おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

じいじのセダムづくり

2023-05-27 20:53:57 | Weblog

Classroom Indoor Green(教室で緑を楽しみましょうという筆者の造語です笑)を提唱していた元教師として
夏休みに帰ってくる孫や子どもたちのために「じいじのセダムづくり」を押し付けようと考えています。

屋外で「花を育てる」ことは定番の考え方なのですが、コロナ禍で少し変化が起きているようなのです。
飼育係や生き物係の仕事が減りました。

そもそも学校に来ない子まで出てきていると聞きます。
学校に「癒し」が少なくなっているのかも、と考えました。

古い話ですがコレラが産業革命の後、ヨーロッパで起こると、
ヨーロッパでは、従来の考え方生き方に対する見直しが始まりました。

ルネサンスという文芸復興と呼ばれる「古い時代」の生き方、文化への見直しというか憧れが生まれ、
古代ローマやギリシャの人たちの哲学や生き方、考え方をライフスタイルの中に取り入れるようになったと言われています。

今テレビなどでも日本の縄文時代への注目度が、密かに広がっているように思います。

SDGsと言われる環境への意識変革が行われ始めた世界にコロナ禍が起こりました。

コロナ禍後に様々な変化、経済的なもの、権威やタブーに対しての意識の変化、そして核戦争の脅威まで始まってますが、
「日本の縄文時代」という「とても古い平和な時代」への注目は、
コロナ以後のライフスタイルを考えていく上で注目すべきことの一つだと思います。

一万年も続いた平和な時代が古代の日本のにはあったことが近年の調査で明らかになっていましたが、
「日本で平和な争いのない時代が一万年も続いた」ということは世界では例がない珍しい出来事なのだということなのです。
現役の時六年生での歴史の時間には、縄文時代は狩猟の社会とは教えていましたが平和な社会だったとは知らなかったし
世界どこでも同じだろうぐらいに思っていました。

特に東北や北海道の遺跡の調査では、「定住して、石器の農具はあったが武器は作られなかった」ことが判って来たようですね。

「なぜ」そんなに長い間平和を保てたのかは、これから解明されていくはずですが、
争わなくても生きていくための水と食料が日本には豊かにあったことが考えられますね。
こんなことを子どもたちに考えさせることも大切ですね

コロナ禍以後の小学校生活を豊かにするために、
孫たちには草花や穀物を育てる行為や食べ物を作る行為に注目させたいのですが
屋外での作業や水やりは楽しい仕事ではないようですね。

パソコンに向かってスクラッチをプログラミングする方が楽しいそうですが
今年の夏のじいじは一味違うところを見せたいと思っています

indoorグリーンという考え方は北欧等ではインテリアデザインとして定着しています。

日本の家庭で部屋の中で花を育てるという文化は
虫や土を室内に持ち込ませないという「清潔さ」を大切にしてきた
日本の文化とはなかなかなじまないものだったのですが
こうしたことも、孫がやるならばあばも許してくれるはずです。

学校ならもっと簡単にできるはずですよね。
掲示物の内容に四苦八苦するより
教室を「癒しの場にする工夫」も
「係り活動を楽しくやらせる工夫」も
できるはずですよね。

自分手で育てた、植物を教室のインテリアとして育てるという考え方を
セダムという多肉植物を使って考えてきました。

今度の夏休みは100均ツールを使ったセダムの育て方を孫たちに伝授しようと思ってます。

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ひっそり

2023-05-14 20:02:09 | Weblog


山中温泉温泉に行き、日本初のアルミ車体の電車。旧北陸鉄道6010系電車と出会いました。

日曜日の休業日なので駅舎を改造した施設も人影はまばらでひっそりしていました。



温泉では久しぶりののんびりした時間を過ごしリフレッシュできました。



少し足を伸ばして尼御前岬に。
きれいな海岸でのんびり海を眺めて。至福の時間が流れます。


医者から禁酒の指示があり、道の駅で見かけた大好きな梅酒にどうしても目から行ってしまいます。


みやげは前から気になっていたガス海老。日持ちがしないため「幻の海老」とか言われていたけど、帰って早速食べるととても美味しいエビでした。

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美味しい野菜寿司

2023-05-08 22:39:29 | Weblog
昨日、退院しました。

退院祝に美味しい大阪の野菜寿司を頂きました。

過日、救急車で運ばれました。

心筋梗塞はこれで20年ぶり2回目です。

20年前の真面目な小学校教員当時は酒とタバコとラーメンに不摂生と寝不足、早グソ早飯が重なる生活を長くやり続けてきたから心臓の血管が針のように細くなってました。

当時は過労死ラインとか気にもしていませんでした。

一回目のときは担任していた子どもの父親に運ばれ、今度は娘の友達に運ばれました。地方の小さな街でずーと教員をしているとこんなこともあるのですね。

入院即手術、ふるくなったステントという機具に赤虫大の血栓が絡みついているということで血管を風船で広げ古くなったステントとそこに引っかかっているアカムシみたいな血栓を取り外し、新しい太いステントを組込むというまるで詰まった下水道管を新しく作り直すような作業を腕の動脈から入れたクダから操作します。

前のときは完全に意識がなかったのですが、今回は意識があり、手術を担当するチームがみんな20歳台ぐらいで執刀するのは医師はイヤフォンとマスクをつけています。

これって上級者に遠隔で指示を受けながらの執刀??ヤバいと思ったのですがどうしようもないのでゲーム世代のskillを期待することにしました。

いちいちマイクで相談しながら勧めていく執刀医とその前にある大型モニターをまるでテレビドラマを見るように見ていました。

ステントの交換は一つの山場だったようです。手術中の会話が聞こえて、えっとか、難しいかもとか、隠語もないのである程度患者が理解できると不安が増幅しますよね。

先生はオペとして割り切って取り組んでくれる現代の若者なのですよね。

時計はなかったのですが結構時間のかかった手術が終了、絶対安全、何も動かせない24時間が続きます。

前回の時はこの時意識が戻ったのですが、前回は、すっ裸で足元に血の流れを止めない空気ボンブみたいな機械があり、スッ裸で手術台の上にいました。

鼻や腕の間などからパイプがでて、体中にシール貼られ電線が繋がっている状況はそれほど大きくはかわっていませんでした。

大きな足元の機械は白をビンクで縁取りしたかわいい配色の足にフィットするロングソックスになっていました。

スッボンボンではなく紙おむつでした。着ていたGapのアウターはハサミで一刀両断でしたが、かわりに水色のストライプの手術着を着せてもらえました。

仕切りはあるもののICUも相部屋みたいでした。 

しせんを彷徨ったと言ってもラーメンを食べに集った人たちではないので、色々な声や叫びが一晩中響きます。
家で鶯がうるさいなと思っていたのとは大違いです。

何が困ったか、紙オムツに上向きで寝ながらおしっこすることでした。結局できたのは座位(ベットの高さを変え持たれること)て尿瓶を使うことができてからでした。大便も3日に下剤を貰い4日目でようやくでした。

減塩食ですから美味いとは言えません、なのに毎食1膳ヌルヌルの白米がつきます。なんとか交渉して、朝はパン食にかえてもらえました。

早く戻る気満々でしたが、毎日行われる血液検査で、右手に針が刺さります。左手はずーと点滴の針が入ったままなので寝返りも打てません。拷問みたいです。

ただ、ここは医師もそうでしたが、看護師さんが若くて優しいのです。美男美女が多いのもとても新鮮です。

僕が学校に勤めていたせいか、教職よりブラックだと思うのだけど若い人たちに介護の方が人気があるのは、「感謝されている」という実感があるからなのでしょうね。「感謝されていない」と最近の先生たちは感じているようで、少し寂しい思いがあります。

心臓エコーの時「ドキドキ」しますかと聞かれたので「してません」と答えたのですが、「それでは暗くします」と言われた瞬間、ドキドキしますと言ったらスルーされました。

薄暗い部屋でかわいい女の子に脈を測られたら昭和の老人は心電図に異常が出てあたりまえですよね。

こんな事ばかり考えていたから
早く退院することができたのかもしれません笑

退院して、美味しい食べものを食べた時、また、生きていたいって思うことができました。
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