おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

迷うこととなやむことはちがうんだよね

2008-02-28 21:02:22 | Weblog
遠くから眺めて、さてどっちにしようかなって、
迷うのはやめようと思っています。

二つの山を遠くから眺めてたって、
どっちの山が高いのかわかるはずがないし・・。

身体は一つなんだから、
どっちかのやましかのぼれないんだもんな。

先ず登り始めてみようって、
いつも考えることにしています。

登り始めればなぜか、
悩みがいっぱい出てきます。

この難題を乗り越えるにはどうしたらいいんだ?

押すのか?引くのか?

けど、なぜか悩んでいるときは充実しているんですよね。

迷っているときには、ただ無為に過ぎていった時間が、
悩むとあっという間に過ぎるように感じます。

自分のこと、人のこと、子どもたちのこと、仕事のこと
逃げ出したくなることもあるけど、
乗り越えたときの喜びがやっぱり、忘れられない。

どっちの山が高いかなんか、片方の山を登れば、すぐわかることなんですよね。

自分の登った山が、低ければ、もう一つの山を登り始めたらいいだけのことですよね。
登る前から、誰かにこっちの山は高いよって、教えてもらうことを期待したくありません。
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来年度も肩肘張らずにゆっくり研究しましょうか

2008-02-25 20:28:35 | Weblog
発表会ご苦労様でした。
T先生には試練のプレゼンでしたが
プレゼンソフトで表現することをこどもたちに求めるなら
最低限そのスキルを教師の側が持っていなければっていって言う
伝統みたいなものが僕たちの研究員会にはあるのかな(笑)
いい発表でしたよ。

後の同窓会も今年で3年目とってもいいものになってきましたね。
若いみんなの様子を見ているとたそがれてばかりはいられませんね。

ちょつと今後の方向を考えてみました。

年に何回かいろいろなお知らせを
大学の先生にしていますが
やっぱ一流と言われる先生たちは、
本当に謙虚で丁寧に僕たちのようなものにも
対応してくれます。

おかげで僕にとっては大学の先生に
個人教授を受けているようなものでずいぶん助かっています。

> 情報モラルの研究は奥が深く
> 袋小路に入ってしまいそうです。
>
> 今、社会が便利であること、便利になることが
> 幸せだと思ってきた時代から
> 豊かに生きることが幸せだと思う時代に移行しな
> ければならないような気がします。
>
> 便利になりすぎてかえって仕事が多くなったり、肝心なことに手を抜いていたり
> やる気をなくしているように感じることが多いのです。
>
> そんな時代にネットワークとPCいう何でもできる
> 道具やシステムを手に入れた子どもたちは、
> なぜ「そんなことをしてはいけないのか」ということすら見失い、
> 「あたりまえ」のことができなくなっているのじゃないかなって
> 危機感を持っています。
>
> 僕たちが目指したいのは特別なITのスキルやリテラシーが
> 必要な情報モラル教育ではなく
> 「人間としてあたり前のことができる子どもを育てること」
> であり「大事なことは道具として使う子どもたちの心をどう育てるか」
> だとおもうのですが、

って少しうかがってみると、そのとおりだと励ましていただきました。

「自分たちの考えに偉い先生が賛同してくれるってものすごく自信になりますよね。
研究員の先生たち、僕たちの情報モラル研究の方向は、間違ってはいないようですよ。」
なんて研究員の先生に伝えると、

「おっさん先生の発言もっともだなぁと思って読みました。
何よりも、子どもと社会を繋ぐ2番目の大人が教師だと思うのです。
もちろん子どものポテンシャルをあげることも大切なのですが、
それ以上に社会を信じることや人と人とのつながりの良さを感じさせたいと思っています。そして、がんばることの大切さややりきった充実感を味合わせたいものです。
様々な価値観のある中で、ぐらつかないものをしっかりと繋いでいきたいものですね。」

なんて素敵なレスがすぐに返ってきます。
肩肘張らずにゆっくり研究していくことも大切ですね。
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黄昏 パート2

2008-02-21 22:37:49 | Weblog
古い中国のことわざに「最初に井戸を掘った人の恩を忘れるな」という
言葉があると聞いたことがあります。僕にとってはN氏が「井戸を掘ってくれ
た人」だと思っています。本当にありがとうございました。

ようやく教頭職も二年目が過ぎようとしています、いよいよ現場に戻ってきた喜びをかみしめています。やっぱり現場はいいですね。

もうすぐ桜の季節思うこともいろいろあります。

単なる一地方の教頭が教育を語ることなど
出しゃばりすぎているのではないかとこの頃よく思います。

あと7年で退職って思うと、なんか
桜の散り際に惹かれ校庭の桜をじっーとみてしまいそうです。

僕は教師になって何がしたかったんだろう。何ができたんだろ
うと、ちょっと考えたりします。

僕の尊敬する先輩が、副校長で一緒に転勤したのですが、
去年教諭におりて中学校で理科を教えることにしたといいました。

高校で中学校出身の先輩がつらい思いをしたのかどうかはわかりません。
ただ、まじめな彼は耐えられなかったようです。

ポジティブに生きる人ばかりが幸せになれるとは思っていたくありません。
ネガティブでも先輩は幸せであっていてほしいと願っています。
俺はポジティブだと笑うかもしれませんね。

後の残りの時間でなにができるかな・・なんて考えてる自分が
なんだか老いているのでしょうか

咲き誇る桜より、美しく散る桜になぜか惹かれています。
いつまでもお若く元気な先生を見るとうらやましいですね(笑)
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すこし 黄昏れています。

2008-02-18 21:25:34 | Weblog
辛いと言う字に一つ横棒を足したら
幸せと言う字になるって知ってたかな。

そのひとつ足したものが大事なんだよな。

ある人にとってはそれが出会いであったり、

ほんの一歩前に出る勇気だったり・・。

いろいろあるんだろうな。

たった一本横に線を引くだけで
新しいスタートが切れるんだよな。

けど幸せからひとつぬけたら
辛いという字になるのもあり かな…。

旅立ちと別れの季節に
また、たそがれてしまいそうです。

いつもそばにいてくれた人との別れは、
やはり寂しいものですね。

またガラスの少年病だといわれそうですね(笑)

頑張れ!!

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向きあうこと

2008-02-03 22:50:08 | Weblog
教室で子どもたちと向き合うことが大切なのは教師なら誰でも知っている。

対面授業という伝統的な指導方法はもとより、
個々の子どもたちと話すときも指導するときも
、カウンセリングなど特別な対処法が必要なときは若干違うとしても、
お互いの目を見ながらするのが基本だと思っている。

対面して行う会話や授業を大切にしたい。
でも、子どもたちの生活スタイルは変化してきている。
同じ画面を見ながらゲームをおこない、会話を続ける子どもたち・・

機械と向き合っているが隣の友達とは向き合うことは少ない。
ついこの間までの我が家の朝の食卓では
、母親は台所でまな板に向かって話をし、
子どもたちはテレビに向かって返事をしていたし、
父親は新聞に向かって黙っていた。

塾を経営している友人と話していたときに
、子どもたちは車の助手席で
ハンドルを握っている母親や父親との対話を軽い食事をしながら楽しむ
と言うことを聞いた。

前を向いて運転している横顔に話しかけているらしい。

学校にITが導入されると聞いたとき、
一番違和感を覚えたのは、子どもたちがズーと機械と対面してしまうようなことに
ならないかという危惧をいだいたからだ。

今、子どもたちは
人と向き合う機会が少なくなってきてはいないだろうか・・。

むきあって自分の思っていることを話す、
伝えると言うことが、恥ずかしいという言葉で覆い隠されていることが
多くなったような気がする。

難しい概念としてではなく、
人としていきていくうえで基本的なことが何なのか
を問い直すときがきているのかもしれない。

コミュニケーション能力とかソーシャルスキルとか
道徳心とか自己規制力とか徳育とか、
いろいろな概念が一つの方向を指し示しているのたが、
それを子どもたちに身につけさせるための実践方法を示すことの難しさを感じている。

中教審はどうやら道徳を教えるために各校に教師を配備することを決めたらしい。
人を配備してくれることはうれしいが
配備された教師が道徳心のないことから起きる事象の対応係になったり、
道徳を教条的に教え込むだけのものにしないための何かが必要だ。

「徳育」を実践的道徳心の体得ととらえるなら、
それを指導する教員にも哲学や実践的道徳心が必要となってくるのかな。

けど、そうしたものが今の家庭や社会で価値として認められなくなっているという現実をぬきにして、
学校にだけ道徳の教師を増やせば何かが変わるのだろうか。

けど、はじめなければなにもかわらないだろな、やっぱり・・・。
さて、なにからはじめよう。
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一握りの勇気

2008-02-02 22:28:48 | Weblog
近すぎると
その人の大きさが見えないことがあるようです。

親しみの気持ちが馴れ合いになり、
お互いの心のフィルターを曇らせてしまうのかもしれませんね・・。

詐り親しむことはお互いの心に傷をつけあっているだけなのかもしれませんね。

言えば傷つくだろうとか、
恥ずかしいからいえないというのはいいわけですよね。

ほんの一握りの勇気がなくいいえないだけだと
いうことをあなたは本当は知っているはずですよ。

ありきたりのこんな言葉でしか励ませなくてごめんなさい。
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