おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

ささやかな酒宴

2015-07-25 23:25:52 | Weblog
決断ができないのなら、
それは細やかな配慮や優しさではなく、
優柔不断や甘えだよね。

安定は
不断の努力の上に成り立つものだと知らない者は
頽廃の坂道を安穏として転がり落ちるものだよ。

過去と現在と未来が連続すると信じていない者は
今というの一瞬の中にそのすべてが含まれることを信じない…かな。

ようやく前期豊中での講座が終了
とにもかくにもやりきった自分に
ささやかなご褒美。今日のビールは、うまい。。
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校内研の季節ですね

2015-07-24 21:01:12 | Weblog
G小学校での校内研修に参加。

若い先生たちの前向きな息吹を感じる。

終了後の晩飯は粋な店で。
ただ車で来てしまったことを後悔した。。

帰路、ふっと、
最後の決めぜりふを言えなかったことに気づく。。

最後に熱く語ってくれた
校長先生の言葉に意気を感じ話せなかった。。かな

学べることに喜びを感じ、教師という仕事を楽しめるといいですね。
結局は「目の前のひとりを大切にする」そんなところから始めることだと思います
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断章

2015-07-21 20:54:11 | Weblog
根拠のない自信家は苦手だ。

責任感のない先輩は信用できない。

むやみに自信を持てとはいわないが、

ただ、自信が責任感を生み
責任感が自信を生むことは確かなように思う。。

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やっぱ 海です。

2015-07-18 20:56:43 | Weblog


やっぱり 
海はいいですね 

哀しみも

人の弱さも

醜さも

みーんな包み込んでくれる海を

ただただ

眺めているだけで 

幸せな気分になれます。
 
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台風がやってきた

2015-07-17 22:56:57 | Weblog
つゆの最後に台風。。
夏がすぐ近くまでやってきているようだ。

若山牧水の「白鳥は 哀しからずや 空の青 海の青にも 染まずただよう」という短歌ふっと頭をよぎる。

染まずただよう白鳥も海の中で必死に足をかいでいる・・。かな。

教採の夏、「努力は嘘をつかない」と言う言葉を信じてほしい。。嵐に負けるな。
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嵐の前の日の散歩

2015-07-17 22:23:52 | Weblog
国道308号を散歩してみました。

スタートは宇治田原トンネルの少し手前で
開店時間三時間の短いラーメン屋さんから




いつもは行列がすごくて入れなかったけど
さすが台風の日はすんなり入ることができた。


念願の塩チャーシュー うまい。。



次に向かったのは信楽

山の道を想定していたのにいつの間にかトンネルができ
快適にドライブ、あっいう間に狸が迎えてくれた。



ギャラリーでお茶を一服、
このあたりがお茶の産地だということはあまり知られていないと店の主人。



やっぱりこの量感が、しがらき(笑)


滋賀県立陶芸の森美術館、強風のため観客は僕ひとり 貸し切り状態での岡本太郎。。




風もやんで 良い景色が広がる


またもや知らない街巡りの癖が出て
日野町へ


ハワイアンの流れる商店街にこの張り紙が・・・。


夕食は近江八幡市のイタメシ屋「チャンチャーレ」
おおきなチーズの中でにパスタを混ぜるというアイデアは初めてだった。

いつの間にか滋賀の新米さんも四年目、
本人は気づいていないだろうが、すっかり「先生」の顔になってきた。



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なにがおこったか思って心配したで

2015-07-12 20:29:56 | Weblog
ええーーー
毎月、倒れるって
やっぱり、病院にいっといたほうがええよ…。

貧血やというても、倒れるっていうんは
なにがおこったか思って心配したで

若い女の先生が低学年もって
いろんなことにイラついて
おこりやすなるんは
仕方のないことやとおもうで。

きっと 思い入れが強いから
いうこと聞いてほしいっていう気持ちが
強なりすぎるんやろな。

そんで後から冷静になって
自分を責めるんと違うか。

怒るんと叱かるんは違うで。

叱ってもええけど怒ったらあかんで。

怒りは自分より強いものに向けるもんやで。

叱るんはうちわのもんやからそいつのために
なると信じて叱るんや。

なんぼ○○県の子供が逞しいても
二年生が担任より強いはずないやろ(笑)

なんか焦ってへんか?
息抜きしてるか?

何よりからだが第一やで

何とかしてやりたい。
わたしにはできるはずや、
私が教えた子どもは
全部できなあかんなんて
考えてへんやろな・・。

あなたの思いや気持ちを
全部二年生の子どもが
理解してくれるなんておもてへんやろな・・。

こないだまで持ってた
高学年の子どもとは
ちがうんやで

言葉もかみくだかなあかんし
何でも許したら
際限なく・・。やで

まっ若いというのはそんなもんろな(笑)
どっかでゆっくり話ししよ(笑)

このあいだ 二人目の孫ができたよ。

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近くに図書館があるのはいいもんだ2

2015-07-10 22:14:25 | Weblog
最近読んだ本ですね。

京都西陣イケズで明るい交際術
この本のおかげで久しぶりに自分が「京都人」だったことを思い出した(笑)

僕たちは知恵を身につけるべきだ 森田正康

いじめ・レイシズムを乗り越える 「道徳教育」渡辺雅之
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非ネットいじめ三原則プロジェクト

2015-07-09 00:35:53 | Weblog
「いつでも どこでも だれでも」できる情報モラル指導が
できないのだろうかと考えてきました。

21世紀となり高度情報化社会という言葉が
もはや目新しいものと感じることはなくなりつつあります。

インターネット上におけるSNSの発達や
情報機器の高度化の速度は著しく、
普段の生活においても、
コミュニケーションツールとしての
デジタル機器の活用が行われることは、当たり前という感覚となっています。

しかし、私の長年勤めた学校現場においては、
「不易」と「流行」という言葉で示されてきた
「普遍の教育理念」と「社会の変化への対応」という方向性の
整合が図られないまま、
現実の社会とは遠く乖離した空間で
個々の先生の力量による対応が行われているという感覚を持っていました。

たしかに近年では
教育環境としてのICT機器の学校現場へ導入は
目を見張るものがありました。

しかし、
かつて「団塊の世代」と呼ばれた
経験豊かな先生たちの大量退職に伴う
「教育現場の教育力の低下」という人的な状況が発生し、
さらにハード面での充実が進む中、
それらを道具として有効活用する
「力量のある先生」の育成が課題となってきいるといわれています。
 
かつてもこのような時代はありました。

私がまだ、若手教員と呼ばれていた
1990年代の小学校では
OHPや拡大提示装置が配備され
「視聴覚教育」と呼ばれるビデオによる映像や
スライドの一枚の画像から
情報を得て「考える」という授業が行われていました。

やがて、OHPからプロジェクターへと
教室環境でも変化が見え始め、
今では電子黒板を使った授業環境が
当たり前の風景として見られるようになってきました。

ただ、そこには
それを目の前で熱意を持ち演じてくれる
暑苦しいほどの「モデルとしての先生」がいて、
指導方法を語るゆるやかな時間があり、
培われた未整理の膨大な情報資産がありました。

今こうしたものが
化石化しようとしているのでは・・という危惧から
リタイヤ後も情報モラルに関わってみることにしました。

「いつでも誰でもできる情報モラル授業」と
「自らが考え、作る情報モラル」というテーマを考える中で
生まれたのが「非ネットいじめ三原則プロジェクト」です。

簡単に言えば
クラスで非ネットいじめ三原則宣言をしましょう
それをネットにアップしてみませんか
と言う単純な取り組みです。

子どもたちが自ら考え「ルール」をつくり
話し合いをまとめるということが
どれだけ労力のいることかを知っている先生たちに
取り組んでもらえればいいなと思っています。

現在、情報モラル教育に関する課題は多く指摘されていますが
特に指導者への指摘が多くみられます。

例えば、
ICT機器を活用して授業をいかに構成するかについては、
情報モラルに限らず先生方の指導力量として重要なテーマだという文脈です。

ICTというメディアをいかに授業に活かすかは、
教員の授業力や授業デザインにかかっており、
電子教科書・プロジェクター・電子黒板などの道具の導入は、
近年きわめて進み実際に多くの授業で活用されているのですが、
使用している教員が限定されていたり、
その使い方を知らない教員がおらけることも現実だといわれています。

現状では、指導力量がなく授業改善に生かせていないという指摘です。

しかし、この急激な変化に対応し切れていない原因を
すべて先生の力量にしてしまうことには大きな違和感を感じています。

ただ、児童・生徒は社会における情報化の波の中を漂っているという現実もあります。

意外と多くの方々が小中高等学校の先生で
「道徳」という免許を持っている先生はいない(2015年現在)
ということを知らないということもありますが
このままでいいわけはありません。

そこで「非ネットいじめ三原則」というプロジェクトを設定し
こうした状況の改善について皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。


http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tom123/

に試験的にポータルサイトを構築しました。
やってみようかなという先生の連絡を待っています。

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自分のせいだと思う必要なんてないと思います。

2015-07-07 23:11:43 | Weblog
意外と今、教育現場で
一番ストレスを感じているのは
教採氷河期に採用された
人たちなのかもしれませんよ。

唐突に職員室で大声で
がなり立てたりするなんて
光景を僕はあまり見たことがないので
よくわかりませんが、
あなたにどうのこうのという理由があるのではなく
ストレスがたまっていたのでしょうね。

自分のせいだと思う必要なんてないと思います。

若いあなたたちに先輩があたるというのは
毎日の生活の中で
思い通りにならないことが増えているからでしょうね。。

あなたたちが鈍感なふりや聞いてないふりをしていることを
意外と気づいていない同僚や上司も多いのではないですか。

子どもがしんどい。生指的にもしんどい。
保護者も非協力的。そんな学校なら、
自分のことで精一杯なんだと思いますね。

そんな中での今時のスクールリーダという重圧ですか・・・。
先輩も大変なんですよね。

チームという言う環境や感覚がない先生たちには
「協働」という言葉が重たいものに感じているのでしょうか。

スクールリーダと呼ばれている人たちだけではなく
構造的な何かが崩れてきているのかもしれませんね。

重い荷物を持つのはいや、
人の尻拭いはいや、
それぐらいのことは
自分で判断解決できるだろうと言うような言葉を
「OJT」という建前と混同している先輩も
いるのかもしれませんね。

そんなふうにして
促成栽培が行われているとしたら、
昔懐かしい職員室の文化など消滅しているはずですね。

問題を起こしたか
起こしてないかを
「できる教師」か
「できない教師」かの尺度とするような人は
信頼されないと言うことに気づいていないのでしょうかね。

気の弱い僕なら、嫌っています(笑)。
同じ土俵で話をすることすらおっくうになってしまいますよね。

そんな中でいろんな人の顔色を伺いながら働くのは疲れるね。

でも、

だからこそ、
僕はあなたたちには「夢」追いかけてほしいと願っています。

なぜなら

それが
あなたたちに科せられた
「理論と実践を整合する修行」なんだと思うからです(笑)

がんばらなくてもいいから、負けないでください。

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