おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

コリアンタウンの散歩

2024-07-10 08:02:48 | Weblog
今日は桃谷から鶴橋まで散歩。

商店街を通り抜けて少し歩けばコリアンタウンに行けるはず、と遠い記憶をよみがえらせた。
アジアの料理店が多くいろんな国の料理が食べられそうな商店街、ここにも海外からのお客さん、でも買うのは和菓子、納得する。

商店街を、抜けると大通りを左に確か市場があったはず、でもその前に旨いお好み焼き屋さんが。
あった❗まだ豚玉550円






ちゃんと案内板もできてる。
珍しいキムチがたくさん売ってあるので、帰りの京阪電車のなかでじろじろみられるのも気にせず旨いキムチを食べることを優先していた頃を思い出した。







最近はいろいろな店が出来ているようだけど、昔からの店もあったし、梨や桃のジュースも、激辛のインスタントラーメンも買えたし満足満足。

裏道を通って鶴橋のガードしたに到着。ちょっと長い距離にかんじたのはとしのせいなんだろうな。


賑やかになった鶴橋の商店街から近鉄の駅の横を抜けて帰路に。一駅の旅でした。







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ローマ字表記って難しいですよね。

2024-06-22 16:15:44 | Weblog


河原町塩小路から八条口に向かう国鉄の高架、いわゆる「たかばし」にある新福菜館はネギ入れ放題で有名だったけど、京橋の店では100円のトッピングになったようだ。なんだか寂しくなった。

1号線にある大好きなラーメン屋さん横綱ではまだ、ネギ入れ放題は無料。ほっとする。


この店のいつもはあまり気がつかなかったのですが漢字表記からローマ字表記になったようです。

でも、
こんな表記も。インバウンド対策かな。
ヘボン式のローマ字って覚えてたけど、ヘボンてヘップバーンて読めるんだよね。耳で聞いた言葉を文字にするのは、今も昔も変わらず難しいことなんだろうな。
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出町柳辺りの散歩

2024-06-21 14:58:21 | Weblog
久しぶりに京都へ。

大学時代に良く通った昔懐かしい荒神口にある法務局に行った帰りにふっと、卵サンドが食べたくなって出町のあの店に行った。

今どき珍しくもなくなった水だし珈琲のセットもそのまま、味はブレンドでお任せ、ありきたりのお店だけど、何故かほっとする。
ならびにある酒屋を覗くと、手書きのチラシ、

無濾過四段仕込みの文字に
今晩の晩酌が、決定

外から見ただけならここが酒屋だとは知らずに通りすぎる人もいそうだけと、中で立ち飲みできる貴重なお店。
結構このあたりは面白い店がある。

あてを探しに商店街に、いまだにアーケードにかかれた文字が読めないから出町の商店街。二葉の塩大福が、有名だけど、その横の短いアーケードが面白い。

鯖寿司がうまい店




映画館に古本屋。昔の京都なんだよね。
うまい蕎麦屋もある。

そしてカラフルな果物屋さん

日本酒にとっても良くあう湯葉のお店を教えてもらったが、そこは教えないでおきます。








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意見を貫く

2024-06-12 09:41:09 | Weblog

自分の意見を貫くのと、自分の意見を押し通すのとでは少しイメージが違いますよね。

かたや信念の人、かたや強引な人、同じことを話していても受け手によって作られるイメージもありますね。とくに反対の意見を持っている人には・・。

僕なんかわがままで強引に自分の思い道理にしようとするタイプですから「ミニ小沢」とカゲでいわれているらしいです。

議論は好きですが、女性と議論する場合、感情が入りすぎるのには自分でも閉口するときがあります。

 私は腹が立って、「反省会は当日しないと決めたでしょう!」といいましたが、心の中では思っていても、言葉に出して同調してくれる人はだれもいませんというあなたの意見には考えさせられることがたくさんあります。

腹が立ったときにそのまま自分の思いをぶつけるという文化は日本にはないのだそうです。腹が煮えくりかえっていても笑顔でいることが美徳とされ、腹芸のできる人を賢人と呼ぶのが日本の風習です。僕にはできませんが・・。

知らない間に大人ってだんだん強くなっていく・・・(笑)

強くなりたい、ならねばならない。と思いすぎないことも大切なのかも・・。

柔らかな草は風になびきますが、堅くなった木は強い風で折れてしまいます。

 TVの番組の中である夫人が、日本人の会議は権力のある人に皆流れるように同調して、自分の意見を言える人がいないというようなことを言っていましたが、全くその通りだなと思いました。はっきり物を言うおもしろい人ですね。でも忖度される立ち位置の人なのですよね。

自分の意見があっていえないのなら、まだまだ日本は捨てたものではないのです。

自分の意見すら持たない人が増えているような気がします。賛否の基準が発言者の権威に左右されていることもあるし、単に好悪の感情の問題にすり替えられていることもありますよね。

優しい気遣いと思いやりが和の心ですから・・。

否定的な意見はいつも堂々と簡単にいってるけど、人のために建設的で前向きな意見を信念を持っていえる人は、本当に少ないですね。

たしか日本の野球とアメリカのベースボールを比較した人がチームにおける意見の出し方の違いが文化の違いになるというようなことを行ってましたよ。ベネディクトさんの菊と刀だったかな。

議論をするときのお互いの信頼感が重要ですね。信頼感のないもの同士の議論は不毛で悲しい茶番劇ですよ。

「保護者と議論ができるだけの信頼関係を作ってください」このごろ僕が先生たちに説教している言葉です。

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こころの勉強

2024-05-14 17:16:55 | Weblog
 コロナの前に若い先生たちとソーシャルスキルトレーニングの本を出したいねとみんなでワイワイやっていたのですがコロナで終わったままにしていた原稿があったのでとりあえずnoteでアップしておきました。

 テキストベースのプリントがまだ学校現場では有効なようなので無料で手に入るテキスト教材を使ってのトレーニングを考えました。

 すでにテキストベースでのWeb教材はできていたのですが、Webの教材も算数や国語といった「勉強モノ」のニーズが高く、「こころ」や「なかま」といった領域については専門的な支援学校の先生や支援担先生が利用されているようでした。

 
本来は保護者のかたも一緒に考えることができるプリントとして開発しました。特にcommunicationが苦手な子どもたちが家庭で話し合うきっかけになればと考えました。

 でも、通常学級での利用は「教育相談」スキルの高い先生に限られているようでした。先生たちは忙しいのかもしれません。

 通常学級のクラスづくりなんかでも有効なので、今回、指導方法も少し付け加えてマニュアル化したものを無料公開しておきます。

 学級指導などで通常学級でも使えると思います。障がいのある子どもも、ない子どもも一緒に学級で学べる教材になればいいのですが。


「どうするの?」トレーニング|jiji

「どうするの?」トレーニング|jiji

はじめに  本稿では筆者らが公立小学校において実践してきた「情報モラル学習」や「シチズンシップ教育」、「特別支援教育」や「人権教育」という従来「教科外」という領...

note(ノート)


制作にご協力いただいた先生方ありがとうございました。
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幸せのおすそわけ

2024-05-02 21:22:05 | Weblog
今年はきっといいことが起こりますね。



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確かにやめる先生っているよな

2024-04-22 20:37:49 | Weblog

 でも、それって若者の特権なのじゃないですか。そろそろミドルで、「最近の・・は」なんてフレーズが身についてきたのかな笑

自治体退職者10年で2倍 目立つ若手、待遇不満も(共同通信)

 このような記事もよく見かけますね。このデータ、あなたならどう読み解きますか。グラフの読み取り、最近の小学校では必要とされているOECDのいうところの「読解力」ですよね。

 僕もあまり読解力はないので「感想だけ」伝えます。
データには教職員は入っていないはずですね。この記事を読んで、他者への奉仕(全体への奉仕者)や公共という意識はその事を担う根本的な価値を持っていないと「奉仕を受ける権利」「公共のサービス」という側面しか見えなくなり「全体へ奉仕や公共の仕事」を行うことに若者の「生きがいは」は生まれ来ないかもしれない、と思いました。

 教師という仕事も、やればやるだけ時間がかかる仕事で、時には時間を忘れて没頭しなくてはならないことがあります。ただそれが常態化するかどうかは個々の力量や立場も影響しているようにも思います。

  教師の世界にも働き方改革が適用され、時間外勤務の制限が大幅に厳しくなり、管理職は管理実績を上げるためかその遂行を機械的に指示することだってあるはずだと思います。

 さらに勤務時間というより残業のない時間での業務の遂行が求められていきます。国の「働き方改革」が「施策」ですからね。法律に基づいて勤務し賃金を得なくてはならないので、ひょっとしたら、一旦帰宅してから学校に戻り生徒指導事象がおこってから対応するという事態がおこるかも知れませんね。政策を政治家が作っているように思ってるようですが、実際は官僚が作っているから、どの政党が政権を取ってもそれほど変わらないのが日本の政府だということはあなたも知っている通りです。

 すでに「育児休暇(夫婦とも)や育児保障のための軽減措置」を「管理職やそれに準じる主任」にもとることができるずです。昭和の時代に40人の学級で先生していた僕なんかには想像もできないほどの条件緩和ですね。4%の残業代も10パーセントになるとか。昔と比べたらいけないですよね。

 でも、一般の会社なら「営業部長や営業課長」がそうしたことができるのでしょうかね。また「先生は優遇されている」といわれるのでしょうかね。僕はむしろ先生たちがバッシングされないかということの方を心配します。意外と保護者との乖離はこうしたお互いが「おかれた立場を理解できにくくしている関係」から始まることが多いということも知っておいてください。
 
 「教師の常識は世間の非常識」といわれたほど「世の中の人が置かれている状況」を理解できず自分の教師になるまでの経験と学歴だけで「リスペクト」されることが当然だと思い込んでいた先輩たちも見てきましたし、何も言わないけどみんなから「リスペクトされる先輩」もみてきました。

 今まで一人が10の仕事を受け負っていたのに8でいいといわれたら全部で40の仕事は4人ではなく5人必要になります。一人が10の仕事ができていても4人なのですが、もし一人が7の仕事しか請け負えない人がいた時どうしていたか、4人しかいなければ「誰か」が「黙って足りない分を受け持つ」という美学を持つ先輩が「昭和」の時代にはいました。「機械的な平等論」「一律の負担軽減論」ではなく、「やくざ映画でよく見たことのある美学」に近いものだったのかもしれません。 

 だから学校が人手不足になるのは当然のように思います。過重労働を防ぐための改革ですが、生きがいのないサービスを生み出すならやりがいのない仕事に公務員や教員がなるのは当然で、こうした議論を行わず3Kの議論にすり替えるマスコミの論調は少し気になります。

 公務員をすべて民営化するべきだという議論ならまだしも、ですね。公共サービスを担う人たちの生きがい改革、金で解決しようという方向より、やりがい改革を考える時なのではないでしょうか。

 組織のトップの意識改革をするのなら組織の構成員が納得できる方向を示さないでこれが「正しい」と押し付けることはもううんざりですよね。そんなことは今に始まったことではないようにも思います。学校という組織だけでもないし先生の世界だから許してはいけないことではなく、組織というものが持つ構造的な「必要悪」みたいなものだと思ってきました。伝える人との人間関係で構成する人たちの印象も変わります。

 アメリカではこうした印象操作まで大統領になるためには必要だといわれていますよね。アピールしたもの勝ちの世界は日本人には馴染まないものなのかも知れませんね。

 ひょっとしたらそんなことを考えない公共サービスロボットの業務にすり替えて人員整理をするための前段階かもしれません。たわごとです笑

 もっと金さえくれればもっと頑張れるという先生もいるけど「何で」「どれだけ」頑張るのかを親や子どもたちに示す「実力」があるらしいので、そうした方たちの「評価」こそ、むしろロボットの出番ですね。

 あなたは人間的魅力も実力もない管理職はいやだ声も出さずに負けていいのかな?

 そんな若い先生が増えていくと、生成AIを活用した都道府県の教職員の勤務評価ルールに基づき数値化された客観的教員の業務評価の導入がおこなわれるなんてこともあるかもしれません笑

 現場を知らない研究者の先生が「ロボットによる教員の客観的評価制度と賃金への反映」というテーマとして面白いの論文を書けば科研費がとれるかもしれません。発表しても相手にしなければいいのですが、もしそれが、真面目に教授を目指す大学の若手研究家や一流大学の看板を背負った教育学や教育工学、教育経営学という専門分野の高名な学者さんだったら?冷や汗が出ます。

 今から思えば、僕は幸いなことに、人情味溢れる(溢れすぎて、ときには、暑苦しかった😀)先輩と自立した後輩たちに恵まれたから、先生という仕事が楽しかったのかもしれませんね。まだ、こうして毒をはいてます。

 あなたの問いである、やりがいがいつから「生きがい」になったのかは分かりませんが、結局は人との出会いなのかもしれません。
 
 あなたの言うように古い「師弟観」なのだと思います🎵だけど、誰がをリスペクトできるって人生を明るくしてくれますよね。もしだれかがリスペクトしてくれたら、もっとワクワクしてしまいます。子どもたちがリスペクトしてくれる、親たちかリスペクトしてくれているということの実感はある意味で教師という仕事の醍醐味でもあり、一度知ってしまうとそうあり続ける原動力でもあったように思います。

 周りの先生なんかどうでも良かった😀だって周りの先生でもリスペクトできない人もたくさんいたから。管理職の先生なんか仕事で本音が話せないのは可哀想だとさえ思ってました。
 
 管理職でも先輩でも、「令和」だから質が落ちたのではなく、仕事への向き合い方は「昭和」も「令和」もそれほど変わらないと思いますよ。


 まして採用倍率は関係ないからね😃

 ただ声を出せばこちらがやられる可能性があったのが「昭和」、タブーを守り従順であることが求められた時代だったから「覚悟」(ある意味での仕事を辞める決意)と「力量」がないと声が出せなかっただけ。

現場の声が上に聞こえないのは昔も今も官公庁の仕来たりみたいなもの。織田さんが映画で「事件は現場でおこる」って叫ぶ場面カッコいいと思ってました。でも、こんなのやったら万年ヒラだなとも。

 今は令和、よほどのことをしない限り辞めさせられることもないしハラスメント委員会も機能しているかどうかは別にして、間違いなくあるし。
 
 なのに今もそうした悪習に怯える子羊たちが群れをなしているのかな😀

なんかちがうよね🎵したたかに😀ですよ。

「みんなが言っている」「なぜ自分だけ・・」

せつかく受かったのにやめるのはもったいないよねって話です。

 今よりも月給がよくって、今よりも福利厚生がよくって、どうしても「あなた」が必要(欲しい)といわれたのならそれもありだし、その仕事にやりがいや生きがいを感じられる自信があるのなら別に止める気はないよ。

 ただ、自分が「にげてる」とか「〇〇にまけた」「誰 誰が悪い」なんて理由で思ってるのはカッコ悪いと思ってるだけです、昭和ですから笑
 
「働き方は厚生労働省」の管轄、「教員の働き方」は文部科学省、なら「子どもたちが生きがいを感じる働き方」は「どこの省庁」が担っているのでしょうね。

 縦割り行政を批判する学校の先生も「縦割り集団の育成」や「教科担任制」という縦型構造だけに頼っていると、なんて考えるのは年寄りの冷や水ですね。

 縦も横も斜めもクロスして考えてきたから「先生」と呼んでもらってきたってこと忘れてるんだろうね。

少し前(R3)に調べた時、
教員の離職率は
20代: 約5.2%
30代: 約2.6%
40代: 約1.6%
50代: 約0.8%
でした。
公務員は
20代:5.5%
30代:4.1% 
40代:1.6% 
50代:1.3%
一般は 少し元の資料が違うので正確ではない(非正規雇用も含まれているかは不明確)けど
20~29歳 :6.3%
30~39歳 :0.7%

こうした数値からだけだと「若い時は離職する」ということは読み取れてもなぜ辞めるかはわかりにくい。
 
 「上司の圧がきつい」とか「同僚とうまくいっていない」とかじゃなくて「サービス業なんてやりたくない」という「他者と関わる仕事への違避感」がなんとなく見えている資料はあるのだけど。

 もし、そうなら、仕事の求めるものと「あなた」の求めるものとが違うわけだから、むしろ早い段階での転職が周りのためにも、あなたのためにもいいかもしれない。

 確かに教育の場では、職業への情熱と使命感という言葉もよく聞きます。採用試験で小論文でよく出てきますから、でも使命感も情熱も「ベクトル」を間違ったり見失ったりすると子どもにとっては厄介なものになるのです。

 性善説の親たちは子供たちの成長と学習に貢献したいという強い使命感を先生は必ず持っていると勘違いするし、学校で出会うかもしれない高倍率の就職氷河期を乗り越えた官僚的な管理職はこうした職業的意識をプロ意識と混同し強要したり期待したりすることだってあるのです。

 情熱は、教育現場での長期的なキャリアを支える一つですが「教師という職業」に幻滅と幻想を抱くとすぐに消えてしまいます。「リアル」を先生になる学生に教えられないで、採用試験の模範解答となる「理想の教師像」しか伝えられないなら「教員育成大学」なんて不必要で、インターンシップで学校現場に行った方がいい。そこで事前に「あなた」が耐えられるかどうか確かめるべきだったと思います。

 安定性と給与は間違いなく教師という職業の魅力の一つです。特に、公立学校の教員は給与や福利厚生が整っています。このことに気づいた若い先生は意外とやめないのです。
 年休がとりにくいとか、サポートが少ないとかいろいろ言いますが、ちゃっかり海外旅行ができるぐらいのことは、今でも可能なのです。
 たしかにバブルの時、同世代が信じられないほどの給与だったので羨望したことはありました。でも同世代の勤めた証券会社はバブル後倒産しましたが、日本国はまだ倒産していません。若干危なくなっているのは事実だとしても、まだあなたが定年退職になるまではあるはずです。

 仕事のサポートを無料で受けるシステムはあります。それを使うか使わないかも自分で判断できます。最低限度の教師であるためのノウハウは必要ですが、それがあったから採用試験には受かったはずです。
 倍率は時代の要請でたいしたことではありません。駅前の英会話教室に通う一般企業の会社員は「海外で働くために自費で通う人」もいれば「より高みの仕事を目指すためやスキルとして自費」で通います。
 「忙しいから」「代わりにクラスを持ってもらう人がいないから」「興味がない研修」「強制されるのは嫌い」と「自らの権利を義務と混同して放棄していると」当然子どもたちは「教育を受ける権利」を、親たちは「教育を受けさせる義務」を混同してしまうことだってありうるのです。
 世界にどれだけの子どもが「教育を受けたいのに受けられない」でいるのかが頭ではわかっていても理解できない先生になっていませんか。
 教員のプロフェッショナルな成長をサポートするプログラムやリソースを提供されていても自己成長を実現できないとしたら、その要因を探ることも必要ですよね

 学校という先生のコミュニティでは同僚のサポートが必ずしもあるとは限りません。大人ですから同僚と協力し、学校のコミュニティで支え合ってはいます。
 でもそうした良好な職場環境を作る努力をせずに、自らの要求だけを優先するなら、自立した大人として同僚は認めるでしょうか?
 あなたがリスペクトしない同僚はあなたを当然リスペクトしてくれません。
 立場や利害関係だけでの批判や不満は、相手にも不満感やストレスを生み出します。
 だからといって言いたいことも言わず、無視すれば「しかと」をいじめだと理解できない子どもたちと同じですよね。
 ベテランたちは「職員室のあなた」が「教室のあなた」であることを知っているのかもしれません、安らぐことが必要なので「子どもたちのいる教室」の方が安心できるのだろうと。

 子どもとの関係はいいに越したことはありませんが、あなたが与えたいと思っているサービスと子どもたちが学びたいと思っていことがすれ違うと教室は「沈黙の場」になります。
 優しい子どもたちはあなたの与える素晴らしい授業という時間に「沈黙」というマントを着て、その時間の過ぎることを待つことだってあるのです。
 コンピュータの与えてくれる知識や進学のために親たちが高い授業料を払ってくれる塾の先生のおかげで、あなたのサービスが評価されることだってあるのです。
 あなたが「本音」で接しているかどうかを子どもたちは見抜く力があると僕らは先輩から教えられてきましたが、そんな言葉は学力修得だけしか見えない先生には馬の耳に念仏だったのでしょうね。
 成長はテストの点でしか見られない、ですか。もしあなたが公立学校の先生なら、学力テストを批判する前にテストの点を上乗せできたとい事実を示さないと誰もあなたの言葉に賛同しなくなりますよ。

 政治に関心もなく施策や政策についての知識がなく「社会」という教科を教えている先生はいないと思いますが、教育制度の改革や政策の変化は時代とともに常に行われています。
 新聞を読む時間もないほど教科のカリキュラム消化のための素材探しのための時間を教材研究と主張するなら、どれだけの授業時間と教材研究の時間が「あなた」に必要なのかを「あなた」が子どもたちや親に示し「納得」させなければならない時代になっていると思います。
 医師ですら治療のために伝えることに対する「エビデンス」が要求される時代なのだといいます。

 「専科」なら簡単なことだと思いますが「専科」以外の教科も持たなくてはならない小学校の先生は本当に大変ですね。単純に持っている免許があるからとか「全科」の免許を持っているからとかいう理由で「専科」を持たされるならやめた方がましだとか言うことができる先生がいることや「専科」をもてない先生がいたり持てる先生がいなくて「講師」や「2級免許修得者」で穴埋めなんてことを考えるとそれが「ブラック」といわれる「正規雇用者と臨時雇用者との格差」を生んでいるんだなんてことに気づけない偉い人たちがいるのかもしれませんね。
 
 結局、先生たちも 子どもも、親も、偉い人たちもマスコミもみんなが、学校や先生を「奉仕だけすればいいもの」にしてしまったことが本来の学校が担うべき任務を提供できない状況に追い込んでしまっているように思います。

誰のせいだと犯人捜しをせずに、みんなで何ができるかを考えるのが「令和の日本型教育」のはずですよね。

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春ですね

2024-04-05 16:26:16 | Weblog


京都で飲み会。少し時間があるので四条から三条まで高瀬川沿いの桜でも見ますか。四条を降りたら外国語の洪水。やっぱり鴨川の等間隔デートは珍しいようで写真スポットみたい。山紫水明なんて言葉は今の鴨川には似合わない。

今はドラッグストアになった不二家の角を高瀬川に沿って上がる。高瀬川沿いの桜は繁華街にあるから人手が多いだろうけど、今年はまだ満開てはないし、平日の昼間だしと思ったのが失敗だった。




昔よく通った店がまだあるのか、確認のため路地をうろうろ、まだあった。
自分の生存確認が必要なのに、昔通った店を探す自分に少し笑える。


さすがにインバウンド京都、回りは外国語が飛び交ってる。旧立誠小あたりでほっこり、確かこのあたりに香水の店があったはず、中に坪庭があってコーヒーも売ってるからここで小休止。

今日の行きたかった店は六曜社。ど甘ったるいココアが無性に飲みたくなっていた。禁煙をしてもう長くなるが、なぜかいつも一階の喫煙席を選んでしまう。座れば灰皿とマッチ、このマッチが好きで若い頃には部屋にたくさんあったっけ。


相席も昔のままのシステム。以外と若い人が多くて、ドーナツが人気らしい。違うのは1.5倍になった値段ぐらいかな。何も変わらない景色がいい。

ちょうど店にいる時に息子から明日孫をつれてきてくれるとの連絡メール、春は心がウキウキする季節だ。



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海を見に行こう

2024-03-07 21:35:10 | Weblog
ちょっと海が見たくなったので阪神電車に乗ることにしました。

とりあえず淀屋橋から梅田に。

見上げるこのビルの表記大阪らしくて好きです。


甲子園はやっぱり阪神電車に乗って行くのが大阪あるあるかな、知らんけど笑


阪神電車の小さな心遣いこのびじが当たらないカーブがいい笑





途中、駅から直ぐに行けるお城があることを思い出して尼崎で途中下車。残念ながら公立の建物なので月曜日は休館日笑。駅から五分でつける城は関西には、ここしかないのに、残念。

目的の元町に到着。メリケン波止場で神戸ビーフのコロッケとカツを頬張りながら海風を感じていたのだが、少しまだ寒い笑

もう50年も前のことだけど、学校の景色より神戸の街の景色のほうが好きで仕方のなかったことがある。

駅の近くてコロッケを買って、メリケン広場で海を眺めて食べながら、さらに南京街でちっちやな肉まんを食べるか生田神社の前で平壌冷麺を食べるか悩んでから、高架下を花隈までぶらぶらするのが、お決まりのコースだった



駅前のこの店コロッケとカツは旨い。歩くのが少し億劫になる歳になったので、南京町を通りすぎておしゃれなバスで一回り








目的の元町駅に戻り、高架下へ。




まだ昼間なので、ひとどおりがないのかそれとも震災で寂れたのか。

高架下という言葉は震災のあとMOTOKOという表記になっていたが、多分、元高架下という意味もあるのかもしれない。

昼間だったので開店している店は少なかったが、初めて沖縄そばを食べたのもこの高架下だったし、米軍の払い下げ物資や衣料が格安で手に入った。珍しい輸入版のLPレコードも手に入る場所だった。







ぶらぶらしていると、昔と同じ面影を持つ店を見つけることがてき、一安心。ゲバラのワッペンとどこかの国のワッペン、それにボブディランのCDを買って、お土産にはあの有名店の豚まん笑 楽しい一日の散歩でした。



















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散歩会

2023-12-17 10:20:05 | Weblog
久しぶりの散歩、コロナで中断していた老人3人の散歩会

今回のコースはJR高槻駅に集合して、今城塚古墳を散策、そのあと高槻に戻って城下町ブラブラ、しろあと歴史資料館見学、晩飯はイタ飯でというプラン。





歴史資料館をまず、見学。そのままとなりの古墳にむかう。

今城塚古墳は、前方後円墳。国の史跡に指定されている。 けっこう大きな古墳である。

第26代継体天皇陵とする説が有力なのだが立ち入りができ、散歩する人たちが曇り空にもかかわらず沢山見かけた。

マスコットキャラのネーミングが「継体天皇」説に、ひっかけてか、「けったいなオッサン」なのには大阪らしさを感じて思わずニヤついた。

沢山の埴輪のモニュメントがあるのも嬉しい。ただ、大型の筒状埴輪をたくさん並べてあった(6000あったと想定される説明板があった)が、その必要性はいささか疑問だった、


高槻駅に戻って城下町をぶらぶら、有名な甘味堂があると聞いたので覗いてみたが、行列がてきていたのでまたの機会にすることにした。


しろあと歴史資料館には藤井聡太八冠の色紙があり、高槻は将棋好きの老人には聖地らしいことを知った。






城好き老人が展示物の前に立ち止まる。
今年、水不足で干上がった琵琶湖の坂本城跡でみえている城壁の基礎部分と同じ基礎部分をみることができ、話が弾んだ。オタクな趣味を持つじっさまたちの密かな楽しみ。

半日の見学のあとは、駅に近いお店で夕食。ここで盛り上がったのが、料理ではなく、点滅するエレベーターの表示。昇降する階の番号以外に規則的に他の階の番号が点滅している笑

もし、意図的にプログラミングしているなら素晴らしい。

満席になっていたお店からの帰りも同じ表示されていたので常連さんは何とも思ってないのかな。
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