おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

なにかがみえるとおもうけどな。

2013-05-29 21:49:25 | Weblog
あなたのメールを読みながら
少し考えています。

母子分離が十分できていない子なんだろうけど、
他にも少し気に掛かる要素もありますね。

兄弟の世話に親がかかりきりになると
自分の方を向いてもらいために何かサインを出すのは
低学年の段階なら自然なことなんですが
サインを出せる相手が限られてくると
その対応が難しいものになっているように思います。

子育ての中で全部の子どもを平等に見るなんてことは
できないのが普通なのかもしれませんよ。
まして、子育ての悩みを相談できる人がいないとなれば
不安定になる要素が大きいですよね。
そういう親の気持ちも「新米だから」ということで
受け止められないと最初から思うのはどうでしょうね。。

低学年の子どもが
いつも自分一人に愛情を注いでほしいと願う心情は
当たり前のものとして持っていると思うのです。

ただ
問題はその表し方、伝え方じゃないかな。

担任のあなたが教えられるものは
「自分の方を向いてもらいためにサインを出すのはいいんだけど、
その出し方を間違えると、自
分の方に向いてもらいたい相手がいやな気持ちになり
あなたの方に向いてもらえないかもしれないよ」ってことじゃないかな。

そんなサインの出し方はだめですとか
サインを出してはいけませんとか
きつくしかっても、
なかなか子どもの心に落ちないよね。

それどころか、サインを出せばしかってくれる、
関わってくれるって思うかもしれないよね。

低学年の頃は、しかるという、
そんな関わりですら欲するほどの
愛情の飢餓感ってあるんだと思うよ。

あなたがトラウマになっているかもしれないっていっていた出来事も
多分そうした飢餓感を持った子どもたちの連鎖に、
その頃の先生が、
言葉が悪いかもしれないけど、
モグラたたき状態になって
負の連鎖の中で
クラスの子どもたちとの距離が遠くなっていったという
悲しいパターンなんじゃないかな。

一人の子どもに寄り添うことはとても大切だよ。

だけどクラスを持っているなら、
その周りの子どもたちがどう思っているかも
考えることが必要な時ってあるんだと思うよ。

「大好きなせんせいに
自分の方を向いてもらいたいと思っている子が
無秩序にそして一斉に
たくさんサインを出してくるから
きちんとした規律を教えたい先生が
そのサインの出し方一つ一つに
丁寧にしかるという関わりをしている」
なんて状態になっていないかすこし心配しています(笑)

低学年なら、
多少のことはがまんしてめをつぶり、
みんなを楽しませる取組をやるといいんじゃないかな。

時間数も大事だし
進まなければいけないこともあるかもしれないけど
あなたに伝えたいことは
「時間に追われていませんか?もっと楽しんだら?もっとみんなを笑わせてごらん」。。かな。

肩のちからをぬいて、深呼吸してから、俯瞰してごらん。
なにかがみえるとおもうけどな。
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久しぶりにブログを見てくれてありがとう。

2013-05-15 22:27:03 | Weblog
まもなく定年を迎える(あなたの仕事には定年がないですよね 笑)
同じ世代のあなたに共感してもらえると、
なんだかうれしくなります。

今の若者たちが
自信がないことの裏返しとして
ほかの子に対して優位に立った、
見下した言い方をするという
あなたの意見は同意できる部分があります。

ただ、
それは「今の若者」に限ったこと
だけではないような気がします。

広小路で同じ空気を吸っていた
遙か昔にも、そんな若者はいたように思います。

僕自身がそうであったようにも思うし、
ただ僕やあなたの近くにはそれほど多くなかった
という程度のものではないでしょうか(笑)

ただ、誰かと関わりたいと思ったとき、
その表現方法やアプローチの仕方が
稚拙になったのかなって感じることはあります。

その原因がITによるものだという
あなたの考え方を否定できるものを、
確かに僕は持ってはいません。

ICTの進化が使う人間の対応力を乗り越えてしまっている
という実感は確かに持っていますから。
そのうち先生って言う仕事はなくなるかもしれないねって言う
あなたの言葉が現地味を帯びてきているからかもしれません

技術力優位や学歴優位を意識しすぎて
「自分が何かできること」が
人の価値を決定するものだと思いこんでしまうと
「個人としての技能スキルを持っていない人」が
無能に見えるのかもしれませんね。

けど、何か足りないような気がします。
「人のために」って文字かな?
「自分が何かできること」より
「自分が人のために何かできること」っていう感じですね。

このあたりのニアンスは
日本語よりあなたの得意な英語の方が伝わりやすいと思うので、
いつか出会えることがあったら英訳しておいてください(笑)

あなたの引用してくれた「ある日の新聞記事」
愚痴をたれ流す系の人に、
解決策をアドバイスするのは逆効果。

「単にかわいそうな自分を見てください」
「苦しんでいる自分に同情してください」と言いたいだけ。

下手に核心を突くと面倒くさいことになるだけ。

「あなたも大変ね」「よく我慢してえらいね」と
当人をねぎらうのが、
その人にとっての深刻な苦しみをやわらげてあげる
大人の優しさであり、災難から逃れる近道。

この年になっても
大人の優しさに気づいていなかったことに反省しています。
受容がその人に安心感をもたらすという関係の中で
形骸的な人間関係を築いていくことが
大人の優しさだったんですね。

僕には大人の優しさが欠けていたとようやく気づきました(笑)
最後にあなたの贈ってくれた
「あなたは詩人ですねww」という言葉、
どう咀嚼していいか、とまどっています。

僕のブログには「師」については
語ったことがありますが
「詩」は 書いていませんので(笑)
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新米先生 元気か part2

2013-05-14 20:46:10 | Weblog
 落ち着いてきたのは
「あと、○○ができました」と
最後に申し訳程度に知らせてくれた事柄のおかげだと思います。

忙しいか忙しくないかは、
自分のメンタルな部分に
余裕があるかないかで大きく感じ方が違うように思います。

決して時間があるかないかじゃないとおもうのですが(笑)

「怒る」と「叱る」は違いますよね。
「怒る」は自分の感情に流されて、
その感情を相手にぶつける行為なのかな・・。

 「叱る」は教師に必要なスキルだけど
「怒り」は内に秘めておいた方がいいかもしれないよ。

 自分の中で「怒り」を昇華する方法が見つけられるといいね。

 僕なんかは「怒り」を直視しないで
スルーすることに慣れてしまっているのかもしれないけどね・・。
それを「大人」というにはおこがましすぎるほど
「怒り」を忘れてしまっているって感じかな。

 あなたは若いのだから「怒り」を持つことは自然だよ。
でも怒らないで上手に叱る方法を手に入れてほしいな。特に子どもたちには・・。
「大人」相手には上手に身につけている部分もありそうだから(笑)

 「ほめること」と「しかること」は、
「受容」と「要求」、「母性」と「父性」といった
対比の中で語られることが多いけど、
そんな文脈の中で、どちらを選ぶべきかなんて
悩んでも仕方ないと思うよ。

 先生を続けていくなら「両方必要」なんだから。

 相手と状況に合わせて使い分けることが大事で、
こんなときにはこっちなんてマニュアルなんか
あるはずがないんだからね。ハウツー本の読み過ぎかもしれないな・・。

 特別支援を必要とする子に対しても同じだと思うし、
その子の周りの子どもたちへの
あなたの接し方の中でも同じだと思うのだけど・・。

まず、一人の子どもから、その周りが見え始めているようだから、
心配しなくても新米としては順調に成長しているんじゃないかな(笑)

 次はその子たちの親の気持ちを
どれだけ理解できるかだけど、
次のステージはまだ遠いかもしれないね。

 「あなた」を心に刻む子どもたちがいる。
やがて間違いなく、
その子たちが刻んだ「あなた」は
その子たちに「何か」を伝えるよ。
 
 教師って仕事は
短いスパンですぐに何かが変わるなんて楽な商売ではないかもしれないね。
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最初のターニングポイント

2013-05-03 19:59:09 | Weblog
家庭訪問がすんで初めての連休、
ほっと一息と言うところですか(笑)

さて、何クラスもある大規模校にいけて
ラッキーと思ってるあなたに、
ひとつ質問です。

学級園や学年園で栽培活動をしていると思います。

準備は学年みんなで協力してできたから、
多分、楽だったはずですよね(笑)

僕が若かったころは
若いのにやらせとけ的な先輩がいて、
そんなのは新米の仕事でしたが、
今は先輩が優しいから、
きっとみんなで協力して仕事してるんだよね。

ただ、聞きたいのは、
誰か連休に水をやるのかってこと。

学年全員が来る必要はないけど
水やりをしないでいると
栽培がうまく行かない場合が多いよね。

だから連休明けから
栽培活動を始めるってとこもあるようだけど
植え付ける時期を逃すと
必要な苗がないこともあるし
夏休みという長い休みも水やりは必要だよね。

生き物や栽培活動の世話が大変だからやらない、
なんてことは、なんかへんだよね。

だから水やりなんかの仕事が
大変なんだけど、
誰かがそれを知らない間にしてるんだよね。

そんなこと当たり前のことなんだけど
気づかないで
さっさと旅行に行くことだけを考えていると、
夏休みは順番に水やりなんて話になって、
そんなのいやだってことになるんだろうな。

植栽の管理は学校がするけど
学級園や学年園、生き物小屋の管理は子どもだけ
にやらせておけばいいという考え方は
基本的に成り立たないと思うけど・・。

学年全体というクラス複数分の仕事を
「ひとり」でやらなければならないことだって
当たり前にあるのが「大きな学校」だよ。

たくさん人がいるから
誰かかがやってくれている
その誰かになれるかどうか
そのあたりが
「いい先生」になるための
最初のターニングポイントだね。
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