ゆったりとした時間の中で、特別支援教育について自由な話し合いを創造できればと、
異年齢異地区異職種のメンバー10人でスタートしました。

次は第二回「夏です!」を
8月26日(日)10時~12時に開催します。

場所:イーココロ協議会
〒542-0081 大阪市中央区南船場 4-10-26小倉山本本店ビル5F
06-6243-2300  

会場は上記の場所ですが
集合は9時45分 地下鉄御堂筋線 心斎橋 3番出口
とします。


講師は 京都府立特別支援学校のベテラン先生
    京都府小学校通級指導教室のベテラン先生
のお二人を予定しています。

通常学級での子どもへの気づきから授業力について、
学級づくりと子どもの居場所作りのポイントをテーマにしています。
どちらもこんな機会でないと聞けないような充実した内容ですが
おしゃべりが大好きな講師さんたちですので
気楽に話し合いができればと思っています。参加無料 飛び入り歓迎  
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木漏れ日の変化もすごいね

2012-05-21 07:40:43 | Weblog
7時31分の木漏れ日の様子
まるでさかなのうろこ
幻想的な風景になったよ。
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不思議な時間でしたね 

2012-05-21 07:35:34 | Weblog
これって「ベイリービーズ」だよね。 すごい。
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金環日食

2012-05-19 23:59:08 | Weblog
小学校に大学の研究者がその専門性を生かして
出張授業をしてくれるという「出前講座」が
京都府では行われています。

京大からの研究員が派遣され
たくさんのすてきな話がありました。

金環日食の一番いい時間の2分間ぐらいに
「ベイリービーズ」という日食の縁の光が
が粒状になル瞬間があり、それが月の表面の
クレーターの影響で起こる現象だとか
京都で金環日食がみれるのは282年ぶりだけど
次にみれるのは29年後だとか
大人が聞いていても楽しい話を聞くことができました。

ふっと「正しい知識」と「豊かな専門性」とは
別のものなのかなっという考えが頭をよぎりました。

「豊かな専門性」がなくとも「正しい知識」として
子どもたちに教えてはいなかっただろうかという自責の念・・かな。



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どうすれば、いい先輩が見分けられるのって、それは難題ですね 2

2012-05-13 15:08:54 | Weblog

もう少し具体的にという
あなたへの返事は もう一つのことで
考えてみましょう。

こういうことは言わない人が
いい先輩なんだろうなと思っています。

職員室での会話
「先生、先生とこの子、運動場でなんかトラぶってたで」

そのとき、親切そうなその先生は
見ていただけなんだと思ってしまいますよね。

「大丈夫、あそこの親は、わたしがなんとかいうといたげる」

善意なんだけど若いあなたでは無理だということを明らかにして
その先生任せにする癖をつけようとしているんじゃないかな。

「ごめんな 私コンピュータ苦手やから紙で作ってんやけど、
去年のものは残してないの」

スキルをつけるには、みんなが何度も同じものを作ることが大切なんだけど
非能率的なことは無駄に思えてしまうことがありますよね。


「今度の参観日、おんなじ教科でおんなじところしよ。
掲示も同じようにしたほうがええね」

低学年でよく聞く言葉、何年もやっている方が
うまいに決まっている。どうしてそれを参観日にするの??
って思うことがあります。

どうなんだろうね。あなたたちとよく論議した
人と人の距離感は時代によって変わっているのか
変えてはいけないものなのかはよくわかりませんが、
あなたたちと適度な距離を保てる人が
よい先輩なんじゃないかな。
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どうすれば、いい先輩が見分けられるのって、それは難題ですね

2012-05-12 14:56:39 | Weblog
どうすれば、いい先輩が見分けられるの?って
メールが来ました。

そんなもの自分で判断しろよなっていう
適切な助言は今の時代に
対応していないようです。

二つのことを考えてみてください。
ひとつは「いい授業」ってなんだ
っていうことをもう少し考えてみること。

きっといい授業をしている人は
いい先輩なんだろうと思いますが
「いい授業」の定義なんて
山ほどあるわけですし
あなたたちがいいなと思う授業も
「あなたたちにはできない授業を
している」という意味では
いっぱいいるはずですよね。

僕にとっていい授業は
クラスの子どもたちに笑顔と
目の輝きがあるという
抽象的なイメージでしかありません
僕にとっていい先輩は
どんな子どもたちでも
瞳が輝き笑顔をもつ子に変えることができる人でした。


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見せる授業にならないためには指導案の吟味が必要なのですが・・。

2012-05-11 20:20:20 | Weblog
初任者の間には公開授業
を行う場合が、あります。

初任者だけではなく指導主事の先生が
学校を訪問して授業を公開して指導や
助言を受けることが、これからはズーと
、あるわけなのですが、これは誰かに
「見せるため授業」ではないはずなのですが
時にして「授業改善」という視点が
抜けている場合があるようです。

座学一辺倒や黒板にへばりついて
知識を流し込む授業から脱却し
子どもたちの自発的な話し合い、
多様な活動屋意見交流の場の中での
「言語活動」であると捉えているのですが・・。

動きのないただの発表を
言語活動と捉えるなら
何か悲しいように思えます。
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教師の21世紀型スキル

2012-05-06 19:25:08 | Weblog
最近、学校現場における
教師の21世紀型スキルという
言葉をよく耳にする。

ICTを活用した
授業形態の見直し、
従来型の一斉授業や
講義形式の学習形態を
「協働」という言葉をキーワードに
問題解決型の学習を
進めていこうということらしい。

これって「昭和」を生きてきた
僕たちの総合的な学習の時間において
取り組んできた授業スタイルと
どこが違うのだろう。

新しい総合的な学習の時間という
教科が入ってきたとき
前向きに取り組んだ連中は
今更何を、という思いを
っては持ってはいないだろうか・・。

個々のICTの技術的な活用スキルは
大きな差があるとしても
授業を作るときに
それは大きな差ではないように思います。
むしろ授業をイメージする力
例えば子どもたちの動きや考える場面、
論議したり、プレゼンしたりする場面を
イメージし作れるかどうかの方が
大きいような気がするのですが・・。

自分の期待する答えをいう子の発言だけを拾って進める授業ほど
おもしろくないものはないと思うのですが・・。
「昭和」を生きてきた「僕には授業はおもしろい楽しい」が
まずあるものだと思うのですが、古いのでしょうか。



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